表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/61

どんづまりの街 22 ―『暴皇』―



 暗いアパートの一室。柔らかいベッドの上でエルナは目が覚めた。

 穏やかな微睡みがエルナの頭に覆われる。あれ程泣きはらした瞼も、既に腫れぼったさはなくなっていた。


 これほどまでに落ち着いていることにエルナ自身驚いていた。

 以前パニックを起こしたときは二、三日悪夢にうなされ眠ること自体が恐怖でしかなかった。


 しかし今はどうだろうか。久しぶりに夢も見ないくらい熟睡し、目覚めもいつもと変わらない。パニックを起こしたこと自体嘘のようだった。


 ふと、思い出す。シルヴィアに優しく抱きしめられ自分を肯定してくれた言葉を。

 まるで寒い日にくるまった毛布のように優しく温かかったそれに、今でも涙が溢れそうになる。

 その後ヒカリが、自分が泣き疲れ眠るまで隣で寄り添ってくれたことに言葉にできないほどの安心感を得られたこと。


 何故ああも他人に優しくなれるのだろうか。何故ああも他人を慈しめるのか。

 何故ああも、強く在れるのだろうか。


 そんな疑問を胸に抱いていると、何やら外が騒がしいことに気がつく。

 空気を重く揺らす喧騒は昼間とは比べ物にならなかった。


 エルナはベッドからゆっくりと降り、フラフラと頼りない足取りで別室の窓から外を伺う。

 丁度中心部を覗くその窓から見えたのは夜を払うかのような煌々とした灯りと、荒々しさを含む雄叫びのようなものだった。


 先程まで眠っていたエルナには何が起こっているのかは理解できなかった。

 しかし言葉にならない感情がふつふつとエルナの体の奥底から湧き上がってくる。

 まるで変化を求める炎のような決意の感情が。



       *



 スモッドの中心部では未だ喧騒が鳴り止まなかった。しかし先程までとは辺りから上がる声の感情の意味は違っていた。


 住民のほとんどが理不尽な暴力を押し付ける暴徒たちに対して徹底抗戦の姿勢をとっていた。

 しかし我武者羅に立ち向かうわけではなく、数人が集まり一つの小さな集団として結束し暴徒たちが簡単に手を出せないような環境を作り出していた。


「決して一人になってはいけません! 女性や怪我人を中心に複数で固まってください!」


 剣士や傭兵でもない、戦闘の基本も知らない住民たちがそういった行動をとっているのはシルヴィアが大声で住民たちにそう指示しているからだった。


 本来だったら住民たちは直様避難させるのがセオリーだが、街中に散らばる大勢の暴徒たちに対し、シルヴィアたちの勢力は戦える者はたったの三人だけだ。そんな多勢に無勢と言える状況で住民たちの安全を確保することは不可能に近かった。


 現状ギルバートやギムレットが敵勢力を凄まじい勢いて各個撃破しているが、それでも住民たちを完璧に守りきれるとは言えない。


 そのためシルヴィアは住民たちを利用することにした。

 住民たちを焚きつけ、反抗意識を原動力に住民たちを統率した。


 もちろん住民たちに戦闘に巻き込むつもりはない。


「反撃してはしないでください、的になるだけです! 固まったら相手を威嚇し続けてるだけにしてください!」

 素人に下手に攻撃させると余計に被害が拡大するばかりか、返り討ちにあってそれを見た周囲の戦意が喪失する方が問題だった。


 数人が固まり、大声を上げて暴徒たちを威嚇する。もちろん暴徒たちからしたらそれでどうというわけではないが、集団が結束し自分たちに敵意を剥き出しにして反抗する様は暴徒たちを一瞬怯ませるには充分だった。


 そう、一瞬あればよかった。シルヴィアが本当にやりたかったのは時間稼ぎだった。


 逃げ惑う住民を嬲るだけだと思ったら、何故か反抗してくる相手に戸惑い行動に躊躇いが生まれ動きが止まる。

 ブリティア王国の王宮騎士団のシルヴィア、ギムレット。そしてたった一人で『黒い逆十字』に立ち向かっていたギルバートにはそんな一瞬の時間があればよかったのだ。


 シルヴィアの指示、力強い声に背中を押された住民たちの行動、ギルバートらの戦闘により暴徒たちの勢いは明らかに衰退していった。

 そしてシルヴィアは自分も戦闘に加わりながら小集団に中心部の広場に集まることを支持する。シルヴィアの指示を別の誰がが伝播し、集団は一つの意思のもとに広場へと向かっていった。


