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どんづまりの街 10 ―欲しても、欲しても―



 ロキはいっぺんに語り、短く息を吐いた。


「昼間にあった下品なスーツ着た野郎がいただろ? あいつはシナロアの幹部でホーキンスって奴だ。あいつはシナロアのボスからこの街の全権を任されてる。若いが仕事の実力は折り紙付きだ。俺はホーキンスからこの街に出回ってるクスリの出処を洗い出すように依頼されてる」


 最後に付け加えるようにそう言って話を終えた。


 思った以上に壮絶な街の成り立ちを聞いたシルヴィアは言葉が見つからなかった。

 街を歩いていた印象はそこまでの事情を住民たちが抱えているとは考えられなかった。


 しかしある意味では合点がいった。

 街を歩く人々はまるで何かを諦めたような眼差しで日々を生きている。


 そう彼らは諦めていたのだ。現状を、社会を、そして己の人生さえ。


 そう考えているとふとおかしい点に気付きシルヴィアはロキに問いかけた。


「しかし、そのホーキンスという方は何故わざわざロキさんに麻薬の捜査の依頼をされたのですか? シナロアの組織力なら自力で割り出すこともできるでしょうし。何より麻薬の流通は評議会が定めた大陸法によって厳しく取り締まられているはずです。本来ならこういった場合は評議会の監査官が捜査を行うはずです」


 シルヴィアはごく当たり前なことを言ったのだが、部屋の端にいたホァンがそれを聞いて嘲笑のような笑い声を漏らした。


「監査官、ねぇ。残念だがそんな連中は来やしないさ」


 皮肉混じりの笑みでホァンはそう言った。その真意をシルヴィアは理解できない。


「評議会が定めた大陸法で規制されているのは危険レベルが“C”以上の薬品だ。しかし今この街で出回ってるのは“ポロン”という名の薬品は危険レベルは“D”だ。そんなもんのために評議会が動くことはないだろう」


 ホァンはそう言ってタバコを再び吸い出す。

 シルヴィアはまだ理解できない。


「危険レベル“D?もしそうだとしたら本当に出処を洗い出す必要はあるのですか?」


 大陸評議会が定めた大陸法。その中で危険薬物の危険度を示す危険レベルだが、評価は五段階あり“A”から“E”まである。


 “E”は用法用量を守れ。

 “D”は人によっては経度の副作用有り。

 “C”は人によっては重度の副作用有り。

 “B”は強い副作用及び依存性有り。

 “A”は人体に明らかな悪影響、重篤な依存性。


 おおまかにこのような定義付けをされている。

 世界中に流通・開発されている薬品は評議会の検閲によって全てこの危険レベルが設定されている。


 とは言っても九割以上の薬品は“E”レベルだ。

 “D”でさえ、医師の診断によっては普通に服用できるものがほとんどだ。


 そうであるのなら規制されることはないし、そもそも今回のように出処を探し出すといった事態になるはずがない。

 シルヴィアはそう言った意味を込めてそう言葉を出したのだが。


「確かにそうだ。“D”程度のシロモンなら、シナロアの連中だって歯牙にも掛けんだろう。ただの“D”ならな」


 ホァンは思わせぶりにそう言った。続きが気になるが当の本人はどうでもよさそうに煙を吐く。


「“ポロン”は魔素を豊富に含んだ土壌にのみ花を咲かせる植物から取れる樹脂から生成される薬品だ。その樹脂を乾燥させ粉末にしたものを“ポロン”と呼ぶ。こいつは軽い強壮剤や痛み止め程度の効果しか無い。が、それは“ただの人間”に限ってはだ。“ポロン”は亜人種に限っては劇薬に相当する効果が出る」


