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どんづまりの街 5 ―勧誘と確執―



「……しっかし意味分かんねぇ。一体全体何がどうなってんだ」

「もー、ロキ坊ったらいつまで混乱してるんだい! 常識にとらわれちゃイカンって言ったじゃないか、ぷんぷん!」

「んなこと言われた覚えねぇよ……」


 椅子の上で頭を抱えているロキに対して、横に座ったヒカリは手足をバタバタしながら不満を訴えていた。

 シルヴィアは騎士団勧誘の話をするにあたり場所の移動を提案したが、その話をロキが「ああ? んな面倒なことしなくてもここでいいだろ? 丁度この店ほかの客いねぇし。いいだろ、マスター?」という発言により喫茶店で話を進めることになった。


 シルヴィアは突然押しかけてそんなことはできないと最初断ったが、マスターは笑顔で喫茶店の掛け看板を『営業中』から『準備中』に掛け替えた。

 その際に「どうせお客さんこないからねぇ……」という言葉がやけに哀愁を感じさせた。

 申し訳なくてシルヴィアはその後も何度も頭を下げた。


 そうして落ち着いたあとシルヴィアはロキに話をするため店内のテーブル席に着いた。

 話を進めやすくするためにギルバートに同席を求めた。

 そして頭を抱えるロキをからかう様に話しかけるヒカリの四人が席に着いた。


 ようやく本題に入れると思った矢先にヒカリが「あ、そうだ。おなかすいたー」と相変わらず空気を読まない発言で話を切り出せなかった。


「ねーねーここ喫茶店でしょー! 何か食べたいなー! あ、オムライスある? 喫茶店って言ったらオムライスだよねー!」

「おむ……? いやなんだよそれ。んなもんねぇよ。相変わらずヒカリちゃんオレらのわからねぇ単語使うよな」

「えー! オムライスないのー? そろそろ時代が追いついてきたと思ったのにー!」


 ヒカリはオムライスというものの存在がないということに憤っていた。

 シルヴィアもその料理は知らず、どこかの郷土料理かと思った。


 そんな風に文句を言っているヒカリの目の前に水の入ったグラスが置かれた。


「ごめんね。その『おむらいす』? っていうのはないけど何か美味しいもの作るよ」


 そう言ったのはエルナだった。

 エルナは喋りながらギルバートとシルヴィアにはコーヒーを置いた。


 最初は状況が飲み込めなかったが、

 ロキの知り合いなら悪人ではないのだろうと判断し、ロキの客としていつも通り接することにした。


 コーヒーを置いているときにロキから「俺のは?」と言われたが、エルナは華麗に無視した。


「ほんとー? じゃあおねぇさんが好きなもの食べたいなー!」

「そう? じゃあ、あたしの一番のオススメ作ってあげるね」

「わーい! ありがとー!」

「ふふふ。ね、あたしエルナってゆうの。あなたは?」

「あたしヒカリ! よろしくね、えるえる!」

「あはは。もうあだ名つけてくれたんだ、ありがと」


 ヒカリとエルナの微笑ましいやり取りに、シルヴィアは本題のこともつい忘れ頬が緩んでしまう。


「見た目が変わっても、そのテンションは相変わらずだなヒカリちゃん」

「そおー? それにしてもロキ坊隅に置けないねぇ。こーんなカワイイ子捕まえてー」

「何言ってんだよ。肘でウリウリすんなっつの。コイツはただの知り合いだ」

「そんなこと言ってー。ロキ坊、えるえるみたいな包容力ありそうな人好きじゃん」

「ハッ! それこそありえねぇな。俺はもっと見た目からして包んでくれそうな大人なお姉様が好きなんだ。誰がこんな年下の絶壁……」


 ロキはそう言いながら胸の辺りで豊満な乳房をジェスチャーした。

