世界の車窓から 2 ―正義とは―
しばらく駅前広場で時間を潰した後、駅に旅客用汽車が到着しシルヴァアたちは数少ない個室のある二等車へと滑り込んだ。
旅客用汽車は大まかに区別すると、ベッドがついている個室の一等車、座席のみの個室の二等車、一車両に区切りなく座席が列挙されている三等車の三種類ある。
二等車と三等車までは格安で誰でも利用することができるが、壁で区切られプライベートな空間を作れる二等車の人気は比べるまでもない。
シルヴィアたちは街に到着して駅に駆け込めば前の汽車に乗ることはできたが、出来るだけ個室を取りたかったため、一本見送り確実に二等車に乗れる方法をとった。
「なんとか個室が取れましたね。それにしてもびっくりしました。汽車が付いたとたん大騒ぎでしたから……」
シルヴィアは個室に入った途端にわざとらしい程のため息をついた。
シルヴィアらは汽車が到着する前に駅のホームで待っていたが、汽車が来るなり人の波が二等車に向かって押し寄せてくるのも見て慌てて飛び乗ったのである。
たかが汽車に乗るだけで余計な体力を使ってしまったのだった。
「ああ、もう二等車は満員だろうな。スゲェ人気だ。無駄に疲れたぜ」
「乗る駅や時期によって三等車はすし詰め状態になります。立ち乗りは当たり前。大陸鉄道を使うのはほとんどが旅行者ですから、せっかくの旅行で余計に疲れるようなことはしたがらないですからね。俺たちも二等車にはほとんど乗ったことがありません」
ギムレットは初めての体験によりすでにぐったりとした様子で座席に腰掛け、続いたギルバートも流石に気疲れした様子だった。
「おぉー! 個室だ個室ー! やっぱり個室はいいねー」
三人の疲労をよそにヒカリは意気揚々と窓の外を眺めていた。
「個室は初めてじゃないんだ、そんなに初めて乗ったかのような反応しなくてもいいだろう?」
「わかってないねぇ、ギル君。旅の出発ってのは劇的であるべきなんだよ? 無理矢理にでもテンション上げてかないと!」
「だからといって、観光に行くんじゃないんだぞ……」
疲れもあったのか、ギルバートはそれだけ言って背もたれに寄りかかってしまう。
すぐに汽車の汽笛の音が鳴り、ゆっくりと車体が動き出した。
汽車の前方から蒸気がうなる低い音と、外輪の金属の軋れる音を響かせどんどんスピードを増していく。
汽車は街をあっという間に抜け、静かな田園風景の横を走り抜ける。
この日はカラッとした秋晴れで太陽の日差しが田園風景を明るく照らし、まるで絵画のような鮮やかで懐古的な雰囲気を醸し出していた。
風景が変わるたびにヒカリが大騒ぎしていなければ、シルヴィアも己の立場を忘れて変わりゆく車窓の絵に心が奪われてしまったかもしれないと思っていた。
「さて、落ち着けたところでさっさと今後の話し合いでもしようぜ」
そう切り出したギムレットは荷物の中から世界地図を、窓の外を見ているヒカリを除いた三人の間に広げた。
「そうですね、とりあえずこのまま汽車で国境を抜けてスカーディアの南部の街でおります。そこからは徒歩と馬車、でいいのよね、ギル?」
「ああ、前にも言ったがロキはスカーディアに入りたがらないから、スカーディアの国境を出て、ヒカリが差した方角にある街を虱潰しに探していく。」
三人が覗き込む地図にギルバートの手が伸びる。
三人が出会ったブライストンを指差し、ヒカリがロキが居ると断言した方角へ指を滑らす。
その線上に記されたいくつかの街に当たると几帳面に街の名が書かれているところをトントンと叩く。
「流石にどの街にいるかまではわからないからな。そこからは根気の勝負だ」
「それだけでも十分スゲェんだけどな」
「ホント、ヒカリちゃんって何者なの?」
話題と視線は再度ヒカリに向いたが、当の本人はついさっきまで車窓の絵が変わるたびに興奮の声を上げていたが、
いつしか騒ぎ疲れて座席にもたれかかり、無邪気な寝顔を浮かべてすやすやと眠っていた。
自由ここに極まれりである。
「ヒカリについてはあまり考えないほうがいい。疲れるだけだ」
「そうは言うけど、ギルは今まで一緒にいて不思議に思わなかったの?」
「いや、別に……。世の中にはこんな奴もいるんだな、というふうに思っていた」
「お前そんな曖昧な感覚でこいつと一緒に過ごしてきたのか?」
常軌を逸した感覚だった。
ギルバート本人は慣れればどうということはないという始末で、二人は呆気にとられるばかりだった。
本当に深く考えない方が自分のためだと改めて二人は認識した。