 ホァンの言葉にロキ以外の人間が騒然とする。


「亜人種にだけ……? そんなものがありえるんですか?」

「正確には、細胞内に一定以上の魔素反応がある人間にとってはだ」


 シルヴィアの疑問の声にホァンはそう訂正した。


 そもそも世界中に点在する亜人種と呼ばれる存在には明確な定義がある。

 人体から取り出された細胞を特殊な薬品に付け、陰性反応が出た種を亜人種と呼ばれる。


 特殊な薬品とは、一定量を超えた魔素に触れると変色反応が起きるもので、評議会はこれを利用することにした。

 その薬品につければ変色反応は二パターンしかないということものも判断のしやすさから採用に拍車がかかった。


「亜人種が“ポロン”を服用した場合、強烈な多幸感や爽快感が生じ、感覚も鋭敏になり、まるで天にものぼるような幸福感が得られると言われる。しかしその分、依存性は計り知れん。さらに長い間摂取しなくなると全身に激痛、幻覚や幻聴なんてのも当たり前に出てくる。亜人種限定で言えば危険レベルは軽く“B”を超えるだろう」


 シルヴィアはホァンの言葉にまたしても驚愕する。

 もはや“B”レベルの薬物など世に出回っていい代物ではない。


「“B”……!? そんな。なんでそんなものを評議会が“D”レベルに設定してるんですか!?」


 シルヴィアは怒りにも似た感情をホァンに向けたが、当人はそんな気持ちなど知りもしないようにタバコをふかしていた。


「そんなもん、『人間には害がない』からに決まってんだろ」


 シルヴィアの言葉にそう答えたのはロキだった。

 ロキは荒んだ眼差しで、苛立った声でそう言った。


「評議会が決めた大陸法なんざ、所詮『人間のためのルール』だ。その中にはエルナやボボやジュリィ。この街の大多数の人間に向けた決まりなんざ一つもありゃしねぇよ。おおっぴらには言われてねぇが、評議会は人間以外の種族は人間じゃねぇっつってんだよ」


 それは薄々分かっていたことだった。


 この街に来る途中、大陸鉄道で話していたことが思い出される。

 この世界で亜人種を積極的に守ろうとするものはいない。

 自分たちが勝手に利用して、今度は勝手に見捨てようとしているのだ。


 ロキの言葉に反論も同調もできずシルヴィアが黙っていると、今まで喋ろうとしなかったヒカリが口を開いた。


「あのさ、そんなことより一番大事なことロキ坊から聞いてないよ」


 この街の成り立ち。

 シナロアカンパニーによる街の支配。

 亜人種にのみ効果を示す薬物。


 それすら押しのけて、ヒカリは一番大事なことと言った。


「ねぇ、えるえるはなんであんなに怖がってたの? なにが辛くてあんなに泣いてたの?」


 ヒカリはロキの目を真っ直ぐ見てそう言った。

 まるでその言い方は悪いことをした子供に何をしでかしたのかを問いただす母親のようだった。

 ロキは一瞬、虚を疲れたような表情を浮かべたが、すぐにそれはおさまり代わりに覚悟を決めるように眉を寄せた。


「あいつは……。エルナは、シナロアが経営してるいくつかの娼館のうちの一つで娼婦として働いていた女だ」


 それは、ある意味予想できていた答えだった。


「エルナはある時に娼婦であることに嫌気がさして逃げ出した。その時たまたま俺があいつを拾ってそのまま身請けした。その返済として、俺はホーキンスからクスリの調査を依頼された。……娼婦の時に何があったかは知らねぇが、それは充分エルナの精神にトラウマを植え付けたんだろうな。だから娼館のオーナーでもあるホーキンスを見て娼婦時代の記憶がフラッシュバックした、そんだけだ……」


