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どんづまりの街 8 ―銃声と悲鳴―



 何故気がつかなかった。


 路地裏を駆けながらロキは自分自身に悪態をつく。


 いや、気がつかなかったのではない。

 兆候はあったのだ。


 昨日、店に訪れていたジュリィを見たときにも違和感を感じていた。

 ひどく(やつ)れ、目の下には濃いクマ。

 上がり下がりの激しいテンション。


 どれも薬物中毒者の症状と言える。しかしただの疲れや心労とも言える。


 ロキは自分の友人がまさかと目を瞑っていたことを自覚した。

 ジュリィら知り合いには「クスリに手を出すな」と再三口にしてきた。


 そうでなくともこの街で麻薬に溺れ、身を滅ぼしたものは数多くいる。

 麻薬に手を出したものがどんな結末を迎えるか容易に想像できる。


 まさか自分の知り合いが――。


 ロキは己の認識の甘さに反吐が出る。

 そうやって目をそらしてきたゆえの現状だ。


 ジュリィの先程の様子から鑑みて、かなり麻薬の常習者だろう。

 もう、後戻りができないほどに。


 しかし事が遅すぎるということはない。

 最善を尽くせば元通りとはいかなくとも元に近い状態まで戻すことはできるはずだ。


 なにより、実例があるのだから。


 生きてさえいればなんとかなる。

 そう自分に言い聞かせ狭い、迷路のような路地を走り回る。


 ――すると路地の奥から現実味のない破裂音が響く。


 建物に反響しどこから発せられたかわからない。

 立ち止まったロキに応えるかのように先程と同じ破裂音が二度三度と響いた。


 今度はわかった。


 音の発生源を見抜いたロキは踵を返して走り出す。

 ふと正面からギルバートが走ってくる。


 ぶつかるか否かという寸前、お互い脇道に方向転換し併走して進む。


「今の破裂音はなんだ?」

「わからねぇ。だが、いい予感もしねぇ」


 それを指し示すようにロキの表情は曇っていく。


 ギルバートはあえてそれ以上何も聞かず路地を進む。

 二人の走る足音が路地にこだまする。


 不安を煽られる。


 破裂音がしたであろう道へ続く路地に差し掛かる。


 最悪の光景がロキの脳内に浮かぶ。


 それを必死に否定し、ロキが、ギルバートが路地を曲がる。

 その道はここまでの道より多少広く二、三人が並んで歩いても多少の余裕があった。

 おかげでこの先で何が起こっているのかがはっきりと解る。


 路地の奥にはこの街では見ることはできない、やたらと小奇麗なスーツを着た男とその傍らに実直に立つ大男がいた。

 そして、スーツの男の足元。

 そこに今まで追っていたジュリィが、ロキが想像しうる最悪の状況で横たわっていた。


 倒れ伏すジュリィは額に指先ほどの穴をあけ粘度の高い血液がどろりと零れる。

 さっきはロキに怒りや憎しみすら向けてきたその瞳はもはや光を灯さぬ空虚な眼球。

 それがロキを非難するように見つめていた。


 どうして助けてくれなかったのか、と――。


「やあ、またあったね。一日に二度も会うなんて、これは運命かな?」


 スーツの男は子供のように無邪気に笑い、右手に見たこともない筒のような道具を振り上げそう言った。


「テメェ、それは一体何だ、ええ? ホーキンス!!!」


 その場の大気が震撼するほどの咆哮をロキが上げる。


 ホーキンスと呼ばれたその人物はそんなロキの感情を知ってか知らずか、嬉しそうに喋りだす。


「あ、コレ? さすがお目が高い。これは最近スカーディアで開発が進んでいる拳銃だよ。魔素を全く使わずに人を殺めることができるすぐれ物さ。原理は黒色火薬に火をつけた時の瞬間的な小爆発の威力を利用して鉛玉を打ち出すんだ。これで魔法の素養がない僕でも、こんなふうに人を簡単に殺せるようになるんだ」


 ホーキンスはまるでお気に入りの玩具を自慢する子供のようにまくし立てる。


 そのあっけらかんとした態度はホーキンスを知らないギルバートでも異常だと解る。

 人一人が死んでいるこの状況で、なぜああも平然と。いや、嬉々としていられるのか。


「んなことを聞いてんじゃねぇんだよ! テメェの足元に転がってるジュリィに何したって聞いてんだよ!」


 ロキの怒号でようやく話のつじつまがあったホーキンスは先程とは打って変わり、というよりまるで別人になったかのように不機嫌な表情へと変貌した。


「え、何? これ君の知り合いだったの? なんかさぁ、突然ぶつかってきたと思ったら僕に掴みかかってきたんだよねぇ。しかもクスリまで持ってたみたいだし。鬱陶しいから試し撃ちに使ったんだよ」

「鬱陶しいだぁ!? そんなくだらねぇ理由で俺のダチ撃ち殺したってのか!」

「あんまりさぁ、他人の交友関係に口出すつもりないけど、友達選んだほうがいいよ?」


 そう言いながらホーキンスは横たわるジュリィの頭を蹴飛ばす。


 それを見ていよいよ我慢の限界に達したロキが一歩踏み出したとき、横のギルバートが制するように腕をロキの眼前に突き出す。


「貴方がどこのどなたかわかりませんが、例え貴方に危害を加えたとしても亡くなられた方を軽んじるような発言と行動はやめてください」


 ギルバートはロキがここで暴れることはまずいと思って自分が間に入ったつもりだった。

 しかしそれは自分自身に対しての言い訳であるとロキはわかっていた。


 現にギルバートは丁寧な口調だが、ホーキンスに向ける視線は明らかに怒気がこもっていた。

 まるで今にでも斬りかかっていきそうなほどに。


「おや? 貴方はこれと違って育ちは良さそうだ。はじめまして。私はこの街でシナロアカンパニーで物流を任せて貰っているアルベルト・ホーキンスと申します。ロキさんとはチェス友達といったところです」


