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どんづまりの街 19 ―抗う決意―



 人は何をもってして人となるのだろうか。

 空気が腐った路地の片隅でロキはそう思わざるを得なかった。


 たとえばそれは、自分と意思の疎通ができることであったり。

 たとえばそれは、笑ったり泣いたり感情を表現できることであったり。

 たとえばそれは、人らしい形をしていることであったり。


 しかし、それが人間である証というのなら、ロキの眼下に打ち捨てられたそれはもう人間ではないのだろうか。

 首から上が、おどろおどろしい赤い華を咲かせた死体はただの肉の塊でしかないのだろうか。


 ジュリィの死から一夜明けた翌日。未だ朝の空気が抜けきらない街でロキは近づきたくもない一番街近くの路地にいた。

 そこで、頭部が花開くように散乱した死体の傍らに立っていた。


 ここまで跡形もなくなっていると、普通だったら身元がわからない。しかし、間違い探しの得意なロキにはわかってしまう。着ている衣服。肌に残る傷跡。全てが連想したくない人物に符合してく。

 ここに横たわっているのは、間違いなくボボだということを嫌でも理解してしまう。


 ロキがこのことを知ったのは今朝早くだった。

 エルナの様子を見るため、ホァンのアパートで一夜を明かしたロキは切羽詰った様子のドンに起こされることになった。


「すぐに来てくれ。あまりいい知らせじゃあないが……」


 そう言うドンは非常に沈痛な面持ちだった。どう考えても悪いいことが起こったのだ。


 勘弁してくれ。昨日の今日で友人が死んだというのにこれ以上何があるというのだ。


 そんな想いをあっさりと裏切られ、ロキの暗鬱たる思いは最悪の形で現実になった。

 ロキの周りには変死事件の現場を見ようとする野次馬で溢れていた。しかし今のロキはその野次馬たちを追い払おうとする気力はなかった。


 しかしまとまりのなかった野次馬が突然静まり返り、まるで王のゆく道を開くように道の端へと移動してく。

 事実、それはこのスモッドの街を支配する王のお出ましだった。


「まったく、この街は何時からこんなに死体が生まれるようになったんだろうね」


 ホーキンスは心底うんざりとした面持ちで路地を歩む。その悠然と歩む様を見て野次馬たちはそそくさと逃げ出す。


「おや? ロキじゃないか。こんなところで会うなんて奇遇だね」


 白々しい程意外そうな声にホーキンスはロキに声を掛けた。

 その声に反応してゆっくりとボボだった死体から顔を上げホーキンスを見やる。もはやロキには何の感情も発露することができなかった。


「……もしかしてそれも知り合いだった? そりゃご愁傷様」


 ホーキンスは恐ろしい程感情が漂白された顔でロキに形だけ気遣うような言葉をかけた。


「お前こそ、テメェの庭で死体がゴロゴロと大変なこったな」

「本当だよ。昨日のことでいろいろと後処理が大変なのに。続けざまにこうこられては安眠できないよ。その死体もどうしてそんなことになったのか……」

「どうしてだろうなあ?なんかやべぇ取引でも見たんじゃねぇのか?」


 ロキがそう言った瞬間、ほんの一瞬だったがホーキンスから刺し殺すような視線が向けられた。さっきのような無表情に戻し慎重に声を出した。


「どういうこと? 何か知ってるのかい?」

「何を知ってると思うよ? なあ、ホーキンス」


 まるでこれから殺し合いでも始めるのかとでも言うようなお互いの視線が交じり合う。

 睨み合う二人の時間は二人が思うより短く、ほぼ同時に二人は視線を逸らした。