 それほど大きくない街の規模が幸し、住民たちのほとんどが広場に集結しつつあった。

 その中にはスモッドの中ではある程度稼いでいる者、己の生まれのせいで体を売るしかなかった亜人種、浮浪者あらゆる人間がいた。血を流す亜人種に人間が肩を貸し、泣き叫ぶ人間の子供に亜人種の青年が手を引いて広場を目指す。


 あらゆる人間が生まれや自分の中に流れる血のことなど忘れ結束していた。


 そしてさほど時間もかからず、ほとんどの住民が広場へと集結した。

 小さな声の集まりは大きな集団となり暴徒たちに叛逆する。


――もうこれ以上奪われてたまるか。

――もう諦めるのはたくさんだ。


 口々にする言葉は違えど、集団の意思は一つだった。

 その意思が暴徒たちに二の足を踏ませていた。


 暴徒たちはただのゲームのつもりだった。

 とある人物に雇われ、ただひとつの街を蹂躙し自分と同じ生物を殺すという快感を得たいだけだった。

 そのゲームに駆逐対象の反抗など考えてもいなかった。


 それゆえの動揺。つまりは覚悟の違いだ。

 命を賭けるものと、そうでないもの。その覚悟の差がこの現状を生み出した。

 圧倒的に不利な奪われる者が奪う者を脅かす状況を作った。


 広場へ向かう住民を何も考えずに追い、逆に追い詰められる状況に追いやられたのだ。

 それを知らしめるようにギルバートが、ギムレットが暴徒たちを瞬く間に再起不能にさせていく。


「すっごーい! お父さん強いねー!」


 この状況でもいつもの調子を崩さないヒカリはギムレットの肩の上で見た目相応の無邪気さで騒いでいた。


「なんでもいいけどよ、お前いつまでそこにいるんだよ! お前だけでも安全なとこに逃げとけって!」


 一瞬も気が抜けないこの状況で「おー!」「わー!」「すっごーい!」と場違いな歓声を上げ続けるヒカリにギムレットは半ギレでそう叫んだ。


「いーじゃーん。それにお父さんの肩の上より安全なとこなんてこの街にないよ?」

「お、おう……。そ、そうかぁ?」


 ヒカリのわかりやすい煽て言葉にこれまたわかりやすくギムレットは調子に乗った。


「ギムレットさん! 絆されないでください!」


 たまたまその様子を見ていたシルヴィアは集団を統率していて感情が高ぶっていたこともあり大げさにギムレットを叱責した。


「わ、わーってるって……」

「ぷぷぷー! お父さん怒られてやんのー、恥っずかしいー!」

「それもこれもお前のせいだろって!」


 自分の肩の上のヒカリにそう言いながらもギムレットは剣や斧を持った暴徒にほぼ素手で圧倒してく。その力強い戦い方は弱い住民たちを勇気付け、強いはずの暴徒たちの勢いを削いでいく。