「あ、ここ……」
視線を地図に再び落としたシルヴィアがとある地名に目を惹かれる。
ヒカリが示した方角と少し逸れた場所にそこはあった。
「ん、ああヨルド地方か。彼の『暴皇』が生まれた地だな」
「ええ、妙な偶然ですね……」
「ぼうおう?」
シルヴィアとギムレットが感慨深い顔で頷きあっているところを、不思議そうな顔でギルバートが訪ねた。
「なんだギルバート知らないのか? つい二年前に天下七皇の一人が更新されただろ?」
「いえ、世界中回ってると世間的な話に疎くて。それに天下七皇にはあまり興味がないので」
「ギルは昔からそうだったわね」
あっけらかんと言い捨てたギルバートに対して、シルヴィアは苦笑いをした。
見かねたギムレットが、一旦地図を横に置いて話をし始めた。
「ヨルド地方にザナルって小国があるんだ。そこは二年前までちょっとした内戦状態になってたんだ」
「ええ、知ってます。俺も二年前にザナルの近くにいたので。……酷い有様でした」
「ん、そうだったのか? まぁ簡単に言っちまえば、その内戦を集結に持っていったのがその事件で天下七皇に襲名した『暴皇』様ってことだ」
「というと、何らかの政策を行って内戦を終わらせたということですか?」
「ハッハッハ。そんな穏やかなもんじゃねぇよ」
ギムレットは苦笑いをしながら肩を竦めた。
要領を得ない説明にギルバートは首を傾げる。
「暴皇はザナルで行われていた亜人種殲滅戦を、物理的に止めちまったんだ」
「物理的……?」
「ああ、殲滅戦に向かったザナル政府が持つ国軍約十万人の剣士やら魔法使いなんかを、たった一人で逆に返り討ちにしちまったんだ」
「十万を一人で、ですか……」
それを聞いたギルバートは流石に驚いたのか、考え込むように腕を組んで視線を落とした。
「ああ、全くとんでもねぇ話だよな。どんな化物だってんだよな?」
「本当に……。でも正直胸がすいた気がしました」
「ああ、ちげぇねえ」
「……?」
ギルバートは暴皇の蛮行よりもシルヴィア達二人が、暴皇の行いに対して好感すら持っているような態度に疑問に感じた。
暴皇がしたことはれっきとした犯罪行為である。
ザナル国家においてはどうかはわからないが、いくら一方的な理由だろうと殲滅戦というのは国が取り決めた立派な軍事的措置である。
それに真っ向から歯向かったとあれば国家反逆罪で極刑は免れない。
暴皇がザナルの国民かは定かではないが、だからといって好き勝手にやっていいわけがない。
むしろザナル国民でない方が問題だ。
シルヴィアやギムレットはブリティアが有する国軍とも言える王宮騎士団の一員。
暴皇がしたことの事の重大さは誰よりも理解しているとも言える。
それを目の前の二人は、まるで暴皇のしたことを英雄の行いのように語り合っている。
問題視こそすれ、酒席の肴に使うような話題だとはギルバートは思わなかった。
「どういうことですか? 仮にも犯罪者でしょう」
「いや、な。本来ならそうなんだが、おかげで膿を出すことができたんだ。結果オーライだろう」
「膿……?」
「ザナル政府の官僚の中に『黒い逆十字』と繋がっている人間がいて、この事件のおかげでそれが明るみになったの。その官僚たちは亜人種を追いやるために、『黒い逆十字』を利用して民衆の排斥運動を煽ったり、差別や暴力なんかを率先して行ってたの」
シルヴィアが『黒い逆十字』の名前を出した途端に、ギルバートはあからさまに目の色を変えた。
先日、ブライストンの酒場にてジェラルドを目の前にした時と変わらない、深い影を感じさせる眼差しだった。
しかしそれもいつしか影を潜め、車窓から差し込んだ日差しがシルヴィアの視界を一瞬白く染めたあとには、先程と変わらない物静かな雰囲気のギルバートに戻っていた。
「そんなこともあってな、ザナル政府の官僚は評議会に粛清されて、政府自体も内側の見直しを余儀なくされた。そんなゴタゴタもあって亜人問題は後回しにされたんだ。結果的に暴皇は亜人種開放の象徴にされて、事件の派手さもあってあっちゅう間に天下七皇の一人に数えられたんだ。とは言っても情報が少なすぎて、暴皇の名前もわかんねぇんだけどな」
「なるほど、そんなことがあったんですね」
得心がいったようにつぶやき、目を逸らしたギルバートだったが、彼は自分の興味のない話題の時は話している人間から目を逸らす癖があるのをシルヴィアは知っていた。
そんなところは昔から変わらないのだなとシルヴィアは内心、苦笑いと共に微笑ましさを感じた。