「まあ、いいや。昨日の今日で大変だったでしょ。それの処理はこっちでやっとくから」


 それだけ言い残し、ホーキンスは踵を返して来た道をもどった。

 ホーキンスの姿が完全にこの路地から消えた頃、どこからともなくドンが現れた。

 ドンが話しかける前にロキは声を出した。


「爺さん。売人の入手ルートってどうなってる?」

「……お前さんの睨んだとおりだ。売人の奴らで自らこの街に運んできた奴は一人もおらん。ただの一人もな」

「そうだろうなあ。そうじゃなきゃおかしいんだよ」


 ロキは引つるように小さく笑った。


「爺さん、これから一緒に来てくれ」

「かまわんが、どうするんだ?」

「もう、終わらせんだよ。このくだらねぇ茶番をな」


       *


 ボボの死体を確認した後、ロキはドンを連れてホァンの診療所に向かった。

 診療所の一室でシルヴィアたちとホァンを交えてロキは事情の説明を行った。エルナは今も休んでいて、ヒカリはエルナに付いていた。


「そんな……。ボボさんが?」


 今朝早くに発覚した事件を聞きシルヴィアは口を抑え狼狽した。

 ボボとは一昨日であったばかりであるが、ロキの居場所を教えてもらったり、ボボのためにシナロアの調査を行おうとしたりと、ただの知り合いを超えた繋がりのようなものを感じていた分シルヴィアの動揺は大きかった。


 それにしても、この街は一体なんなのだろうか。

 戦場でもない。内戦やテロが起きているわけでもないのに、こんなにも人が死ぬことがあるのだろうか。

 シルヴィアの動揺に答えるようにロキは話を続けた。


「犯人はわかってる。十中八九シナロア。ホーキンスの野郎だ」


 突如語られたロキの言葉に場の空気かざわついた。

 確かにシルヴィアの脳裏に一番初めに浮かんだのはシナロアだった。昨日のジュリィを殺害した事実はそれだけの印象を与えていた。


 しかし、そうなると何故ボボが殺されなければならなかったのかという疑問が浮かび上がってきた。

 その疑問を口にする前にロキが説明を始めた。


「ボボが死んだのは一番街。昨日ジュリィが死んだ路地の近くだ。俺はボボには再三一番街に近づくなと言ってきた。それでもあいつがあそこに向かったのはジュリィが殺されたからだろうな。あいつらの付き合いは俺より長い。運び屋をしてるボボは街の情報に耳が利く。ジュリィをせめて偲びたい気持ちであの路地に行ったんだろ。それでホーキンスに殺された」

「けど、それがどうして殺されることになるんだ?」


 ギムレットの疑問の声にロキは一旦深く息を吸って呼吸を整えた。


「おそらくは、余計なモンを見たか聞いたかしたんだろうな」

「余計なこと?」

「その前にまず話しておかねばならんことがあるだろう?」


 話に割り込むようにドンがそう言った。その言葉にロキは「そうだな」と短く答え今度は全員を見て話を始めた。


「俺がホーキンスからクスリの売買ルートを探るように依頼されたのは昨日言ったが、続きがある。俺はこの二年近く街中の売人とっ捕まえてきたが確かな売買ルートを掴むことができなかった。売人に聞くと「クスリは別の売人から流してもらった」の一点張りだ。明らかにおかしいだろ? まるで出処を悟られないように念入りに隠してるみてぇだ。このままじゃ埒があかねぇと思った俺はこの爺さんにあることを依頼した」


 話しながらロキがドンを顎でしゃくると、ドンはため息混じりにロキに代わって話し始めた。


「儂は知り合いのマスターやホァンによくこの街に来るんだが、そのついでとばかりにこの街に出入りする者の動向を依頼されたんだ。いったい誰がこの街にクスリを持ってきてるのかとな」