 そう言ってホーキンスは柔和な微笑みを向ける。

 そんな態度を見てギルバートはますます苛立ちを募らせる。


 まるでこちらの話を聞いていないようにことを進めるその態度が非常に癇に触る。

 しかしそれ以上に気になることをホーキンスが口にしたことをギルバートは聞き逃さなかった。


――シナロア? この人がそうなのか?


 点と点が線になった瞬間だった。まさかここで当初の目的のシナロアの人間に対面することになるとは。


 そして、手間も省けた。

 この件で明らかにシナロアは後暗いものを抱えているのは容易に想像できた。


 ギルバートがそんな思いでホーキンスに対峙していると、後ろの方からバタバタと足音が聞こえてくる。


「あ、ギル! さっきなにか破裂音みたいなものが……」


 追ってきたシルヴィアが遅れて現場を目の当たりにする。


 この場にいるホーキンスよりも、先ほどまで感情をあらわにし、血を弾けんばかりに巡らせていた一人の人間が今やただの肉の塊になって横たわる場面を。


 まさに絶句だった。


 人が死ぬという非日常を突然目の当たりにし、遅れてやってきたギムレットさえも喉から音を発することもできず佇んでいた。


「……どうも面倒な状況になってきたね」


 そんな様子をホーキンスはあくまで平常心のまま答えた。


「ボス、そろそろ……」


 と、今まで黙っていた大男がホーキンスに耳打ちした。


「そうだね。悪いけど、ロキ。これ君の知り合いなら後片付け頼んでいい?」

「テメェ、いい加減にしとけよ」


 ホーキンスの言葉に今度こそ耐え切れなさそうにロキは呟く。


「なんだよ……。わかったって、掃除代払えばいいんだろ? いくら?」

「テメェ……!」


 ロキがまたしても咆哮をあげる――とその時。


「ロキ!」


 そんな呼び止めるような声にロキは硬直する。


 声の主はエルナだった。エルナは息を切らしヒカリと手を繋いだまま路地に姿を現す。


「来るんじゃねぇ! エルナ!」


 その声をギルバートたちがはっきりと認識する前にロキは駆け出す。


 しかしそれはホーキンスのもとではない。

 その場で踵を返し、エルナに向けて手を伸ばす。


 エルナはそれを見ている。

 立ち尽くすシルヴィアたち。

 自分に手を伸ばし沈痛な面持ちでかけてくるロキ。

 紅い水溜りに沈むジュリィ。


 そして――


「ーーーーーーーーーーッ!!!」


 エルナの口から絶叫が放たれた。


 それと同時にロキがエルナを抱きしめる。

 ヒカリと繋がれた手は簡単に解け、エルナの身体はロキの腕に包まれる。


「落ち着け、エルナ! 大丈夫だ! もうお前はあいつと関係ねぇ!」


 ロキは大声でエルナに何かを言い聞かせるが、エルナは耳を劈くような悲鳴を上げ続ける。

 それはまるで怯えるように、泣き喚くように。


 シルヴィアはもはや思考が追いつかなくなっていた。

 ジュリィの死に、エルナの絶叫。もはや自分の理解の範疇を超えていた。


「あーらら。まだそんななんだ彼女。大変だね」


 いまだ絶叫をあげて暴れまわるエルナを抱きしめながらロキは顔だけを能天気な声を出したホーキンスに向け射殺さんばかりの視線を向ける。


「何だよ、僕が悪いって言うのか? むしろ僕を見て悲鳴をあげられたんだから被害者じゃない? 結構傷ついたんだけど」

「もう黙れ……。とっとと消えろ」

「随分な言い方だね。そもそも……」

「おっとそこまで」


 ホーキンスが言葉を続けようとするも、路地の奥から聞こえた声でホーキンスの言葉は遮られる。


「これ以上言い争っても互いに利益にならんだろう」


 そう言ってずんずんと歩いてきたのはドンだった。

 ドンはホーキンスには目もくれず、ロキとロキの腕の中で暴れまわるエルナに近づく。


「爺さん、なんであんたがこんなとこいんだ?」

「そんなことはいい。早いとこホァンのとこに行くんだ」


 ロキとドンが話し出すとホーキンスはつまらなそうに鼻を鳴らし右手の銃を懐にしまった。


「まあ、いいや。あとはよろしく」


 そう言ってホーキンスはそそくさと路地をあとにする。

 連れの大男は見下したような視線を残った面々に向けてからホーキンスの後に続いた。


 全く状況が理解できないシルヴィアはホーキンスの姿を目で追っていたが、ふと自分の横をギルバートが通りすぎる。


「ロキ、説明しろ。一体何が起こっている」


 いつしか絶叫から鳴き声になっていたが、喉を裂くように震わすエルナを抱いたロキにギルバートはそう問うた。


「……わかった。けどその前にこいつを、安全なとこに連れてかせてくれ……」


 ロキは懇願するようにそう答えた。それを否定することは誰にもできなかった。


 狭い路地にエルナの命乞いのような泣き声が木霊する。



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