あばよ
約一年前。山伏弁慶、高二。
「――和姫、木礎のことなにか知らないか?」
練習の合間、山伏は地面にひっくり返っている閑花に声を掛ける。高校一年の中で唯一レギュラーである彼女は、チームメイトたちのことをよく見ているからだ。
此間も怪我を抱えたまま無理に練習している選手に、治療に専念するように勧めたらしい。周りの反応を見る限り、その選手の故障に気付いていたのは閑花だけだった。
「今日も一応、声は掛けたんですけど……」閑花は浮かない表情で続けた。「実は――」
部活動終了後、山伏はゲームセンターに来ていた。九十九学園の最寄り駅前から伸びる、ショッピングストリートの一角を占める大きな店だ。
浮ついた雰囲気に場違い感を覚えながら歩いていると、いくつも並べられた筐体のうちの一つに、サイドを刈り上げた目付きのきつい少年が向かっているのを発見した。表情はどこかぼけーっとしたような、つまらなそうな感じである。
「木礎」
「ッ!? 山伏……」
声を掛けられた木礎は、予想外な人物の登場に驚きで目を見張った。
山伏は全体練習後もトレーニングする真面目な選手だ。木礎は山伏が外出しているところを、チームの遠征や行事などでしか見たことがない。
自分に話があるのだろうとすぐに察した木礎は、舌打ちしてから席を立った。
それから二人は店を出て、近くの公園まで来ていた。時刻はすでに夜八時を回っているので、自分たち以外には誰もいない。
「おい山伏、練習はどうしたんだよッ? いつもこの時間は練習してたろッ?」
「……聞いたぞ、チーム辞めるんだって?」
出し抜けな問いに、ベンチにふんぞり返って座っていた木礎は押し黙る。
「他から誘われたのか?」
続けられたその質問にも、木礎は無言だった。山伏が本当に聞きたいことを理解しているからだ。
答える素振りを見せない木礎を、山伏は問い詰める。
「なんで辞めるんだ。お前の実力なら――」
「――俺、馬鹿だからよッ」木礎は山伏の言葉を遮った。「喧嘩か売られたすぐ買っちまうし……チームに迷惑掛けたくねえんだよッ」
木礎のその言葉は本心なのだろう。だが、辞めようと思っている理由はそれだけではないと、山伏には分かった。木礎とは闘王学園の初等部時代からの付き合いだからだ。
確かに、木礎はすぐに頭に血が上る。そしてすぐに手が出る。怒り出したら最後、手が付けられない。この辺りでは、特に不良たちの間では木礎は有名人だ。
だが、少なくとも、木礎がそこらのチンピラども戦うときは、いつだってチームメイトのためである。現場に居合わせた選手たちからはそう聞いている。
「誰が迷惑だなんて言ったんだ?」
「…………」
「少なくとも俺は、お前のこと迷惑だなんて思ってない。それに、木礎のおかげで助かったって、他のやつらも言ってたぞ」
それ故に、木礎が砕球を止めようとしているのは他に理由があるはずだ。そしてその理由は、おそらく選手としての能力値だろうと、山伏は推測した。
木礎はまだ短い競技人生の中で、二度大きな挫折を経験している。一度目は闘王学園、二度目は伝統的に転身系の有力者が集う荒晚付属の入部兼入学試験だ。
闘王学園でやってきたというプライドを打ち砕かれても不思議ではない。加えて、同じ闘王学園出身とはいえ、砂刀や駿牙、閑花たちに九十九学園でもレギュラーの座を奪われたとなれば――得意だったことで落ちこぼれれば、やる気もなくなってしまうだろう。
「もうちょっと続けてみないか?」
このまま辞めてしまったら、木礎はダメになってしまうのではないかと、山伏は危惧した。砕球を辞めた選手が暴力団のような組織にスカウトされるというのはよく聞く話だ。しかし、
「今が止め時だろッ」
そう即答された。
木礎が言っているのは、少し前にあったチーム内での揉め事のことだ。学園を去る一部の選手に合わせる形で、自身もチームから身を退こうとしているのだろう。
しかし、山伏が木礎に声を掛けたのも、このタイミングだからこそだ。
「今すぐに答えを出さなくていい。もう少しだけ考えてみてくれ」
珍しく食い下がるチームメイトの姿に、木礎は怪訝そうに眉を顰めた。
「……分からねえな、レギュラーじゃねえ俺を引き留めてもしょうがねえだろッ。お友達だから、ってやつか?」
「助けてやりたいやつがいるんだ」
「……は? 誰だよ。つーか、俺に関係ねえだろッ。知るか、ボケッ」
「……そいつは間違いなく天才だ」
「おいッ!! 話聞いてんのかッ!?」
「結果も出してる――でも弱い。才能に心が追い付いてないんだ」
「は、なんだそりゃ?」
言いながらも、木礎は山伏が誰のことを言っているのか大体見当が付いた。
