どんづまりの街 26 ―暗闇に浮かぶ―
スモッドの街は上から見たら歪な長方形をしている。それを八つに分けた区画で構成されている。
ホーキンスが根城としているビルのある一番街はスモッド北端にある一番大きな区画である。
街の中心部にて暴徒を暴れさせたのは出来るだけ自分の方へと被害が広まるのを遅めようとしていたからかもしれない。
そんな風に思いながらロキはシナロアのビルに到着した。
ここまで来るのに拍子抜けするくらい何もなかった。
出来るだけ裏路地を使い遠まわししてきたのだが、この様子なら大通りを使ってもよかったと少し後悔した。
というのも広場にてシルヴィアの指揮とギルバートの派手な戦闘により住民も暴徒も惹きつけることができたからなのだが。
とにかくロキはようやくここまでたどり着いた。
幼い頃呼んだ冒険小説で勇者が魔王の城にたどり着いたときはこんな風な心情なのだろうかとほくそ笑みながらロキはビルに侵入する。
ビルの下部はシナロアが荷物を管理するための大きな倉庫になっている。
およそ三階ほどまで吹き抜けになった倉庫には所狭しと生活必需品や食料。世界各地に運ばれていくであろう物品が保存されている。
そしてきっとそこにもあるのだろう。事の発端となった天使のように純白な悪魔のようなクスリが。
そのことを理解しているロキは正面の大きなシャッターからではなく正面横に取り付けてある扉からビルに入った。普段ホーキンスに報告をするために使うルートでもある。
狭い階段を一気に四階まで駆け上がる。
もともとビルの中に人は多く配置してはいなかったが今はいつにも増して人気を感じない。おそらく数少ない人員も街の後始末に駆られているのだろう。
なんにしてもロキにとっては都合が良かった。四階の廊下を走りホーキンスの部屋に向かう。
しかし薄暗い廊下の先、大きな人影が道を塞ぐように佇んでいた。
「やっぱり来やがったな。ボスは流石だな。まるで未来が見えてるみたいだ」
人影はロキに向けてそう呟く。ハッキリとしない人影が一歩ロキに近づく。照明に照らされあらわになったその姿はホーキンスの側近の男だった。
ロキは知る由もないが、エルナを暴行し人質を取ろうとしてヒカリとギムレットによってそれを阻まれたあの男が何故かこの場にいた。
ともあれあと一歩でホーキンスへとたどり着くという場面での邪魔者の登場にロキは忌々しそうに眉を寄せた。
しかしそうしたのも束の間、今度は口の端を歪ませて笑った。
「よぉ。わざわざお出迎えありがとよ、お兄ちゃん」
ロキが発したその言葉に男は驚愕した。
「それともお前が弟か? まぁどっちでもいいか」
「気づいてたのか? 俺が、俺たちが双子だと」
この街で住民たちがシナロアに抵抗できない理由の一つにホーキンスの側近の存在が大きく関わっていた。常にホーキンスの傍らに立ちながらも、ホーキンスのいない場所で反乱分子の駆除を行うシナロアの暴力の化身とも言えるこの男の存在が。
例えホーキンスの見えない聞こえない場所でもこの男が目を光らせているため、住民たちはシナロアに支配され続けていた。
居るはずがないのにそこにいる男。まるで都市伝説のような男の正体はありふれた理由だった。
「俺たちが双子だって知ってるのはボスだけだったんだがな。やっぱりお前は抜け目のないやつだ」
「大したことねぇよ。俺は間違い探しが得意なだけだ」
そう言ってからロキはとても愉快そうに笑った。その笑い声が男には不快でしかなかった。
「何が可笑しい?」
「いや。やっぱり双子だったんだなと思ったら笑えてきてよ。まるで安い手品のタネみたいじゃねぇか。この街の住民共はそんなんにビクビクしてたんだなと思ったら間抜けにも程があるぜ」
ロキのその言葉に男の眉間に青筋が立つ。こちらを挑発してくる眼差しと笑み。どこまでもこちらを見下したような言動。この男は人の神経を逆撫でることに天性の才能がある。
だが男はロキの笑みに返すように顔を歪ませた。
「そこまでわかってるならどうして俺が一人でここにいるかもわかるよな? 今頃弟がお前の囲ってる娘と医者を捕らえに行ってるんだ」
今度はロキの雰囲気が張り詰めた。なるほど、ホーキンスの考えそうなことだと思った。どこまでも用意周到な奴だと。
「真っ先にボスのところに来る機転は大したものだが、お前は判断を間違えたな。ろくに戦闘力も無いお前がしゃしゃり出るべきじゃなかったんだよ。俺がここにいる時点でもうお前は終わりだ」
ロキの心を折るため高圧的に男は語りかけた。相手の心を丁寧にすり潰すように。
「関係ねぇよ」
しかしロキはそんな言葉には屈しなかった。
「そんなこと言われたってここまで来ちまったんだ。万が一お前の言う通りの状況になってたって今更どうこうできやしねぇんだ。だったら最初の目的通り俺はホーキンスのとこに向かうだけだ」
ロキは強い決意を込めた言葉でそう言った。
エルナとホァンの件については対策を打ってきた。完璧とは言えないが人質に取られるとは思わなかった。しかし、先程自分が言ったように万が一もある。それでもロキは戻るという選択肢はなかった。
「それに」
ロキは一旦言葉を切って嘲笑に歪んだ顔を男に向けた。
「俺くらいでもテメェを倒すくらいは出来んだよ」
「言うじゃねぇかよ、モヤシ野郎」
男は張り合うように怒りを孕んだ笑みをロキに返した。
そして合図もなく男はロキに駆け出した。狭い廊下では避けるだけのスペースもない。さらに男は闘気も纏い一気に決めるつもりで拳をロキに叩き込む。
だが男の拳はロキにたどり着く前に目に見えない壁に阻まれた。
驚き目を向く男の視線の先には、ロキがトランプのような札を男につきつけていた。
よく見ると札には円形の図形が描かれていた。
その札は『空気固定』の図式であり、一定時間特定の場所に空気を固めた壁を創り出す魔法陣だ。
ロキはいかなる状況にも対応できるように様々な魔法陣が描かれた札を常に携帯していた。
身を守る魔法、相手を攻撃するための魔法用途は様々だ。
空気の壁に阻まれた男は不意の衝撃に体勢を崩した。そして目の前のロキが何かを呟くのを見た。
――詠唱……? 呪文魔法か!?
