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どんづまりの街 13 ―伸ばす手、掴む手―



 ある日、少女がいつものように暗い部屋で母親の帰りを待っていると扉から現れたのは見たこともない人物たちだった。

 どうでもいいことだが、少女が母親以外の人間を見たのはそれが初めてだった。


 部屋にずかずかと入り込んできた者たちは何かを確かめるように話をしたあと少女の手を引いて部屋から出る。

 目が眩むくらい強い光の中を強引に手を引かれ進む。


 もしや自分は助かるのではないかと少女は淡い期待をその胸中に抱いた。


 しかし、この街でそんな幸福が訪れることなどあり得なかった。

 それを示すように少女を連れ出す者たちのうちの一人は、少女のことを害虫を見るような目で見つめていた。



 少女を暗い部屋から連れ出したのは少女の母親が勤めていた娼館の人間だった。


 少女の母親はある日なんの前触れもなく姿を消した。

 特に意味もなかったし、それについて何かを思う人物もいなかった。

 そんなことはよくあることなのだから。


 しかし娼館側としては『商品』が減るということは避けたい。

 ただそれも、無くなったら補充するだけだ。


 いなくなった女は幼い子を飼っていたという情報は入っていた。

 娼館側はちょうど良かったと言わんばかりにその幼い子を娼館へと連れ出した。


 しかし幼い少女をいきなり娼婦として働かせたところで使い物になるはずもなく、さらに客からの需要もあるはずがなかった。

 最初のうちは、少女は裏で雑用を押し付けられていた。


 今まで暗い部屋でうずくまっていただけの少女はいきなり押し付けられた雑用を器用にこなせる訳もなく、娼館の人間にたくさん怒られたし、たくさん殴られた。


 はじめは訳のわからない暴力にたくさん泣いた。しかしそれはただ単に殴られる数が増えるだけとすぐに気づき泣くことを諦めた。

 せめて言われたことをやれば殴られる数は減った。


 理不尽と思っていたが、やることがあるというのは良いことだった。

 余計なことを考えずに済む。

 何もしない時間というのはどんどん悪いことばかり考えてしまう。


 少女は朝早く起きて、寝る寸前まで仕事をした。

 ほんの少しだけでも時間を持て余すことを恐れたからだ。

 少女の評価は娼館の中ですぐに上がった。

 都合のいい道具が出来たと。



 少女が娼館で働き始めて数年経った。

 もう少女は人間で言えば、成人する年頃となった。

 娼館側はとうとう少女を娼婦として働かせ始めた。


 少女はその判断にためらったが、少女の意見が通るとは思えないし、それを口にしたところで結果は見えている。

 結局、少女はすぐに慣れるだろうと、またしても諦めた。


 それはすぐに甘い考えだと思い知らされた。


 少女はほとんど布切れ同然の服を着させられ、娼館の大広間で接客をさせられた。

 今まで人の目につかない裏方の仕事をさせられていたから気がつかなかったが、他人から視線を向けられるということがこれほどまでにストレスになるということを少女は知らなかった。

 それが性的な視線ならストレスは計り知れない。


 少女は耳長族(エルフ)の血が入っているため、体つきは非常に華奢(きゃしゃ)扇情的(せんじょうてき)な凹凸もなかったが、白くキメ細やかな肌と整った顔立ちは充分客から性的な視線を集めた。


 娼婦の仕事を始めてしばらくは大広間で客に酒を注ぎ、執拗(しつよう)なボディータッチに耐えるだけの毎日だった。

 しかしある日、とある客から指名が入り少女は客に連れられ初めて、客を一対一で接客する個室へと連れたれた。


 そこで何が行われるかも、少女は知っていた。

 覚悟もしていた。ここで働くということはそれを避けては通れない。


 諦めたつもりだった。諦めて身も心もこの街に染めるつもりだった。

 しかし、そんな覚悟など短くなったロウソクの火よりあっけなかった。


 地獄だった。


 男の視線が少女の肢体(したい)(ねぶ)る。それだけでそこが腐臭をたてて腐り落ちるような不快感に晒された。

 男の手が体を這う。それだけでむき出しになった脊髄(せきずい)を羽虫が這いずり回るような嫌悪感に襲われた。

 男の性器が少女の身体を貫く。それだけで形のないはずの心が血を滴らせながら削られていくような絶望感に(さいな)まれた。


 到底そんな感情を隠すことなどできなかった。

 そのせいで客に苦情を言われたとしたらまだ救いがあった。

 娼婦からまた雑用に戻るだけだ。


 しかし、少女は“そういう”客にうけた。非常に。執拗に。

 少女のかすかな抵抗は逆効果でしかなかった。



 そんな日々が幾日か続いた。

 少女は全く慣れなかった。


 ある日娼館側は、口には出さないが不満を募らせる少女にとある措置を取った。

 娼館はどんなことも快感に変わるという栄養剤と少女に言い、与えた。


 効果は絶大だった。

 あれ程嫌悪感しかなかった仕事が一転して幸福以外の何者でもなくなった。


 ただ不快でしかなかった視線は、向けられただけで心臓が跳ね。

 ただ嫌悪感しか抱かない愛撫は、洗礼を受けたかのような幸福感に満たされ。

 ただ失うばかりの情事は、脳を貫くほどの快楽になった。


 少女は栄養剤に溺れた。仕事にのめり込んだ。少女を取り巻く全てに、依存した。


 しかし、そんなことが長く続くわけがなかった。


 娼館が少女に与えたのは栄養剤でもなんでもなく、とある客から押収した薬物だった。

 それがどういうものかを知っていて少女に与えた。


 所詮、娼館にとって少女など使い捨てでしかなかった。

 使い捨ての駒が短い使用期限でどれだけの利益をあげるかしか念頭になかった。


 すぐに、少女という器は限界に達した。


 突然、少女は悪魔に襲われる幻を見た。

 悪魔としか形容ができなかった。

 汚泥より黒く、糞尿より汚いそれは、少女の世界では悪魔としか言い表せなかった。


 少女はとうとう逃げ出した。

 少女に向かって手を伸ばす悪魔を無我夢中で振り切り、絶叫を上げながら逃げ出した。

 その悪魔とは少女が薬物によって客を悪魔と見間違えただけだったが、どっちでも変わらなかった。


 もう嫌だ。

 少女は叫んだ。


 誰も聞いてはくれない。誰も助けてはくれない。

 それでも少女は叫んだ。


 何故自分がこんな目にあうのか。

 自分が何をしたというのか。


 少女は全てを呪いながら逃げた。

 こんな街に逃げきれる場所などないのに。


 今自分がどこを走っているかもわからない時、少女は突如身体に走る激痛により勢いよく転倒した。

 石畳に裸同然で転んだため体中すりむいた。しかしそれ以上の激痛が全身を走り、流れる血など気にもしなかった。


 薬物の禁断症状でそよ風すら少女には火炙りにあったかのような痛みに変わった。


 もう立つこともできない。

 少女はそれでも、逃げたかった。


 誰か助けて。

 手を伸ばし、言葉になったかもわからなかったが少女はそう言う。


 誰でもいい。

 神でも悪魔でもなんでもいい。自分を助けてくれるなら何にでも(すが)る。


 誰か。

 誰か誰か誰か誰か誰か。

 誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か。


「だれか、たすけて……」


 少女の声は夜の(とばり)に溶けていく――。

 はずだった。


「あいよ」


 ぶっきらぼうな声と共にその人は少女の手を掴んだ。

 その人は神というにはずいぶん粗暴で。

 その人は悪魔というにはずいぶん真っ直ぐな瞳をしていた。



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