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どんづまりの街 23 ―烈火の如く―



 ずっと自分自身の抱える感情が解らなかった。

 憎しみと呼ぶには温度が低かった。

 後悔と呼ぶには暗すぎた。

 まるで肺の奥から煮詰めてどろどろになった鉛が吹き出すような感覚。


 その感情そのものは決して心地よいものではなかった。しかしその感情に身を預けることはとても楽だった。

 何も考えなくていい。ただ本能のまま身体を動かすことは清々しさすら覚えた。たとえその後に言葉にできないほどの虚無感に苛まれようとも。


 その感情が憤りだと気がついたところで、もう自分ではどうすることもできなかった。

 己が身を憤怒の炎で焦がそうと、ギルバートは許すことができなかった。

 理不尽に奪おうとする者たちを。それを止めることができなかった過去の自分を。



       *



 暴徒たちに溢れかえる広場に火柱が上った。

 昼間以上の光量を放つ火柱の中心には、依然として紫電を垂れ流すギルバートがいた。

 羅刹のような形相でギルバートは剣を、拳を振るう。


 ギルバートのその一つの所作で暴徒たちは草の根をかき分けるように散っていく。

 ほとんどの者が怖気づき腰が引けているところに、数人が自棄になってギルバートに向かって行くがギルバートはその勢いをものともせず立ち向かう。


 その場に落ちた暴徒の剣を手に取り、向かってくる暴徒を二本の剣で圧倒した。

 ギルバートの戦い方は、自分自身を騎士という割にはとてもではないが剣士の戦い方には見えなかった。

 手に持つ剣は斬るというより叩くように扱い、落ちている剣を拾って、斬って、そして投槍のように放つ。しかも剣だけではなく積極的に拳と蹴りで暴徒たちを制圧していく。


 敵陣の中に転がり込んで、体全体を使うその戦い方は戦場における下級歩兵。いやその泥臭さはもはや山賊とすら言える戦い方だった。

 ギルバートの姿は見るものにはもはや騎士らしい誇り高さは微塵も感じさせない、敵意をむき出しにして獲物に食らいつく獣のそれだった。


「おい、ヒカリ! 今の話本当か!?」

「ん? そだよー。確かザナルってとこだったかなー? 亜人の人たちがいっぱいころされそうになっててー、ギルくんがコラーって怒ってみーんなやっつけっちゃったの。ギルくんすごいんだよー! 無双ゲージ常に満タン状態で超必殺技うちまくれるんだよー!」


 ヒカリの言っていることの半分はギムレットには理解できなかったが、地名も合っている事、そして何より目の前のギルバートの苛烈なまでの戦い方を見てそれを疑うことはできなかった。


「じゃあ、二年前ザナルの軍隊を討伐した『暴皇』はギルバートだったのかよ……」

「あれ? お父さん、『ぼーおー』のこと知ってたんだ?」


 ギムレットが驚きの声をヒカリは当然のように


「ああ!? ヒカリ、お前ギルバートが『暴皇』だってこと知ってたのか!?」

「うん。あれだけ暴れて新聞にも載ってたし。流石に名前は載ってなかったけどすぐわかったよー」

「いや待て! だったら何であいつ自分が『暴皇』だって知らなかったんだよ。それどころか『暴皇』の名前にもピンと来てなかったんだぞ?」

「あー、やっぱ覚えてなかったんだ……。あのね、ギル君はロキ坊と違って自分の興味のないことは覚えないってゆーか、覚えようとしないんだよ。一回ね、話したんだよ? でもギル君「へぇ……」とか言ってたし。どうせ聞いてなかったんだよ、あの子」