 ドンのその言葉にシルヴィアは理解した。ドンとシルヴィアが初めてあの喫茶店で出会い話したことを。


 シルヴィアたちは観察されていたのだ。自分たちは誰がどう見てもこのスモッドの街から浮いた存在。余所者であることは一目瞭然だ。だからこそドンに世間話の体でシル

ヴィアたちを調べた。観察した。

 シルヴィアのその考えを察したのかドンは少し申し訳なさそうな顔を向けた。


「まあ、結論から言うとだ。この街に薬を運んでくる奴は、存在しなかった」


 ドンの言葉にロキとホァン以外の者たちは疑問の表情を浮かべる


「どういうことですか? 事実として薬物はこの街に蔓延しているんですよ?」

「そうだな。確かにスモッドにはクスリが溢れかえっておる。が、それをここに持ってくる売人はおらん。だったら自ずと答えは明らかになるとは思わんか?」


 ドンは思わせぶりにそう言ったが、シルヴィアたちには何が何だかわからなかった。

 その答えを示すようにホァンが煙草を吹かしながら声を出した。


「昨夜ロキが説明したとおり、この街の物流は全てシナロアが握っている。さらにこの街では流れの行商人すらシナロアの承認なしには商売することもできん。つまりこの街では何かを買うということは全てシナロアに関係しているということだ」

「つまり……」


 今まで沈黙を貫いていたギルバートが小さく、だがハッキリとしてた声で全ての答えを提示した。


「つまり、この街に麻薬を運び、売りさばいているのもシナロアということですね?」

「……そういうことだ」


 ギルバートの答えを賞賛するようにホァンは両手を仰いだ。ギルバートはそんなホァンの態度を横目に自らが出した答えを裏付けるように言葉を続けた。


「昨日のロキの話を聞いていてから違和感があったんです。この街はシナロアカンパニーの支配力が強い割にどうしてそこまで麻薬が蔓延しているのかと。答えは簡単だった。シナロアカンパニーそのものが裏から麻薬の売買を助長させていたんです」


 ギルバートのその考察にロキは「その通りだ」と言って肯定した。そして付け加えるように話を代わって喋りだした。


「シナロアの収益はな、主に物流が四割、卸業が四割、そして娼館っていった風俗業が二割だ。普通、物流・卸はセットだが、風俗業は完全に別の稼ぎだった。だがな、街の売人はクスリが売れたらその売上のほとんどを娼館に落として言ってるんだよ。シナロアの経営する娼館にな。端からみれば、そりゃあ効率のいい稼ぎ方だぜ」


 そう言ってロキは皮肉たっぷりに歪めた笑顔で笑った。その歪みかたは殺意すら覗いていた。

 ここで、なんとか話についてきたギムレットがふと湧いた疑問をロキに興奮気味に投げかけた。


「だがよ、シナロアはオメェにクスリのルートを調べるように依頼したって言ったじゃねぇか。おかしいだろ。なんで流してる本人がそれを邪魔するような仕事を頼むんだよ?」

「そんなもん、俺っていう不穏分子を監視するためだ。あのまま野放しにしたら後々面倒なことになると思ったホーキンスは依頼っつう鎖で俺を繋いだんだよ。実際やりづらくてしょうがなかったぜ。定期連絡の義務化に俺への監視の正当性を押し付けられたのはなぁ。そして邪魔になったらすぐに始末できるように目の届くとこに置いておいたんだよ。ボボやジュリィみてぇにな」


 ロキは話しながら苦虫を噛み潰すような表情に変わる。


「ホンット、あの野郎はマジで頭がキレる。徹底的に俺の行動を制限して、クスリのルートがバレないギリギリをずっと渡ってきた。事実、爺さんがいなけりゃここまで確証は得られなかった」