「しかし、ザナルは何故そこまで徹底して亜人種を根絶させようとしたんでしょうか?ザナルは国として認められてまだ長くはないでしょう。そんな若い国がまず最初に何故そんなことを……?」
天下七皇に毛程も興味がないギルバートは、そんな質問をしだした。
本来なら子供でも知っているようなことなのだが、そこは自分で根無し草とまで言っていただけあって本当に世情に疎くなったのだろう。
「あー……、それな」
あまり言いたくないのか、ギムレットは目線を泳がし口ごもった。
「そう、まさに三年前にスカーディアから独立したザナルは、国として国民の意識を高めるためとして亜人種を排斥する同化政策として民族浄化作戦を始めたの。大陸戦争が終わった後、急速に衰退していった亜人種を過去の戦争の負の遺産と決め付けて多くの亜人種が囚えられたわ」
煮え切らない態度のギムレットに代わりシルヴィアが昔話をするように、ぽつりぽつりと語りだした。
語るたびにシルヴィアの表情に影が指すのをギルバートは感じ取ったが、あえて黙って聞き続けた。
「民族浄化、なんて言えば聞こえはいいけど、やっていた事は亜人種に対する悪質な迫害行為。強制移住に収容。国民に対しての排外運動。挙げ句の果てには対立思想をもつ者に対しての大量虐殺なんてものに発展していった」
淡々と説明するようでシルヴィアの声は話をするにつれて低く小さなものになっていった。
ギルバートに真っ直ぐ向けられていた視線を自分の膝下に落とし、その先では両手が強く握られていた。
力を入れすぎなのか、または違う理由でか握られていた手は小刻みに震えていた。
喋っていくにつれていたたまれなくなっていくシルヴィアに変わり語り手がギムレットに戻る。
「もちろん亜人側も黙ってやられていた訳じゃなかったみたいだな。そりゃ一方的な国の方針で自分の身に危険が迫ってりゃ意地でも抵抗するだろうな」
「周辺国……、それこそブリティアやスカーディアはそのことについては……?」
「いくら小さくてもザナルだって立派な国だ。国の政策にいちいち細かく口出しできるもんじゃあねぇからな。それに、標的になってるのが亜人種となったら積極的に首を突っこもうなんて奴ぁいねぇからな。ブリティアの議会のお偉いさんはだんまりを決め込んだんだ」
ギルバートはギムレットの話を聞き、小さな声で「そうゆうことか」とつぶやき、俯いた。
あまりギルバートの人となりをしらないギムレットといえど、ギルバートが苛立っているということは簡単に察することができた。
そもそも、亜人種と呼ばれる存在は五十年前に完全に集結した大戦を終えてから急速に衰退していった。
亜人種と一括りに呼ばれてはいるが、細かく分類していけば枚挙に暇がない。
耳長族に小人族、獣人族はもちろん、有翼種に有角種や吸血種等、思い浮かぶだけでも数種類の数が挙がる。
歴史や文献に記されていないだけで実際存在する種族も、確認されていない種族も当たり前にいるだろうと言われているほどだ。
亜人種は見た目の違いだけでなく、文化や習性、価値観も大きく変わってくる。
そして何より人間と大きく異なる点、それは魔法の素養だった。
そもそも亜人種は、自身が持つ強力な魔素を許容するために肉体的に適応させた結果だという研究結果もある。
もちろんそれは数ある俗説の一部なのだが。
ともあれば人類の魔法科学の発展には必要不可欠な要素であった。
この世界で一番多くの個体数を誇るのは、もちろん人間だ。
人間は数の多さというだけの優位性を、魔法の素質と種族によっては現れる身体的優位を持つ亜人種に対して振りかざした。
いくら亜人種とはいえ、一人一人の持つ力は限られる。
特に社会・文化に適応するには亜人種も他の人間と能力的には大差がない。
そうして、人間は才能の差という劣等感を種の個体数の多さで包み隠し、徹底的に亜人種を押さえつけ、亜人種も人間社会と共生するために不当な扱いをされてもなお、人間に従わされ続けた。
このようにして人間と亜人種はお互いに折り合いを付けて生活してきた。
そんな亜人種がいずれ始まる大戦に利用されていくことは火を見るより明らかだった。
他者を侵略するという点においては、魔法という技術はこれ以上ない武器になる。
そして種族によっては他人を簡単に死に至らしめることができる力を持つ者はざらにいる。
そんな都合のいい存在を使わない手はない。
あらゆる国が亜人種を戦争の最前線に送り出した。
そんな歴史が数百年続き、ようやくの思いで手に入れた平穏を前に国の代表らは亜人種の存在を大戦時よりさらに嫌悪するようになった。