 ロキは早口でそう言い締めた。それこそ拗ねた子供のようだった。


 ロキの言葉でシルヴィアは全てに納得が言った。

 そもそもロキやボボ、そして薬物で錯乱していたジュリィすらも一番街に近づいたというだけであれだけエルナを責めたのはそういうことだったのだ。


 そしてホーキンスを一目見ただけであれだけ取り乱したことも。


 ほんの一瞥だけでああも取り乱すとは、もはやエルナの過去に何があったか想像もできない。


 ロキの言葉を噛み締めるように聞いたヒカリは今度はロキを慰めるような視線を送り、目を逸らした。


「あたし、えるえるのそばにいるね。せんせー、えるえるどこ?」

「……右に三つ離れた部屋だ」


 ホァンのぶっきらぼうな返答に「ありがと」と短く礼を言ってヒカリは部屋を出ていった。


「私も、エルナさんのところに行きます」


 ほぼ反射的にヒカリに追うようにシルヴィアは腰を上げそう言った。


「……悪ぃ。そうしてやってくれ」


 力なくそういうロキにただひとつ頷いてシルヴィアも部屋を後にした。

 シルヴィアの足音が遠ざかり、部屋には再び静寂が訪れた。


「悪かったな、ギル。余計なことに巻き込んでよ」

「……構わないさ」

「おっさんも。俺のこともエルナのこともマトモに知りもしねぇのによ」

「気にしてねぇよ。割と慣れてんだ。状況に振り回されるのはな」

「ははは……。何だよそりゃ」


 ギムレットの言葉に力なく笑ったがすぐに表情は消え長く深いため息を吐いた。


「ったく自分の甘さに呆れるぜ。先生の言ったとおりだ。気ィ抜いた途端にボロボロだ。田舎から意気込んで飛び出して、『逆十字』潰してやるっつっといて、今じゃこのザマだ」

「……そんなに卑下するほどじゃないだろう? お前はそこら辺の魔法使いよりよほど知識も実力もつけてきた。だが、全てが思い通りにいくわけじゃないということもわかるだろう?」

「そうだぜ。お前さんのことは、あんま詳しかねぇが治癒魔法の言語化とか普通の魔法使いじゃそうそう簡単にできねぇ芸当だぜ?」


 最初出会ったときの印象とは違い、打ちひしがれたような様子のロキを気遣うようにギルバートとギムレットは慰めるような言葉を出した。


 しかし、それすらもロキは乾いた声で一笑に付した。


「魔法が使えるからなんだってんだよ……。欲しいもんは、何も手に入りゃしねぇ……」


 その言葉の真意を問う前に、ロキは腰を上げ出口に向かった。

 少し風に当たるとだけ言い残し、ロキは振り返らずに部屋を出た。


「フン。惨めなものだな……」


 ホァンはロキに向けてか吐き捨てるようにそう言った。


「さて、お前らはどうするんだ? 正直、用がないならとっとと出て行って欲しいんだが」


 部屋の残ったギルバートとギムレットに対し、ホァンは飽くまで鬱陶しそうに言葉を投げた。


 ギムレットは最初、言われた通りここを離れようともしたがシルヴィアやヒカリを置いていくわけにも行くまいと少しばかり逡巡した。


 そしてその代わりというわけではないが、当初から疑問に思っていたことについてギムレットはホァンに質問しようとした。


「なぁ、先生よ。どうしてロキはあの嬢ちゃんにあそこまで献身的になるんだ? さっきの話じゃたまたま助けたとか言ってたが、見ず知らずの人間にそこまでするか、普通?」


 馴れ馴れしく問いかけるギムレットにホァンは最初不機嫌そうに眉を寄せたが、次に怪訝そうな視線を送った。


「お前ら、あいつの知り合いなんだろう? だったら話すまでもないと思うが……?」

「いや、俺はほとんど初対面みたいなもんだ。あいつと親しいのはこのギルバートだからな」

「ほぼ初対面の人間がここまで首突っ込めるのも可笑しな話だと思うがな」


 ホァンの言葉にぐうの音も出ないギムレットは困ったように頭を掻いた。


「ギムレットさん。そう、難しい話じゃありません。俺はロキの話を聞いて納得しました」


 相変わらず言葉足らずにギルバートはそう言う。


「ロキは、助けてと言われたら助けないという選択肢を持てないだけです」


 結局意味のわからない答えにギムレットは訝しんだが、ホァンには何か響いたようでしゃくりあげるような笑い声が漏れた。


「なるほど、確かにロキのことは詳しいようだな。……そうだな、それなら教えてやろう。ロキの奴がどうしてエルナにあそこまで尽くすか」


 先程とは一転して上機嫌になったホァンがそう言った。


「どうしたんだよ、突然?」

「いやなに、どうせだったらお前らにも背負わせてやろうと思ってな。それにこの事を話したと知ったらロキがどんな顔をするかと面白くなった」


 顔の片側だけを引きつらせた歪んだ笑顔でホァンは愉快そうに言う。


 突然のことで理解できなかったが、事情を知れるなら是非もないとギムレットは黙ってホァンの話を聞くことにした。


「もう二年程前になるか。ロキはな、エルナ一人のためにこの街に喧嘩を売りつけやがったんだ」



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