 しかしそれ以上に圧倒的だったのはギルバートだった。

 ギルバートは一向に剣を使おうとせずギムレットと同じく素手のみで暴徒を鎮圧していく。


 やられまいと繰り出される相手の剣閃を難なく躱し、がら空きの腹部に思い一撃を加える。その拍子に取りこぼした剣をギルバートは掴み、まるでやり投げの要領で剣を飛ばす。


 誰に向けたわけでもないその剣は暴徒の一人の肩に深く突き刺さる。

 凄まじい痛みにかられ暴徒は泣き叫ぶ、その絶叫は他の暴徒たちの戦意を喪失させるには充分だった。

その隙を、ギルバートは見逃さない。


 その荒々しく振るわれる両腕で暴徒を抑圧し、旋風のように繰り出される両足で暴徒たちを薙ぎ払う。

 とても騎士とは思えないその戦い方は、まさに小さな暴風雨のようだった。ギムレットはそんなギルバートの戦い方に戦闘を続けながら息を飲んだ。


 技術も戦法も何もない、純然たる暴力。

 ブライストンでのジェラルドとの戦闘の時にも感じていたが、つくづくとんでもない男だと再認識する。


――仲間にしといてホンット良かったぜ……。


 ギムレットは内心、冷や汗をかきながらそう考えた。そうしているうちに住民たちは広場の一箇所に固まり、暴徒たちはその様子を遠巻きに伺うといった状況になっていた。


 住民の若い男たちが暴徒たちが落とした武器を持って外側を固め、内側では怪我人の介抱を皆々が何を言わずとも行っていた。


 住民たちは皆、不安や恐怖を抱きつつもそれと同等かそれ以上の興奮を感じていた。

 隣で相手を威嚇する者は名前も知らぬ亜人種の男。

 自分が開放しているのは、自分たち亜人種を差別してきた人間。

 きっかけはどうであれ、スモッド住民はいつ刻まれたかもわからない。しかし明確に存在していた溝をあっさりと埋めてしまった。埋められてしまった。


 今まで必死になって埋めようとしなかった溝が、容易く埋まってしまったこと。しかしいざ埋まってしまえばなんてことはないこと。住民たちは今まで抱えていた確執を鼻で笑い暴徒たちに立ち向かう。


「これ以上近づくんじゃねぇ!」

「俺たちの街で好き勝手やらせるかってんだよ!」

「あんたたちのなんかに負けないわよ!」


 燃え上がった住民たちの感情は声となって暴徒たちに押し寄せる。

 今まで降り積もった鬱憤を晴らすように住民たちは叫ぶ。

 もう諦めるのは御免だ。そう心に決めて。


「調子に乗りやがって……」


 住民たちには聞こえない苛立った声が暴徒の中から漏れる。

 次の瞬間、広場の集団のすぐ近くで爆発が起こる。

 規模はそれほど大きくはない。

 しかし頭に血が上った住民たちが押し黙るのには十分な大きさだった。


「クズどもが勘違いしてんじゃねえぞ! テメェらみたいなのが集まったところで何ができるってんだ!」


 暴徒の中からそう叫び前に出た男がいた。その男は右手の平を住民たちに向けていた。先程の爆発はその男が放った魔法だった。


「お前らもだぞ! こんな雑魚ばっかに尻込みしてんじゃねよ! こんな奴ら魔法使えばどうってことねぇんだ!」


 男は周囲にそう言い発破をかける。その言葉にやっと冷静さを取り戻した暴徒たちは下品な笑みを再び貼り付け住民たちを見る。


 住民たちはそこでようやく現実に引き戻される。

 何を勘違いしていたのだろう。自分たちに戦える力などある訳がない。突然現れた銀髪の女性に背中を押され反抗しては見たが、自分たちが戦えるはずもない。魔法などもちろん使えない。今手にしている剣だって使い方などわからない。