 ヒカリは一気に語るとわざとらしく「ぷんぷん!」と口にして頬を膨らませた。


 到底信じられないことだったが、ギムレットは今日までギルバートと共に過ごすうちに、あいつならそう思いかねないと納得してしまった。


 何より、目の前の現状が全てを物語っているのだから。

 剣の一振り、拳の一振りで暴徒たちが面白いくらいに散っていく様は戦闘とは思えなかった。


「クソがっ……! お前らマトモに相手するんじゃねぇ! こう言う奴にはな、距離保って魔法ぶつけちまえばいいんだ!」


 暴徒の中の一人が正気に戻りそう周りに言い放った。それを率先するように暴徒はギルバートに向けて『火炎弾(ファイヤーボール)』を放った。


 人の頭一つ分の大きさにもなる火の玉を放ち勢いよくギルバートに迫るが、ギルバートは目視もせず迫る火の玉よりも轟々と燃える剣で文字通りかき消した。


「ひ、怯むな! 全員で一斉に射つぞ!」


 誰かが言ったその言葉に従い周りの暴徒たちがギルバートに向け手を伸ばす。

 合図もなく数々の魔法が放たれる。炎の塊、氷の塊、風や土と言った千差万別の魔法がギルバートを襲う。


 四方八方から迫り来る魔法に対し、あろうことかギルバートはその場で静止し剣すらその場に打ち立てた。

 右手にはめられた薄手の籠手をゆっくりと持ち上げる。とても斬撃を防げるとは思えない貧相な籠手から不意に炎が吹き出す。

 炎が吹き出した右手を振るとその軌道にのせ豪炎が奔り、ギルバートを押しつぶそうとする魔法をかき消した。


 常軌を逸した光景に暴徒のみならずそれを見ているスモッド住民たちすら息を呑む。


「……な、なら。これでどおだあああ!」


 暴徒の一人が叫び、今度は両手をギルバートに向ける。

 その途端、暴徒の周囲から強烈な冷気が発せられる。広場の空気をギルバートの残した炎と暴徒の放つ冷気が入り乱れる。


 するとだんだんと暴徒の前に大きな氷の塊が現れる。それはただの塊ではなく先端が尖り、人の命など簡単に穿つことができる凶悪な形をしていた。


「くらいやがれ『氷結穿錐(アイシングピラー)』!」


 暴徒の叫びと共に巨大な氷塊が放たれた。

 どう考えても人一人が何とかすることができるとは思えない圧がギルバートに迫る。


 しかしギルバートは動かない。先程と同じようにその場に立ち続け氷塊に相対する。

 すると、ギルバートの右手から発せられる炎が消えた。その代わりに籠手の色がどんどん赤みを増していく。

 既に眼前にまで迫り来る氷塊に向け、ギルバートは右手を伸ばした。


「ギル!」


 咄嗟にシルヴィアは叫んだ。その声が届いたのか届かなかったのか。ギルバートの表情は変わらなかった。依然として迫る氷塊より冷たい顔だった。


 氷塊が勢いを増してギルバートに迫り伸ばされた手に触れた瞬間、氷塊は跡形もなく消滅した。


 唐突に氷塊が消えたことに周囲は理解が追いつかなかった。しかしギルバートの周囲を見ると、ギルバートの正面下には僅かな水たまり。その上に湯気のように立ち上る水蒸気の残滓が見えた。


 それだけでもう答えは自ずと明るみになる。

 先程の『氷結穿錐』はギルバートに触れる前にギルバートの籠手から発せられた高熱により、瞬時に蒸発したのだ。


 そのことを理解した途端、暴徒たちの精神は恐怖に塗り替えられた。誰もがこれで決まると思った。それほどの圧力を持っていた『氷結穿錐』をあの男は火の粉を振り払うように簡単に打ち消してしまったのだ。