 しかし、ロキが言葉を言い終わるかという時にロキの頭上にエルナの持つ木製のトレイが勢いよく振り落とされた。


「ぎゃあああああ! っ何しやがんだこのアマァ!」


 痛みにのたうち回りながらもロキはトレイを打ち下ろしたエルナに怒鳴った。


 しかしエルナはそれを意に介さず、目の据わった冷淡な表情のままだった。


「それはこっちのセリフよ。あんた、また次それ言ったら体中の肉削ぎ落としてやるわよ……」


 あまりの威圧感にさすがのロキも何も言えず、舌打ちをしてテーブルに向き直った。


「流石に今のはロキ坊がわるいよ?」

「うっせ……」

「あの、そろそろ本題に入ってもいいですか……?」


 そろそろ愛想笑いも限界に達しそうなシルヴィアはようやくその言葉を絞り出した。


       *


「なるほどな。要は『逆十字』の悪辣非道な所業に業を煮やした四大国の、“東のブリティア”の女王陛下の直々のお達しで討伐部隊の編成を任された。って感じか?」


 終始どうでもよさそうに聞いていたロキは、シルヴィアの話を聞きそうまとめた。


「簡単に言えば、そうなります。こちらにいるギルバートの話では貴方も『黒い逆十字』に思うところがあるとおっしゃっていたと」


 シルヴィアの言葉にロキは鋭い視線をギルバートに送る。


 隣の席で腕を組んでいるギルバートは目を伏せ我関さずという姿勢をとっていた。


「どうゆう心境の変化だ、ギル? あんだけ一匹狼気取ってたのによぉ」

「気取ったつもりはない。彼女らと行動を共にすれば俺の目的を達成するのに一番の近道だと思ったからだ」

「相変わらず無駄の無い考えだねぇ」


 ギルバートの言葉を聞いたロキはくっくとシニカルな笑みを浮かべた。

 そんなロキの含み笑いを妨げるようにギルバートが「それに……」と呟く。


「お前の目の前にいる女性は、忠誠を誓うに足る人物だ」


 目を伏せたままのギルバートが満足そうに言った言葉がよほど意外だったのか、目を剥く。

 そのまま視線を目の前の清楚が人の形をしたような女性を見る。


「ギルがここまで言うたァ、あんたスゲェな」

「そう、でしょうか?」


 シルヴィアにとっては昔のままの中身のギルバートなのだが、目の前のロキにとってはそれが信じられないといった面持ちだった。


「そうよ、しーちゃんはスンゴイ子なんだから」

「なんでヒカリちゃんが自慢気なんだよ」


 途中エルナが運んできた具だくさんのシチューを早々に平らげたヒカリが自信満々に胸を張る。

 どうもヒカリの存在が場の緊張感を緩ませる。


「そこのおっさんも、その騎士団とやらのメンバーなのか?」


 ロキの興味はギルバートと同じく部屋の隅で傍聴していたギムレットに注がれた。


「いんや、俺はブリティアの王宮騎士団の騎士だ。今回はただの付き添いだ。てかおっさんじゃねえ、ギムレットだ」

「騎士団つってもおっさん剣持ってねぇじゃん。騎士ってロングソード持ってる剣士のことじゃねぇの?」


 ギムレット抗議の声をさらりと無視し、素直に疑問をぶつけるロキ。


「それこそ『逆十字』のせいでブリティアの体勢もかなり変わってな。剣を使おうが、素手で戦おうが、強ければ良しってことになったんだ」


『黒い逆十字』が『宣戦』を行った十年前より、世界中の国が自国の軍事力を見直さざるを得なかった。

 国によっては国の兵士の大部分を失う事態となり、軍備の再編成を余儀なくされた国も少なくない。


 そのためブリティア王国は志願兵と武器の自由化を許可した。


 本来ブリティアの王城に使える王宮騎士団は貴族の出と言った身分が確かな者のみに許された名誉ある職業だったが、志願兵制度導入により貴族以外の腕に自信があるものが大挙して王城に詰め寄った。