 青年は自分の持つ剣の重さに驚愕する。

 重い。剣とはこんなに重いものなのか。

 剣を手にする手が震えた。信じられなかった。こんなもので人の命が奪えるということに。自分の手には人を簡単に殺めることができる代物が握られているということに。


 住民たちは先程とは打って変わって意気消沈していく。それに反比例して暴徒たちの勢いは増していく。


「ハッハッハ! バカどもめ、わざわざ目立つところに集まりやがって! お前ら自分が追い詰められてるってことに気がつかなかったのか!」


 暴徒のその叫びに住民たちはさらに萎縮した。

 確かに周りには何もなく、そして住民たちは暴徒に囲まれている状況だ。

 まさに絶体絶命。住民たちは今度こそ全てを諦めかけた。


「そうですね、確かに追い詰められました……」


 集団の外周で住民たちを護っていたシルヴィアはそう呟く。しかし――


「しかし、それは貴方たちの方です……!」


 シルヴィアは確かにそう言った。依然力強い眼差しを込めて。


「ギルバート!あとは任せます!」

「ああ」


 シルヴィアの命令にギルバートは短く答えた。

 そう。広場に住民たちを集め、それを囲むように配置された暴徒たち。これこそがシルヴィアの狙いだった。


 正しくは、ギルバートの提案をシルヴィアが実行したのだ。

 街に散らばる住民をいっぺんに守り、街に散らばる暴徒をいっぺんに片付ける、そのために。


 ギルバートは今まで手にかけることをしなかった剣に触れる。

 左の逆手で柄を握り一気に鞘から引き抜く。抜ききったところでくるりと持ち替えた。

 ギルバートの片刃の黒い剣が街に灯された炎に照らされ鈍く光る。


「おいおい、一人で格好つけんなって。俺も……」

「だめー! お父さん空気読んで!」

「いだだだだだ! 顔引っ張んな、裂ける、顔裂けるって!」


 ギルバートに続いて腕を鳴らし前に出たギムレットにヒカリの小さな手がギムレットの顔を横に引っ張った。

 相変わらずこの二人のテンションだけは状況にそぐわなかった。


「いいのー! ここはギルくんに任せとけば安心安全なのー!」

「いや、確かにあいつは強ぇけど二人の方が効率いいだろ?」

「ダメッ! ギル君と一緒にいたらお父さんの方が巻き込まれちゃう!」


 そこでギムレットはようやくヒカリの顔を見た。何やらいつものとぼけた表情ではなく真剣な面持ちだった。本当にギムレットの身を案じるように。


「大丈夫! ギルくんは無双ゲーの主人公だから。二年くらい前だって、ギルくん一人で何万人って剣士を倒しちゃったんだから!」

「は……? おま、それって……」


 ギムレットの言葉は暴徒たちの雄叫びにかき消された。

 しびれを切らした暴徒たちがとうとう臨戦態勢に入ったのだ。

 ギルバートは臆さなかった。容赦なくこちらに叩きつけられる敵意をものともせず歩を進める。


「これ以上、この街の住民を危険に晒せるわけにはいかない。直ぐに片をつける」


 ギルバートの決意表明の言葉とともに、強烈な破裂音が広場に轟いた。

 それは一つではなく一つ二つと続く。それに伴いギルバートの周囲に閃光が走る。

 耳を劈くその破裂音は、遠雷に似ていた。


「あ、ギルくん本気だ。いやー、やっぱあれまんまカン○ルだよねー」


 ヒカリの能天気な言葉の後、広場に一際大きな音が鳴る。

 それはまさに落雷のそれだった。


 眩い閃光が散ったそこにはギルバートが悠然と立っていた。

 短い黒髪が逆立ち、細い身体の周囲には紫電が走っていた。


 周りの人間は理解が追いつかない。強烈な破裂音と閃光。異様な変化を遂げたギルバート。

 言葉を失いギルバートを凝視していた暴徒の一人は言葉を失って立ち尽くす。


 一つ。瞬きをした後、目の前には先程まで指先程度の大きさ位に見えるほど離れていたギルバートだった。

 なんの反応もできず、その暴徒はギルバートの掌底打ちを喰らった。その瞬間凄まじい激痛が走り絶叫とともに暴徒は事切れた。


 その絶叫を聞いてやられたと認識した瞬間紫電を撒き散らすギルバートが今度は目の前に現れる。

 ほとんど反射だった。暴徒は勝てるわけがないと本能が警鐘を鳴らしそれに従って踵を返す。


「『(ほむら)の太刀・迦楼羅(かるら)』」


 そんな声がした途端、背中から灼熱が襲う。

 周りからは炎が渦巻き自分たちを襲うように見えたはずだ。

 凄まじい炎の勢いから逃げてきたと思ったら、既にその先にはギルバートがこちらに向かってくる。


「『(かすみ)の太刀・激流(げきりゅう)』」


 その声と共にギルバートが暴徒たちの波を吹き飛ばす。

 まさに剣撃の濁流が暴徒たちに激流となって襲いかかる。

 暴徒たちはもはや反応どころか思考すら出来ない。瞬き一つ一つするたび全く違う場所に立つその暴力に。



 暴徒の一人はふとあることを思い出す。

 あれは二年前だった。その時も自分は好き勝手人を殺せると聞きとある戦場に赴いていた。

 しかしいざ戦闘が始まってみれば、狩られたのは自分だった。


 二年前、ヨルド地方の小国のザナルのことは男にとってはトラウマだった。

 業炎と紫電を撒き散らし、黒い暴風雨となって襲いかかるその暴力が。


「なんで……。なんでこんなところに『暴皇(ぼうおう)』がいるんだよおおおおお!」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