ピエロ
「――先輩、起きてください……」
心地よい浮遊感とともに、風が頬を冷たく撫でる。
そうか、戦死した自分は《闘技場》の外に弾き出されたのだと、九十九は得心した。
「先輩!!」「ッ!?」
しかし、耳元でそんなふうに大声を出された九十九はぱっと目が覚める。目の前には、険しい表情を浮かべる後輩の姿が。
「閑花、さん……?」
「試合中に寝るなんて流石ですよ、義経先輩」
「皮肉はよしてくれよ……え、試合中?」
閑花に抱きかかえられた格好の九十九は、素っ頓狂な声を上げた。
九十九は自分がまだ牢屋にいることに、そして自分を押さえ付けていたワイヤはどこにもないことに気付く。
こうして再び牢屋の床に落下しているのは、閑花に操作されて身体を浮かされたからだろう。
「ワイヤなら撃ち抜いときましたよ。義経先輩、ピンチっぽかったので」
周囲を警戒するように視線を走らせながら、閑花は九十九を下ろす。
「助かったよ……でも、ボク一人でもやれたんだ。ボクは県一位だよ。闘王の連中がいなけりゃ、全国一位だ。だから、落ち着いて対処すれば屋島さんから剣を奪い返して、それで――」
「――もういいですよ、そういうの」
「えっ……」
ぽつりと呟かれたその言葉に、九十九は言葉を失う。心臓が鎧臓に強く締め付けられた。
そんな主将に、閑花は俯いたまま続ける。
「もう化けの皮は剥がされたんですよ。みーんな、先輩の不完全さに気付いてます」
「ぼ、ボクの力はこんなもんじゃ――」
「――砂刀先輩も駿牙先輩も少しずつ変わってきてます。義経先輩も本気でぶつかってみたらどうですか?」
「……閑花さん、最近ボクによく口答えするようになったね」
「……弁慶先輩たち、今年で卒業ですからね。少しは言いたくもなりますよ」
「…………」
黙り込んだ九十九に、閑花は続ける。
「わたし知ってるんです、義経先輩が深夜に猛練習してること。だから、夏でも冬服着てるんですよね? 練習してるのバレちゃうから」
一昨年の全国大会予選前のある夜、レギュラーなり立ての閑花は緊張で寝つけず、夜風に当たろうと部屋を出た。そして彼女は見たのだ、寮内にある《総合訓練場》で九十九が苦悶の表情を浮かべながら必死に練習しているところを。
「自分は練習しない」と吹聴していたエースの深夜の特訓は大会前に毎日何時間も行われ、しかしそれを知る者は閑花以外に誰もいなかった。
練習するならチームメイトたちと一緒にやればいいのにと、閑花は常々思っていたが、九十九と何年も付き合うことで、彼が何故コソコソと練習しているのかが分かった。
「九十九は練習をしていない」と思っている周りを出し抜くため――ではない。周囲から凡人と見做されたくないからだ。
「練習しているのに結果が出ない」と思われるのを恐れているのだろう――同時に「練習していないのに結果を出せる」と思われたいのだろう。
お坊ちゃんで、人気者で、砕球も勉強も何でもできる完璧超人。
そんな周囲の評価通りであるために、自分のプライドを守るために、九十九は「練習をしない天才」を演じているのだと、閑花は気付いた。
気持ちは何となく分かる。が、本当に面倒臭い人だ。
「もう嘘付くの止めましょうよ」
「……そう言えば、屋島さんは?」
閑花を無視した九十九は、話題を変えるように訊ねる。
「生きてますよ。でも、わたしの砲撃で削ったので、そう遠くには行ってないと思います。それより、知ってると思いますけど巨人が出たんです。弁慶先輩と木礎先輩だけじゃ厳しいんで応援に……と、その前に」
「え、ちょっと待って!? な、なにを!?」
大丈夫ですよ、球はわたしが見ておきますからと断るや否や、閑花は九十九の胸部にズボッと片手を突き刺した!?