 ギルバートの籠手から依然として放つ熱がギルバートの姿を歪める。陽炎に揺らめくその姿を見て誰かが呟く


――化物……。


 それを合図にとうとう暴徒たちは雲の声を散らすように逃げ出した。


 勝負は決した。しかしギルバートは依然として強い眼差しを放っていた。突き立てた剣を抜き、電光となって暴徒を追撃する。


暴徒たちは自問する。どうしてこんなことになっているのか。

 本来だったら自分たちが追う立場のはずだ。取るに足らない弱い存在を足蹴にし、己の優位性を知らしめることを至上としていた。


 しかしたった一人の男により立場は逆転してしまった。嵐のように現れた暴力の化身が自分たちの命を脅かす。

 威の象徴である剣を手放し、身を守る闘気すら纏うのも忘れ逃げる。それでも“それ”は止まらない。一人、また一人と暴徒たちを鎮圧していく。


 他などどうでもいい。とにかく自分が助かりたい。

 そう思い死に物狂いで逃げる暴徒の一人の目の前にギルバートが立ち塞がる。


「やめろ……、やめてくれ! お、俺たちは頼まれただけなんだ! もうこんなことはやめる! だから命だけは見逃してくれ! 頼むっ!」


 ギルバートを目の前にした暴徒は腰を抜かし惨めに命乞いをした。

 そんな態度の暴徒をギルバートは己から発する熱気とは真逆の、凍てつくほどの目線をぶつける。


「……楽しいか?」

「は……?」

「今の貴様のように許しを乞う人間を、貴様らと違って善良な人間の命を、理不尽に淘汰するのは、楽しいかと聞いているっ……!」


 ギルバートの低い叫びと共に、短い雷鳴が響く。それを合図に暴徒は頭を抱えて悲鳴を上げた。しかしその態度はギルバートにとっては火に油を注ぐ行為でしかなかった。


 恐怖があるなら――。

 奪われる恐怖と絶望があるなら――。


「何故そんなことができるんだ!?」


 広場を押しつぶすほどの怒号と共に電撃がほとばしる。それに巻き込まれ残りの暴徒たちは意識を奪われた。


 いつしか広場には未だ燃え上がる炎が弾ける音だけがなっていた。

 住民たちは死屍累々となった広場、そしてその只中に立つギルバートを見て息を呑む。


 驚異は去った。それは事実で本来だったら手放しに喜ぶところだが、目の前の惨状を見て住民たちは声すら出せずにいた。

 燃え上がる感情を正に炎に変えて暴徒にぶつけるギルバートを英雄のように見ることができないのだ。


 静まり返る広場の中、住民たちの輪の中からシルヴィアが悠然と前に出た。

 力強い足取りでギルバートのもとへと歩み寄り、ギルバートと住民たちの丁度中間辺りで足を止めた。


「ギルバート、よくやりました。もう十分です」


 静まり返った広場に頼もしく、そして優しい声でシルヴィアはそう言った。

 その声に少し遅れてギルバートを纏う紫電は弾けるように消え、逆立った髪は肩の力を抜くように元に戻った。


「……はい」


 シルヴィアの声に短く答えたギルバートの表情は、もう怒りに囚われていなかった。

 その表情と声で住民たちはようやく歓喜の声を上げた。


 広場を埋め尽くす歓声には安堵が含まれていた。

 制御不能の天災のように思えたギルバートは、決して自分たちに危害を与える存在ではないということを理解したからだ。

 シルヴィアの言葉をギルバートが受け入れたことで広場の総動画全てが終わった。役目を終えた剣が鞘に収まるように。


「大したもんだぜ、ギルバートもお嬢も。なぁ、ヒカリ?」


 歓声の中、ギムレットは感嘆の息を吐きながらそう言ってヒカリに同意を求めるように話しかけた。必要以上のテンションで返してくるものかと思ったヒカリだったが、肩の上からはなんの反応もなかった。それどころか身じろき一つ感じ察せなかった。


 どうにもいつもの調子と違うことに違和感を感じたギムレットはなんとか首を回しヒカリを見た。

 ヒカリは賞賛を受けるギルバートとシルヴィアには目もくれず、虚を疲れたような表情であさっての方向を見ていた。


「おい、ヒカリどうした?」

「……なんで?」


 ギムレットの声を無視してヒカリはそんな言葉を呟く。そして間もなくギムレットの肩から華麗に飛び降り、ギルバートたちとは違う方向へ走り出した。


「おい、どこ行くんだ! 待てって、ヒカリ!」


 突然訳もわからず走り出したヒカリをギムレットは大声で呼び止めたが、ヒカリの耳には入らない。


「なんで、どうして?」


 悲痛なまでの表情と声を出しながら、ヒカリは懸命に走った。

 一刻も早くそこに向かうために。


「どうして、えるえる……!」



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