どんづまりの街 17 ―交わす信頼―
いつの間にかすっかりと日が暮れ、スモッドの街には重苦しい夜の闇がのしかかっていた。
街に点在する古いガス灯が、火に飛び込み焼ける虫のような音をたてていた。
まるで自分の心情を表すよな街並みをロキは非常階段の踊り場から黙って眺めていた。
体重をかけたらあっと言う間に外れてしまいそうな手すりに背中を預け、ホァンからくすねた煙草を吹かしていた。
正直、煙草が好きというわけではないが、むしゃくしゃした時にたまに吸ってしまう。
吸いなれない煙が喉に絡みつき、鈍い痛みを連れ添う。その痛みを飲み下そうとしているうちにむしゃくしゃした気持ちも飲み下せそうな気がして。
そうしてただ漫然と煙草を吸っていると踊り場に隣接する扉が開く。
「あれ? ロキさん」
現れたのはシルヴィアだった。
「こんなところでどうしたんですか?」
「ああ。別に、風に当たってただけだ」
「そうですか……。いつの間にか夜になってたんですね」
そう言いながらシルヴィアは夜風になびく髪を押さえた。そんなシルヴィアを気遣うようにロキは煙草の火を揉み消した。
「エルナはどうだ……?」
「大丈夫です。今はすっかり落ち着いて寝ています。ヒカリちゃんが一緒についているので私も外の空気を吸いたくて出てきちゃいました」
ロキの問いにシルヴィアは肩を竦めながらそう答えた。ロキの初めて見るしおらしい態度に、できるだけ明るく振舞った。
その気持ちを知ってか知らずか、ロキも少しだけ雰囲気が和らぎ表情も緩んだ。
「そうか……。ヒカリちゃんが付いてんなら安心だ。あんたも悪かったな。いろいろと迷惑かけた」
そう言ってロキは雑に頭を下げた。
「いいんです。エルナさんは、もう他人じゃありませんから」
「そうか……。そう言ってくれんならエルナの奴も喜ぶぜ」
ロキは目を伏せて手すりに寄りかかった。錆び付いた手すりが耳障りな音を立てて軋む。
「ところで、なんであんた一番街なんていたんだ?あそこに用があるとは思えねぇが……」
「ああ、それは……」
シルヴィアは今日一日のあらましを説明した。
ロキにもう一度勧誘をしようと喫茶店に赴いたこと。
そこではロキが不在でその代わりにエルナに会ったこと。
エルナと話しているうちに、ボボが怪我をして現れたこと。
その事態の解決のためシナロアの事務所に向かい、案内をエルナに任せたこと。
その全てを包み隠さず、シルヴィアは説明した。
「そうか。ったくシナロアの奴ら、またボボにちょっかいだしたのかよ」
「すみません、エルナさんのこと知らなかったとはいえ案内を任せてしまって」
「ああ、気にすんなよ。あんたは本当に事情を知らなかったんだ。それに、あんな状況になることなんざ誰も想像できねぇよ」
申し訳なさそうに謝るシルヴィアにロキは適当に手を振ってそう言った。
そんな風に振舞うロキを見て、シルヴィアは昨日初めて出会った時の印象の差異に少し戸惑った。
昨日のロキは初対面のシルヴィアに対して容赦なく本質をついてきた。それは辛辣なほどに。
しかし今のロキは最低限相手の気持ちを尊重しているように見える。
シルヴィアはいくつかの点を繋げ、一つの答えを導き出した。
「ロキさん。昨日、私にあんなふうに突き放すような言葉を使ったのは、エルナさんのことを放っておいたままこの街を離れるわけには行かなかったからですよね?」
シルヴィアの言葉にロキは目尻を少しだけ強ばらせた。
「エルナさんを取り巻く現状を解決しないままここを去るわけにはいかない。しかし昨日のエルナさんもいたあの場所でそれを説明するわけにはいかない貴方は、わざとあんな言い方をして私を怒らせようとした。怒らせて、こちらから話を反故にしようとした。違いますか?」
シルヴィアは終始柔らかく、絵本を読み聞かせるように言葉を連ねた。
しかしそんなシルヴィアの様子とは裏腹に、ロキの表情は不機嫌そうに曇らせていく。
「まあ、私より先にギルが手を出してしまいましたけど……。でも、もしかしたらそれが本来の目的なのかもしれませんね。ギルの性格をよく知る貴方なら、ああ言えばギルが有無を言わずに話を終わらせると思って利用したんですよね?」
朗らかに言ってのけたシルヴィアにロキは忌々しそうというより気まずそうな顔をしながら視線を向けた。
「そういうのはよぉ、普通本人には言わねぇだろ」