ドバドバと溢れ出す《心素》。
間もなく、九十九は閑花の腕の中でぐったりと脱力した。そしてほんの一秒も経たないうちに息を吹き返す。
「すごいですね、もう全快ですか!?」
「閑花さん……痛みはあるんだよ?」
「あ、すいません……でも、足を潰されたまま戦ったら、また嵌められちゃいますよ?」
確かに、閑花に一度戦用復体を壊してもらったことで、太腿前面にあった傷はすっかりなくなっていた。《自克再生》持ちの九十九相手にだからこそできる荒療治だ。
「それにまたピンチになったら……「嘘だろぉおおおおお!?」とか「ちょ、ちょ、ちょっと待て!!」とか「こんな勝ち方でいいのかい!?」とか、情けな恥ずかしい台詞、全部聞かれちゃいますよ? 変顔も含めて」
蹲って叫び出す九十九を面白がるように、閑花は続ける。
「そう言えば、あれは酷かったですね。落ちろ落ちろ落ちろぉ~とか言っておいて自分が落ちて」
「ちょっと待って、それ以上は――」
「――あと、調子に乗ってんじゃねえよ、雑魚が!! 凡人が!! 落ちこぼれが!! なんて、もう誰この人ってくらいイメージダウンでしたよ」
「し、閑花さ――」
「――あっ!! 達花くんに挑発されたときの義経先輩の顔なんて傑作でしたね!!」
「ぁああああああああああ~!!!!!!」
黒歴史級の記憶を掘り起こされ、九十九は耳を塞ぎながら絶叫する。
しかも面と向かって遠慮無く言われ、ダメージ倍増だ。あまりの辛さに、明日から学校に通えなくなるかもしれない。
「つまり、そういうことですよ」
「……なにがつまりなんだい?」
「完璧な人なんていないってことです。あの九十九義経でもミスはするし、感情的にもなるし、達花くんに負けることだってあるんですよ」
「ボクが、《最弱》に……!?」
結果的に自分は戦死寸前まで追い込まれ、屋島は閑花の不意打ちでダメージを負った。
《最弱》な駒が上げた戦果としては十分以上のものだ。
その事実に、九十九は怒りがすっと込み上げてくるのを感じた。あの眼鏡の少年に負けたと思ってしまったのだ。
「でも、ミスすることも、感情的になることも、格下に負けることも、恥ずかしいことじゃないです」
「……なに綺麗事言ってるんだい? 死ぬほど恥ずかしいじゃないか」
「なに言ってるんですか、義経先輩」閑花はにっと笑う。「一番恥ずかしいのは、恐がってなにもしないことですよ」
「……閑花さん、変わったね。君、そんなキャラじゃなかったろ?」
「まあ、惰性で砕球続けてるようなやつですからね、わたしは。でも、れーちゃんたち見てると色々考えちゃうんですよ。このままでいいのかって」
閑花和姫も、剛羽や九十九と同じく闘王学園にいた選手だ。しかし、彼女はたったの半年で自主退学した。退学した理由は九十九と同じようなものだ。
だからこそ、九十九の気持ちが何となく分かる。どこか似ているから。
「……入部試験のとき、最後の場面で逃げなかったのは君なりの変化かい?」
「結局ダメでしたけどね」
言い当てられた閑花は、えへへと恥ずかしそうに頭を掻く。
「そうでもないさ。あれで、ボクは鞍馬さんに後れを取ったからね」
「え?」
「な、なんでもないよ」
閑花の砲撃に――逃走すると思われた少女の攻撃に過剰反応のしてしまい、攻撃がぬるくなったとは言えない。
「それじゃあ、弁慶先輩たちの援護に行きましょう!!」
九十九は閑花に手を引かれながら、牢屋の出口に向かって走り出す。
前を行く彼女の背中が眩しい。
砂刀や駿牙のように、そしてこの少女のように自分も変わることができるだろうか。
そう思った次の瞬間――
「ぁ……」「閑花、さん……!?」
それは唐突にして一瞬の出来事。
ひゅんという音とともに、閑花の胸を一本の緑矢が射抜いた。続いて飛んできた複数の緑矢が、閑花の全身を容赦なく穿つ。
狙撃手は真上。謁見の間にできた大きな穴の近くから、下にいた閑花を正確に射抜いたのは、チーム風紀の鞍馬与一だ。
「《心核》、射抜きました」
「ナイスコントロールです」
その隣には、鞍馬の肩を借りて何とか立っている屋島の姿が。閑花から不意打ちされたその身体はボロボロだ。
閑花に致命傷を与えたことを確認した鞍馬と屋島は、九十九の反撃を恐れてかすぐに戦線を離脱する。
一方、ドサッと倒れてそのまま死人のように動かなくなった閑花を、九十九はすぐに抱き起こした。《心核》を貫かれているのはすぐに分かった。
「……ボクに酷いこと言うからだ」
「あはは、そうかもですね」閑花は困ったように笑う。「でも、どうしても……言いたかったんですよ。みんな……言わない、から」
「……ボクは変われるかい?」
「そんなの……分かりま、せんよ……でも、最期に……これだけは、言わせてください。義経先輩は……強いです。闘王の、人たちにだって……負けま、せん。だか……ら……あきらめ……ない……で」
間もなく、小規模な爆発とともに、九十九の腕の中から少女の重みがなくなる。
九十九はしばらくそのままの姿勢でぴくりとも動かなかったが、やがてゆっくりと立ち上がって牢屋を後にした。