 さらに武器の自由化により、本人の素質にあった戦い方を見出すことができた。


 ギムレットもまさにその二つの制度の恩恵に預かることができたわけだ。

 ギムレットはごく普通の家庭で生まれ育ち、昔だったら王宮騎士団の夢を見るのもおこがましいとすら言える身分だった。


 正直“大剣闘舞”すら、優秀な力を持つ者をブリティアの忠実な兵として利用できるかという思惑も含まれている。


「おかげで、俺みたいな小市民でも出世を望めるようになったのさ」

「へぇ、随分とイメージと違ェんだな」


 ロキは一貫してどうでもよさそうな態度を取っていた。


「それで、いかがでしょうか? 私たち、いえブリティアのために力をお貸し願えないでしょうか?」


 わざと熱を込めた言葉をシルヴィアはロキに向けた。

 その熱が届いたのか届かなかったのか、ロキはシルヴィアをじっと見つけた。

 その表情は何を思っているのかわからない。


 負けてなるものか。

 シルヴィアは真っ直ぐその視線に立ち向かった。


「……んなこえぇ顔すんなよ。綺麗な面が台無しだぜ?」


 突然予想外な言葉を出され、一気にシルヴィアは顔が上気した。


「ちょっ! な、何を……」


 慌てふためいて取り乱したシルヴィアにロキは声を上げて笑った。


「あんたおもしれェな。ギル、お前が気ィ許すのもなんかわかるぜ」

「どうでもいいが、あまり俺の主に恥をかかせないでくれるか。彼女は生真面目で冗談が通じないんだ」

「あはははは。ギル君がそれいうー?」


 ヒカリの発言にロキは「ちげぇねぇ」とさらに大声で笑った。


 それを聞いていたギムレットも耐え切れず喉を鳴らすように笑みを零していた。

 まるで自分がからかわれていた様ではないかとシルヴィアは頬を膨らませてむくれた。


「私の話はどうでもいいんです! 話をそらさないでください」


 シルヴィアは努めて毅然とした態度で言い放ったが、周囲の雰囲気は相変わらず弛緩したままだった。

 まるで子供が精一杯大人の真似事をしていることを微笑ましく見られているようで面白くなくてまたしても頬を膨らます。


「と、とにかく! 急な話ですが、答えをお聞かせ願えないでしょうか?」


 流石にかわいそうに思えてきたのか、ロキは顔からからかう様な笑みを消した。


「『逆十字』ねぇ……。なんつーか、最近考えさせるようなことばっかだな。いや、それはずっとか。問題を先送りにすんなってか」


 ロキはシルヴィアの言葉に対しての答えとは思えない、よくわからないことを喋りだした。

 何故かその表情には自嘲気味な笑みを浮かべていた。


「どゆこと? 『黒い逆十字』を無くすのがロキ坊の目標じゃなかったの?」

「そりゃそうだ。俺の人生においての望みと言っても過言じゃねぇ」

「でしたら! でしたら私たちに力をお貸しください! 新設の部隊ゆえ自由か聞くとは言えませんが必ずロキさんの力になると思います」

「さっきから思ってたんだがよぉ。あんた、なんで俺の力を借りたいんだ?」

「え……?」


 まさかの質問にシルヴィアは言葉が詰まった。


「それは彼、ギルバートの……」

「ギルの言ったことだから間違いない。か? まぁコイツは嘘つくのヘタっクソだしなぁ。昔馴染みだから信頼できるってか?まあそれはそうなんじゃねぇの。けどあんたは本当に俺のこと信頼出来んのか? 今日初めて会った俺をよ」

「……」


 シルヴィアは何も言えなかった。


「そもそも何でまず俺なんだ? 俺は別に称号持ちの魔導師ってわけでもねぇ。何の実績も残してねぇ野良の魔法使いだ。何でそんな俺に頼れる?」


 シルヴィアは愕然とした。

 しかしそれはロキの言い分にではない。


 ロキの言っていることは何も間違っていない。

 本来であれば、まず先に高名な魔道士に力添えを嘆願するだろう。


 『黒い逆十字』を殲滅する。

 言葉は簡単だが、現実問題としてそれが簡単に行くとは思えない。


 そもそも、よしやろうと思ってなくせるのなら、四大国が総力を上げれば事足りること。

 しかしそれは『血の宣戦』から十年たった今でも成されていない。


 その不可能に近いということを成そうというのだ。

 半端なことをしている暇はない。


 しかしシルヴィアはギルバートの言ったことだから、ギルバートの信頼する人間なら大丈夫と盲信に似た思いでここまで来た。

 それを突きつけられたようで羞恥心に襲われた。


「昔死んだと思ってた幼馴染に会えて舞い上がってたのかわかんねぇけどよ。俺はお嬢様のおママゴトに付き合う気はねぇよ」


 その言葉に触発されたように、テーブルを思い切り叩く音が店内に響いた。

 それに遅れて椅子が倒れる。


 立ち上がったのはギルバートだった。

 しかしロキの言葉に抗議するわけではなく、激しい怒気を孕んだ視線をロキに飛ばす。


「ロキ、言いすぎだ。彼女の想いは本物だ。あまり侮辱するようなら、いくらお前でも容赦しないぞ」

「ギルよぉ。お前も大概だな。俺お前のことは気に入ってるが、お前のその頑固なとこはどうかと思うぜ。ま、お前がご主人様と心中したいってなら俺は止めねぇけど。メンドクセェし」