 忌々しげに頭を掻くロキの姿にギルバートは僅かにだが驚いた。


 ロキは常に飄々として余裕に満ち溢れる態度だった。それはロキの余裕を支えるだけの知識と己への絶対的な自信だった。

 そんなロキがこうも取り乱しているのはギルバートからしたら異常だった。

 それだけアルベルト・ホーキンスという人物の底の知れなさを痛感する。


 しかしギルバートの焦燥を嘲笑うように、ロキは強い眼差しを周囲に向けた。


「だが、それも今日までだ。さっき爺さんに事実確認を済ませた。シナロアがクロなのはほぼ確定だ。あとは証拠を押さえりゃいい」

「証拠? でもどうやって?」


 シルヴィアがロキそう質問した時、突然部屋の扉が凄まじい勢いで開いた。


「話は聞かせてもらった!!!」


 全員が轟音を上げて開いた扉の方を見ると、扉と比べるとかなり低い位置に胸を反りふんぞり返る見慣れた姿のヒカリが立っていた。


「……ヒカリちゃん、俺ら真面目な話してたんだけど」

「なにおう! あたしだって大真面目だもんー!」


 突然の空気を読まないヒカリの登場に先程までの深刻な雰囲気が一気に緩んだ。


 シルヴィアは頬を引きつらせて苦笑いし、ギムレットは頭を抱え、ホァンは苛立ちを孕んだため息を煙と共に吐き、ドンは愉快そうに笑っていた。

 周りの自分を馬鹿にしたような空気にヒカリは頬を膨らませた。


「むー! ロキ坊なんてぷぅーっだ! あたしがいつも天使みたいにニコニコしてるだけの可愛いだけの子だと思ったら大間違いだよ! あたしだってたまにはシリアルになれるんだから!」

「それを言うならシリアスだろ。その発言がもうシリアスじゃねぇよ。厚かましさもハンパねぇし」


 そんなふうに言い争いを続けるロキとヒカリを見かねて、ギルバートはため息を吐きながらヒカリを猫のように掴み上げた。


「ヒカリ。ロキの言うとおり俺たちは真面目な話をしているんだ。掻き回す様なら大人しくしていてくれ」

「あー! ギル君までそんなこと言うー! ちゃんと話は聞かせてもらったって言ったでしょー!」


 そんなふうにまさに掴まれた猫のようにジタバタしていたヒカリだったが、不意にきゅっと真剣な面持ちになった。可愛らしい眉が寄せられ覚悟のようなものが伺えた。


「悪い奴をやっつけに行くんでしょ? そうすればえるえるが怖がらなくて済むんでしょ?」


 そのヒカリの言葉にロキは柔らかい笑顔を浮かべて「そうだな」と言った。

「大丈夫! だってやっとギル君とロキ坊が一緒になったんだよ? 二人が揃えば世界を救うことだって簡単に出来ちゃうんだから!」


       *


 シナロアカンパニーが所有するビルの最上階、ホーキンスの書斎でホーキンスと部下の大男がいた。

 ホーキンスは書斎の自分の椅子に腰掛け、煩わしそうに体を預けていた。


「ご指示通り、あのネズミの死体をあのままにしましたが、よろしかったので?」

「ああ……。ちょっと確認したいことがあったからね」


 ホーキンスの言葉の意味が分からず、大男は眉をひそめた。

 その疑問を口にするよりも先に、ホーキンスはわざとらしくため息を声と一緒に吐き出した。


「鬱陶しいなぁ、彼」

「彼、とはロキのことですか?」

「ほかに誰がいるのさ。厄介な奴だとは思っていたが、もう目障りでしかないなぁ」


 目障り。ホーキンスはロキをそう言い示した。まさにそれは大男がロキに対して常々思っていたことだった。


 ロキはホーキンスからこの街から麻薬を排除するため動いていた。しかしそれはホーキンスの掌の上で踊っているだけ、そのはずだった。

 しかし、ロキは適当に探っているとは思えないほど凄まじい早さで売人を捕まえてきた。しかし簡単に捕まるような末端の売人では薬物がどこから流されているかはわからないはずだった。それでもロキの調査は日を重ねるごとに核心に迫ってくる勢いだった。正直定期報告の時などはいつその事実を突きつけられるのかと気が気ではなかった。そうならなかったのは単にホーキンスの手腕によるものだった。


 大男は心の底からアルベルト・ホーキンスという男の下についていることに安心した。

 この男の下にいれば、一生甘い汁を吸えると確信していた。


「もうさぁ。彼、殺しちゃおうか」


 ホーキンスはまるで古くなった食器を捨てる時のように仕方ないと言わんばかりの言い方でそう言った。


「もう、準備は出来てるよね?」

「ええ、もちろん。やっとあの野郎を始末できるってわけですね?」


 大男は邪悪に歪んだ笑顔でそう言った。


「ああ、この街での実験も大詰めだ。そろそろ幕を下ろそうとしようか……」


 ホーキンスは名残惜しそうな眼差しをどこともなく向けた。



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