「……結果出してんならつえぇだろッ」
「才能があること、結果を出せること、選手として強いことはイコールで繋がってないんだ。お前にも分かるだろ?」
今までチーム九十九は問題を抱えながらも、のらりくらりとやってこられた。
いいことも悪いことも全て、不真面目だが結果を出す主力選手たちに集約される。
しかし、先日のチーム内での衝突は間違いなく歪みを生んだと山伏は考える。主将の意見に反対する選手たちがほとんどいなくなったとはいえ、チームの雰囲気は悪い。
そんな空気の生みの親はケロリとしているが、勝負に際してあんな提案をしたのはどこか壊れている証左だ。
「今のままじゃ、そいつのためにもチームのためにもならない。だから、あいつと同じ経験をした俺たちみたいなやつが頑張って、そいつを、チームを引っ張ってやる必要があるんだ」
「…………」
木礎の胸中で渦巻き始めたのは、悔しいという感情。
闘王学園にいた頃、眼前の少年は自分と同じレベルの選手だった。個人ランキングも抜きつ抜かれつを繰り返し、秘かにライバルだと意識していた。
しかし、今はどうだ。自分がふてくされている間に、すっかり水をあけられてしまったではないか。
そして今もまた、少年の背中がさらに遠くへ行こうとしている。
なんで、頑張ろうなんて気持になるのか。闘王学園で思い知らされたはずだ、上には上がいることを。
だが同時に、木礎はまだ「悔しい」と思える自分に驚いていた。そんな感情がまだ残っていることに……何故か、安心した。
「木礎、お前の力が必要だ。だから、俺に力を貸してくれないか?」
「ッ……なに恥ずいこと言ってんだよ」
そっぽを向く木礎。
気持ちが揺らぐ。そんな言葉を掛けられたのは初めてだったから。
「つーか、なんで他人ために頑張んだよッ」
「先輩だからだ。次は俺たちの代だからな」
「ちッ…………別にいいぜ。生憎、時間だけはあるからなッ。それに不器用な手前に後輩の指導が務まるとは思えねえからよ」
そう言って、木礎は飲みかけの子どもビールを呷り、ゴミ箱に乱暴に投げ捨てた。
決して絆されたわけじゃない。あんな言葉で取り込まれるほど、自分は考え方が安易ではない。
だから続ける理由は……そう、砕球を続けるとしてもどうせあと一年で終わるからだ。
それくらいなら、このチームメイトに付き合ってやってもいいと思った――そう思ったに違いない。
そしてこのときの木礎は、自分がこの先一年で劇的に変わることなど考えもしなかった。
そして現在、後半四分に差し掛かろうとしていた頃。
木礎の撃ち放った竜巻は見事にレヴィアタンの横っ腹に直撃した――が、
『レヴィアタン、竜巻に負けません!! 我が道を突き進んでいる!!』
刹那の中でできたことは、若干の軌道修正のみ。巨大海蛇は巨人のいる方向に針路を取ってくれない!!
そして風の柱の威力が見る見る落ちていく。もうどうしようもない。もう、限界――
「――いいからあっちに行けよ、蛇野郎ぉおおおおおッ!!」
弱気の虫を踏み潰し、木礎は背中の黒翼をはためかせ、レヴィアタンの側面に突撃した。
竜巻で背中を押しながら、手から竜巻を噴出しながら、最後の一粒まで《心力》を使い続ける!! 絞り出し続ける!!
しかしそれでも、びくともしない。レヴィアタンは、もの凄い速度で前進していく。
(や、べえ…………ッ)
意識がぼやけてきた。当然だ。自分は今、手を付けてはいけないものに、手を出しているのだから。
安全装置を自らぶち壊したのだ。荒晚付属の選手たちならともかく、まだ使いこなせていない自分では一分持てばいいほうだろう。
急速に曇り出す視界。底が見えてきた《心力》。
脳裏を過るのはこの一年の出来事。
たったの一年だったが、今日まで駆け抜けてきた。無駄に過ごした日など一日もなかった。朝から晩まで、雨の日も風の日も、毎日毎日練習してきた。
普通のことを、やっとやり切れた。山伏に声を掛けられるまで無為に過ごしてきた膨大な時間があれば、もっと上に……そう思わなくもない。
真面目に練習し始めたからこそ、ドブに捨ててきた時間の価値に気付けた。後悔すらも今はポジティブに捉えている。後悔するくらいには成長できたのだから。
挫折も、失敗も、全部ひっくるめて、自分の糧になっている。
そしてこのチームだったからこそ、こんな自分でも今日までやって来られたのだろう。
「あばよ……弁慶」
と、最後の息を吐くように呟き、木礎の意識が深い闇へと沈みかけたところで――
「――諦めるなぁ!! 木礎ぉおおおおお!!」
雄叫びを上げながら自分の隣に飛び込んできたチームメイトの姿に、木礎は白旗を取り下げた。