ロキが普通の魔法使いとは違い呪文や魔法陣を使う珍しいタイプの魔法使いだということはホーキンスから事前に聞いていた。
――馬鹿め。わざわざこれから攻撃するって教えるようなもんだ。
男は余裕たっぷりに腕で前方を腕で隠し、闘気を強めた。大概の魔法なら全力の闘気を纏えば防御できると自負していた。
しかしいくら待てどロキから魔法がやってくることはなかった。
そして男の横を何かが通り過ぎるのを感じた。
――やられたっ!
直様男は気付いた。ロキが呟いていたのは詠唱と見せかけたただの呟きだったのだ。
そもそも呪文魔法も言葉に魔素を込めなければただ言葉を並べた独り言でしかない。
ロキは男が自分の手の内を知っていることを利用し、詠唱をブラフに使ったのだ。
そのことに気が付いた男は自分を嘲笑い走り去っていくロキに憤慨した。
「待ちやがれ、このガキが!」
叫び男はロキを追った。
闘気を纏った男の速度はロキを軽く凌駕する。みるみるうちに二人の間の距離は縮まった。
もうすぐ手が届く。そんな瞬間、突然ロキが振り返った。
そしてすぐにこちらに足元に向けて札を落とした。
その状況を理解すると同時に男とロキの間の足元が光る。
爆音を響かせ自分の体が浮遊感に支配された。
矢継ぎ早に訪れる展開に男はついて行けなかった。
理解できたのは、今男は広大な倉庫に落ちているということ。
ロキが足元に投げたのは小規模な爆発を起こす魔法術式が描かれた魔法陣だった。闘気を纏った相手には有効な攻撃手段ではないが、倉庫と廊下を隔てる床を吹き飛ばすのには十分な威力だった。
まずい。男は一気に背筋が凍った。
この程度の高さなら闘気があれば怪我をすることもない。しかし三階分の高さから落とされるとなるとまたあの場所まで戻るには時間がかかる。その間にロキはホーキンスのところまで言ってしまうだろう。
そのことを理解し戦慄したと同時に、目の前の違和感に気がつく。
今まさに倉庫に落ちている男の目の前のロキが視界から消えない。そうロキも一緒に落ちているのだ。
――馬鹿め。自分の魔法の威力を計算に入れてなかったな。
不覚にも自分ごと落ちるハメになったロキを嘲笑ったが、すぐに次の違和感に気付く。ロキの表情は自分が落ちていることの戸惑いなどはなく。未だ覚悟を決めた表情を男に向けていた。そしてまたしても口元が動いていることに気が付く。
「『火炎弾』」
小さい声でそうこぼれた声が男の耳に入った途端、眩い光と共に高熱の塊が男に迫った。
まさかこれが狙いだったのか。
空中で身動きが取れない状態で全力の魔法をたたき込める状況を作り出したのか。
男は一瞬にしてそれを理解したが、確かにこれでは避けることもできない。
先ほどのように腕を交差させ全力の闘気で『火炎弾』を受け止めた。
肌を焼く高熱が男を襲う。しかし思った以上のものではなかった。
軽い火傷は負っただろうが、その程度だ。
火傷の熱を堪えている間に男は倉庫の床に激突した。
しかし事前に纏っていた闘気のおかげで痛みはなかった。
「くそっ、熱ィ! ……だが耐えたぜ。ハッハッハ、結局俺を倒せはしなかったな!」
腕の火傷を労わりながら男は意気揚々と叫んだ。
しかし周りからロキの返事はどころか物音の一つも聞こえなかった。
間違いなくロキもこの倉庫に落ちてきたはずだが自分のことで精一杯でロキがどうなったかは確認できなかった。
おまけに倉庫の中は真っ暗で自分の姿も今どの位置にいるのかもわからなかった。
辺りを見回して倉庫の位置を確認していると。不意に暗闇からロキの声が聞こえた。
「別にさっきの『火炎弾』で何とかなるとは思っちゃいねぇよ。むしろそれでくたばっちまったら拍子抜けだぜ」
「減らず口だけは立派だな」
男の皮肉にもロキは押しつぶしたような笑い声で返すだけだった。
荷物に反響してロキの位置ははっきりとはしなかった。
「なんにしてもお前はここで終わりだ。暗闇だがこの倉庫は俺は毎日出入りしてるんだ。地の利は俺にある。ここがお前の墓場だ」
「随分自信満々じゃねぇか。けど俺はマトモにテメェとやりあうつもりはねぇよ」
何も見えない暗闇の中、ロキは醜悪なまでに歪んだ笑顔を浮かべる。
「テメェには、俺の実験に付き合ってもらうぜ」