「そうですか? いいじゃないですか、ロキさんの優しさの表れが出てて」
少し不器用だとも思いながら、シルヴィアはとても楽しそうに笑った。
そんなシルヴィアを見ながら呆れたようにロキはため息を吐いた。
「別に、あんたが半端だとは思っちゃいねぇよ。ギルが故郷を無くした辛さはわかってるつもりだ。だったらあんたの気持ちも多少はわかる。それにブリティアからこんなとこまで来てくれたんだ。本来ならこっちから頭下げて力を貸したいとこだったんだ」
ロキはすべてを観念したように語りだした。しかしどこか清々しい面持ちで、やっと本音を話せた安堵のようなものがあった。
「けどな、それ以上にエルナを、この街を放っておくことができねぇんだよ。テメェで拾ったモンを途中で放り出すなんざ、それこそ中途半端だろ?」
そう言って街を見下ろすロキの眼差しはとても強く真っ直ぐだった。
きっと彼は、短い間でもこの街で過ごすうちに、この街を何とかしたいという使命感を抱いてしまったのだろうとシルヴィアは思った。
それはとてもぶっきらぼうで、不器用な優しさだった。
「だが、昨日あんたに言った言葉が全部嘘ってわけじゃないんだぜ?」
「え?」
「いくら昔馴染みの言うことだからって俺のようなチンピラみてぇな風貌のやつをいきなり信用しねぇぞ、普通?」
「それ自分で言っちゃうんですか?」
ロキの言う言葉に苦笑いを浮かべながらシルヴィアはそう答えた。
しかしシルヴィアは苦笑いをすぐに引き、代わりのとても自然な笑顔を浮かべた。
「確かにそうかもしれません。でも人と人が信頼し合うのに深く理解し合う必要なんてないんですよ?」
「そういうもんかね?」
「そうですよ。その証拠に、私はロキさんのことはもう信頼してますから」
「どっからくんだよその根拠……」
「だって――」
シルヴィアはそこですうっと息を吸い、とびっきりの笑顔をつくった。
「ロキさんって、かなり甘ちゃんですよね?」
絶句。
シルヴィアの口からとてもではないが想像もできない言葉が飛び出し、ロキは平静さを保つこともできずに絶句した。
開いた口も塞げず、目を見開きシルヴィアを見ることしかできなかった。
そして間もなく、思い出したように吹き出した。
「ふっ! ハ、ハッハッハ!マジかよ、あんたそんなこと言うキャラだったのかよ!」
「なんです? お上品なだけの女の子だと思ってました? それは貴方が勝手に思い込んでいただけでしょう? 迷惑な話です」
「クックックッ。やられたぜ、ったくよ。……で、俺が甘ちゃんなら何なんだ? それにどんな因果関係があるってんだ?」
「別に、それだけですよ?」
「それだけ、だぁ?」
「ええ、貴方が甘ちゃんならそれで十分です。だって、女の子は甘いもの大好きですから」
シルヴィアがそう言うとロキはとても愉快そうに笑い続けた。
「ふざけた女だぜ。世間知らずなお嬢ちゃんだと思ってたが、あんた食えねぇ奴だな」
「もう一度言いますけど、迷惑です」
ロキの言ったことに、言葉とは裏腹にシルヴィアはとても朗らかな表情をしていた。
ひとしきり笑ったロキは、落ち着けるように深呼吸を一つした。
「負けだ。俺の負け。あんたのこと気に入っちまったぜ」
「何をもってして負けたのかわからないんですが……」
「いいんだよそんなこたぁ」
頭を掻きながらロキは右手をシルヴィアに差し出した。
「これまでのことは謝る。それと,俺でよければいくらでも力を貸すぜ。……まあ当面の問題を片付けてからだがな」
肩を竦めながらロキはそう言った。
上から目線な言い方だが、なぜか好意的に思えてしまったシルヴィアは口の端に笑をこぼしながらロキの伸ばした手を掴んだ。
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
「それなんだけどよ。あんた、俺のボスになるわけだろ?だったら敬語はやめてくれ。ムズ痒いし、ボスとして示しがつかねぇだろ。あと、さん付けもいらねぇ」
何故こうまでして偉そうなのだろうかと心の中では呆れ果ててしまったが、シルヴィアは自分にはその要求を断る権利はないと思った。
「ええ。これからよろしく頼むわね、ロキ」
「あいよ、お嬢」
そう言いながら二人は強く強く手を握り合った。
互いの信頼の表れが握る手に鈍い痛みを与えながら。




