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どんづまりの街 12 ―泉の妖精と真面目な青年―



「私の名前、実は『エルナ・ベール』からとったんです。こう言えば何かわかりますよね?」


 シルヴィアはもちろんと言うように頷いた。

 そもそも初めてエルナの名前を聞いたときも『それ』が一番最初に思い浮かんだ。


「『泉の妖精と真面目な青年』に出てくる妖精の名前ですね」

「あたしも知ってる。たぶん世界で一番有名な絵本じゃない?」


 そう『泉の妖精と真面目な青年』とは大昔の寓話をもとにして作られたある一つの物語だ。


     *


 泉の妖精エルナ・ベールはある日一人の青年に恋をしました。


 青年はとても誠実で真面目な人間でした。


 自分よりも他人の幸福のために生きました。


 隣人が笑えば、自分のことのように喜び。


 隣人が泣けば、自分のことのように悲しみました。


 そんな不器用で優しい青年に妖精は恋をしました。


 しかしそれは叶わない恋。


 自分は妖精で、青年は人間です。


 妖精は人前に出ることは出来ません。


 妖精は遠くから青年を見つめることしか許されませんでした。


 妖精は人間になりたかったのです。


 ある日青年は病気になりました。


 とても熱が高くて意識がもうろうとします。


 目も開けられないほど。


 青年が苦しんでいるところを見ていられない妖精はこっそり看病をすることにしました。


 青年は熱が高くて目が開けられなかったが、誰かが懸命に看病してくれたのはわかりました。


『僕を看病してくれるのは誰?』


『わたしはエルナ・ベール。いつもあなたを見てました』


『僕なんかのことを?』


『なんかじゃありません。あなたはとても素敵な人です』


 妖精は何日も何日も看病を続けました。


『ありがとう。僕はあなたのことが好きになってしまった』


『うれしい。私もあなたのことがずっと好きでした』


 妖精の必死の看病のおかげで青年はすっかり元気になりました。


 妖精は青年の前から姿を消しました。


 妖精は決して人に見られるわけにはいかないのです。


 なぜなら妖精は人に見られたら存在することができないからです。


『エルナ。エルナどこだい?』


 青年は妖精のことを探しました。


 しかしどこを探しても見つかりません。


 妖精は悲しくて泣きました。


 青年に何も言わず去らなければならなかったことが悲しかったのです。


 青年はとうとう妖精の住処の泉までやってきました。


 妖精は辛くて泣きました。


 ここまで来てくれたのに会うことができないのが辛いのです。


 青年は泉の周りを探し回りました。


 その時、青年は足を滑らし泉に落ちてしまいました。


 泉の水は冷たく、すぐに動けなくなりました。


 青年は薄れゆく意識の中に誰かが手を引くのがわかりました。


 手を引くのはこの世のものとは思えないほど美しい妖精でした。


 そして自分の手を引くその手には覚えがありました。


 その妖精は自分を看病してくれたエルナ・ベールだったのです。


 青年は助かりました。


 青年は泉のほとりで泣きました。


 妖精が人前に出てきてはいけないことを知っていました。


 自分のせいでエルナ・ベールが消えてしまったことに気がついたのです。


 青年は泣き続けました。


 森がおおきくさざめきたちました。


 まるで妖精が泣かないでと言うように。


     *


 地域差によって細部が異なったり、最後は妖精が人間になるハッピーエンドもあるようだが大体の流れはこういったものだ。

 何十年も前にどこかでふとした瞬間に生まれたこの絵本は国を超えて売れた。


 原案の寓話を簡略化し、わかりやすい文体と可愛らしい絵が受けて数多くの子供たちに読まれた。

 シルヴィアももちろん知っていた。

 幼い頃はこの絵本を読んで泣いてしまった記憶が思い出され、心の中で小さくほころんだ。


「素敵な名前ですね。親御さんが絵本から取ってつけてくれたんですか?」


 シルヴィアの問いにエルナは首を振った。


「いえ、そうではありません。というより、この名前は私の本当の名前ではないんです」

「え、それはどういう……?」

「この名前は、ロキからもらった名前なんです」


       *


 暗い。

 ただひたすらに暗い記憶だった。


 とある女の子の思い起こされる記憶のほとんどはそれだった。

 古くいつ折れるかわからないような安っぽいビルの一室。

 陽の灯りが全く入り込まない室内でただ膝を抱えていた。


 いつから自分がそうしていたのかはわからない。

 もしかしたら生まれてからずっとそうしていたのかもしれない。


 ――お母さん……。


 口に出したかもわからないつぶやきが室内の闇に溶ける。

 それに応えるように、部屋の扉が開く。


 そこから現れた女は少女を見た途端、汚物を見るかのような視線を送る。

 直様、怒りに歪んだ口から罵詈雑言が飛び出す。


 内容はよくわからない。もはや何を言っていたかも思い出せない。


 少女は母親から慈しみのこもった言葉をもらった記憶がない。

 いや、もしかしたらひとつまみ分位の言葉は貰えたのかもしれない。


 しかし、そんな記憶は少女には残ってはいない。


 重要なのは、その時少女は愛のある言葉を貰えなかったということ。

 重要なのは、少女は母から愛されていなかったということ。

 


 少女の母は、この街で生まれた半亜人種の人間。

 この街ではよくある、娼婦が客との性交によりできてしまった子供だ。


 娼館側としては、娼婦が身重となってしまっては仕事に支障がでるため基本的に堕ろさせようとする。

 しかしこの街の娼婦は子を孕んだ場合自らの意思で堕ろそうとする者は少なかった。


 何にも縋れず、頼れず、まるで生きながらにして生きていることを否定されているかのような人生を送る者たちにとって、己の中に息づく生命は何にとってもかけがえのないもののように感じてしまう。


 そのため、周りにはひた隠しにして強引に子供を産もうとする娼婦は、割と後を絶たない。


 この街の人口はそうして増えていった。

 少女もそうして生まれた。


 しかし、自分のお腹の中に居た時、そして生まれてすぐは慈愛の限りを尽くすが、それは長くは続かない。当たり前だが人一人を養うのは簡単なことではない。


 自分一人で生きていてときとは単純に倍の金がかかる。

 さらに乳飲み子であれば片時も離れるわけにもいかず、金も稼げない。

 そんなストレスを嘲笑うかのように泣き叫ぶ赤ん坊。


 次第に母親は愛をすり減らし、いつしか腹を痛めて産んだ我が子は嫌悪の対象となる。

 少女も多分に漏れず、母親から向けられる感情は悪意が増していった。


 何度、産まなければよかったと言われたことか。

 何度、何故そうしなかったのかと思ったことか。

 何度、自分がどうして生まれてきたのかと思ったことか――。



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