 とうとう我慢しきれなくなったギルバートがロキの胸ぐらを掴んだ。


「やめて。ギル! いいの、彼は間違ったことを言ってないわ!」

「関係ない。どんな理由だろうとシルヴィアを傷つける真似は俺が許さない」


 本来なら多少は嬉しくなってしまうギルバートの言い分も、今の彼の剣幕ではそれどころではない。

 冗談ではなくロキを殺してしまいそうだ。


 しかし当の本人はどこ吹く風でため息をついた。


「つーかよぉ、俺はテメェにも腹たってんだよ、ギル」

「何だと……?」

「テメェは忘れてんだろうけどな。俺はもう二度とお前と旅すんのはゴメンなんだよ」


 その言葉にシルヴィア、そしてこれまで静観していたギムレットも衝撃を受ける。


 まさか過去に二人の間に諍いが?


 しかしさっきまでの彼らにそんな雰囲気はなかった。

 先程の再開も、至って普通の友人が数年ぶりに再開した時の反応だった。


「どうゆうことだ?」

「ハッ! やっぱ気づいてすらなかったかよ。まぁそうだよな、お前のその態度がどんだけ周りの人間の癪にさわってるなんて気にもしなかったろ?」


 ギルバートは本気で心当たりがないようで眉をひそめるだけだった。

 その態度に釣られ今度はロキの方が苛立ちを増していた。


「ねぇ。そのことだったらロキ坊の逆恨みだよ? 別にギル君悪くないじゃん」


 緊迫したその状況にヒカリはいつものように。というよりやや呆れたように口を挟んだ。


「だから言ってんだろヒカリちゃん。俺はこいつのこの態度に腹立ってんだ」


 しかしロキもヒカリの言葉には耳を貸さず、ギルバートをにらみ続けた。


「はぁー、くらだなーい。男の子ってホントおバカさんなんだもーん」


 そう言ってヒカリがテーブルに頬杖を付いた。

 何故か止める気は全くないようだ。


 いつしかギルバートは目を伏せ掴んでいた胸ぐらを離した。


「もういい。お前の力は借りない。シルヴィア、行こう」

「え、でも……」

「いいんだ。コイツには失望した。『黒い逆十字』に対する思いは同じだと思っていたが、俺の思い違いだったようだ」

「勝手に思い込んで、勝手に失望してんじゃねぇよ。はた迷惑なやつだ」

「煩い。貴様の顔など見たくもない」

「おーおー出てけ出てけ。清々すらぁ」


 手をひらひらさせ追い払うように言うロキに対しギルバートは何も答えず店を後にしようとした。


「ちょ、ちょっと、ギル!」


 そんなギルバートを見てシルヴィアは慌てて止めようとした。


 ギルバートとロキとの昔の禍根のことは置いておいても、今回の騒動は自分のせいとも言える。

 自分のせいで友人がこのような喧嘩別れになるのはあまりにも申し訳がない。


 そう考えあたふたしているシルヴィアにヒカリがため息混じりに声を変えた。


「だいじょーぶだよ、しーちゃん。こんなのギル君とロキ坊の間じゃ日常茶飯事だから。てゆうか前も全く同んなじことで喧嘩別れしたんだから」

「えぇ!? そうなの?」


 とても信じられない。

 下手をしたら今生の別れと大差ないような別れ方を前回もしていたというのだから。


 それでいて先程はあれだけ爽やかな再開の挨拶をしていたのだからなおのこと信じられない。


「おい、まるで俺とギルが付き合ってたみたいな言い方すんじゃねぇよ、気色わりぃ」

「えー似たようなもんじゃん。それにほら! そっちの方が都合がいいかもしれないよ?」

「全然チゲぇっつの!つーか都合がいいってなんだコラ! 何に向けての発言だ!」


 ヒカリとロキの言い争いを相変わらずあたふたと見ていたシルヴィアにギムレットが焦るように声を掛けた。


「おい、お嬢! とりあえずギルを追うぜ!」

「あ、はい。スミマセン、こんなに慌ただしくなってしまって。改めてお伺いします」


 そう言ったシルヴィアは慌てて店を出ようとしたが、「そだ!お代!」と忙しなくしていた。


「あの、お代は大丈夫です。ロキのお客さんなので料金は彼にツケとくので」

「でも、あの、その……」

「とにかく早くお連れの人たちを追ったほうが……」