自分たちが安寧とした暮らしを享受できるのは、長い歴史の中で刷り込まれた『人ではない者』の存在によってもたらされたものだと嫌でも思い知らされる羽目になったからだ。
それは権力者達からしたら耐え難き恥だった。
人は他人からの嫌悪感を向けられるより、他人から辱めを受けることに対して非常に弱い。
そうして行ったのが、徹底した亜人種の排斥だった。
戦争の英雄も、平和な世ではただの大量殺人犯。
平和な世の清算として、恥の後始末を世界中が行った。
それはもちろん清廉な歴史と伝統を持つブリティアも同じことだった。
今まで自分らがしてきたことを棚に上げて他国に綺麗事を押し付けられるはずもない。
かと言って、逆に亜人種の排斥を支援するのも四大国の一角を担う国としてはイメージが悪い。
結局国としては、黙認するのが最善とされてしまった。
「ブリティアも亜人問題には有効な手を見いだせちゃいねぇ。自分の国の保身でいっぱいいっぱいなんだよ」
ギムレットは重い雰囲気の中、自分の国に対して皮肉ったような言葉を国にする。
しかしこの狭い空間の名ではそれを咎める人間も、国を庇うだけの愛国心のあるものもいなかった。
「だからって……」
その代わりに、先程から俯いたままのシルヴィアがうわごとのように呟く。
「だからって、目の前で非道いことが行われているのを黙って見ていて言い訳がありません。亜人なんて言われてますけど、彼らだって『人』なんです。言葉も通じる。喜びを分かち合える。悲しみを共有できる。想いを繋げることができるのに、自分と見た目が違う、自分と少し違うって理由だけでなんでここまで虐げられなければいけないんですか?」
「……自分と違うということは、それだけで怖いんだ」
シルヴィアの誰にとも言えない疑問に答えるようにギルバートが口を開く。
まるで頬を叩かれたような衝撃を心に受け、弾かれたようにシルヴィアはギルバートに目を向けた。
「自分とは違う見た目、言葉、価値観、才能。人は得体が知れないもの、自分の理解が及ばないものに対して恐怖心を覚える。どう対処すればいいかわからない。どう接したらいいかわからない。だったら排除してしまったほうが楽だ。なにも亜人種だけに限らない。同じ人間に対しても感じることだ。この世に亜人種が存在してなくても、きっと人は同じような歴史を繰り返しただろう……」
淡々と告げられた言葉は、おそらくギルバート主観ではないのだろう。彼自身世界を歩き回って、肌で感じてきた世界の真実。
それはまるで、お前は世間を知らないガキだと遠まわしに言われているような気がした。
シルヴィアがそう思ってギルバートから視線を外そうとしたとき、先程とは打って変わって穏やかな声色でギルバートが喋りだす。
「だからといって。そう、だからといって見過ごしていい問題じゃない。そんなことは当たり前のことなんだ。けど、それを当たり前に言える人は少ない。人は大きな流れの方に行ってしまう。そっちの方が楽だ。考えると辛いし、行動を起こすと苦しいから」
気づいたときはギルバートはシルヴィアのことを見ていた。
シルヴィアの眼を見て、その眼差しは十年前と変わらない、純粋な瞳だった。
「それでも、貴女は考えることをやめなかった。感じる心を持ち続けていました。それは正しいことではないのかもしれません。もしかしたら、ただの甘えなのかもしれません。それでも、間違いなく貴女の心は誰よりも清い。そんな貴女を、俺は心から尊敬します」
いつしかギルバートのシルヴィアへの口調はこれまでの主従関係を感じさせるものへと戻っていた。
だからこそ、それがギルバートの偽りのない本音だということが理解できた。
「……っ!」
涙を見せるわけにはいかなかった。
もしかしたら、わざとギルバートはシルヴィアに対して言葉を戻したのかもしれない。
自分が従者であること。
騎士としてのけじめを見せたのかもしれない。
だったらその思いには応えたかった。
けれども、今のシルヴィアにはどうしてもギルバートを見ることはできなかった。
今彼を直視したら、きっと泣いてしまう。
それが分かっていたから、視線を下げ、唇を噛み、必死に耐えることしかできなかった。
肩を震わせて耐えているシルヴィアの頭を、ギムレットが子供をあやす様に二回叩いた。
「全くよぉ、ウチのお嬢はまだまだガキだな」
「余計なお世話ですっ……」
ちゃんと涙声にならないように喋れたかな。
場違いにもシルヴィアはそんなことを思っていた。