「ああっ! 本っ当にスミマセン! では!」


 慌てふためいて店を後にしたシルヴィアを見てヒカリはケラケラと笑っていた。


「あはははは。ホントーにしーちゃんて可愛いよねー。美人でおっぱいおっきいのにさらにポンコツってのが基本を抑えてるよね」

「どうでもいいけどヒカリちゃんは行かなくていいのかよ。ヒカリちゃんはギルの連れだろ?」

「んー? どうせホテル行けば会えるしー。それにあとからついて行って心配してあたふたしてるしーちゃん見るっていう楽しみがあるからね!」

「ヒカリちゃんも大概性格悪いぜ……」


 ロキが苦笑気味に息を漏らしているとヒカリは座っていた椅子から飛び降りた。


「よし、あたしも行―こおっと!バイバーイえるえる! ゴハン美味しかったよー!」

「う、うん。よかった、バイバイ」


 エルナに元気よく手を振ったあと、ヒカリはロキにまるでイタズラをした子供に向けるような表情を向けた。


「あとさー、大概って言ってるけどロキ坊もそうだよ?」

「あ?」

「ロキ坊、嘘下手っぴになった?」

「……さぁな。いいから行けよヒカリちゃん。また会えて嬉しかったぜ」

「……ん。あたしもまた会えてよかった。またね、ロキ坊」


 優しくそう言ったヒカリは、てててと可愛らしい足取りで店を出た。


 あっと言う間に静まり返った店内。店の奥からヤカンが沸騰する音だけが響いていた。


「またね。か……」


 客のいない店内にロキが独り言がひっそりと浮かぶ。


「よかったの? さっきの」


 声がした方を見上げると心配そうにロキを眺めているエルナがいた。


「構いやしねぇよ。さっきヒカリちゃんが言ってたろ。ギルとは今に始まったことじゃねぇし。にしても、ヒカリちゃんは相変わらず元気だったな。騒がしくってならねぇぜ」

「その割には随分楽しそうだったじゃない?」

「んなこたぁねぇだろ」

「嘘よ。あんな生き生きしたロキ初めて見たもの」


 エルナは優しく微笑んでそう言った。

 まるで幼い我が子の成長を見守る母のように。


 だがロキはその笑顔が痛ましくて見てられなかった。


「まぁ、退屈はしねぇ連中だよな」

「ねぇ、何で付いていかないの?」

「あ?」

「さっきの……女の人が言ってた話。『黒い逆十字』を倒すって。この街はそうでもないけど、いろいろ酷い話を聞くわよ?」

「なんだよ、言ったろ? 俺はギルともう旅はしたくねぇんだよ。あんな惨めな思いすんのはこりごりだ……」

「でも、さっきのギルバートさんやヒカリちゃんと話してるロキ、すごい楽しそうだった。本当はついていきたいんでしょ?」

「……そうだな。でもま、いきなり言われてもそう簡単に決めらんねぇよ。こっちもいろいろ事情があるしな」

「それは……あたしのせい?」


 エルナが消え入りそうな声を出した。

 今までそっぽを向いて話していたロキがそこでようやくエルナの顔を見た。


 エルナはひどく悲痛な面持ちをしていた。


 しかしロキを責めるようなものではなく。

 むしろ、自分自身を責めているようだった。


「……ちげぇよ」


 ロキはなるべく優しく言った。


 これ以上エルナが自分を責めないように。

 泣いている子供を嗜めるように。


「確かに“返済”はまだ残ってるがな。そんなん今すぐ払えって言われりゃ払えんだ。金のことなんざ、むしろあっちに付いていった方が安泰かもな。俺はここの暮らしまぁまぁ気に入ってんだ。今すぐ捨てんのがもったいねぇ。そんだけだ」


 言いたいだけ言ったロキは席を立った。

 コートから皺だらけの紙幣を取り出し、「こんだけありゃ足りるか」と言ってエルナの前に置いた。


「今日の分。釣りが出たら残りのツケに回しといてくれや」

「ロキ……」

「お前も今日は帰っとけ。んな景気の悪ぃ面してたらマスターに迷惑だろ」


 それだけ言って振り返りもせずロキは店を出た。

 カウンターに置き去りにされた紙幣を手に取り、エルナは少しだけ笑った。


「全然足りないわよ、バーカ」



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