最期まで一緒に
剛羽が案内されたのは、入院棟の中でも他の患者たちとは離れたところにある、周りに人気のない個室であった
入ってみると、寝具やテレビ、窓のカーテンに至るまで他の部屋とは比べ物にならないくらい豪華であることが分かる。
そして本棚や冷蔵庫など妙に生活臭のある空間だ。
「麗成さん、いつもありがとうございます」
車椅子からベッドに運んでもらった耀の母、花恋は上品に微笑む。
入院患者と看護師という関係だが、剛羽には二人の仲が良好に見えた。
「剛羽くん、喉は渇いていませんか? 確かそこの冷蔵庫に――」
「――なんで……なんで神動のこと、止めないんですか?」
失礼と分かっていながらも、剛羽は花恋の話を遮ってそう切り出す。
「もってあと一週間なんですよね?」
「……そうですね」
そこで一旦言葉を区切った花恋は深く息を吐いた。その吐息は僅かだが震えていた。
「普通は止めると思います。でも、あの子にはずっと我慢ばかりさせてきましたから……少し長い話になりますが、いいですか? 途中で眠くなってしまうかもしれませんので、コーヒーでも如何ですか? そこの冷蔵庫に入っているので」
「花恋さん、大丈夫ですよ」麗成は剛羽の肩に手を回して引き寄せる。「家の剛羽はしっかりしてますから」
「ちょっと、母さん……近い」
剛羽は気恥ずかしそうに、母の手を振り払う。もうそういう年だ。
「あら、やだ。昔はお母さんのこと世界一大好きとか言ってくれたんですよ? 優那ちゃんに取られちゃったのかな。若い娘には敵わないわ」
「あら、剛羽くん、好きな女の子がいるんですか~。確か優那さんは、耀のチームのキャプテンさんですよね? 耀から送ってもらった写真で見たことありますよ。大人っぽさの中に子どものような可愛いさがありますよね、ふふ」
「剛羽、さっさと告白してきなさいよ。早くしないと誰かに取られちゃうわよ」
「……マジで勘弁してください」
母親たちの可愛がりに遭い、顔も耳も真っ赤にする剛羽。
恋話はいいですから話を進めてくださいと促す。
「そうでした、これから昔話をするんでした」
ぱんと手を合わせた花恋は一度座り直してから話し始める。
「どこから話しましょうか……まずは夫との馴れ初めから」
「花恋さん、それだと陽が暮れますよ」
「そう言えば、麗成さんには話したことありましたね」
「睡魔との闘いでした……」
「え、そんなにつまらないお話でしたか?」
「あの、話進めてください」
堪らず剛羽が催促すると、ようやく本題に入る。
「剛羽くんは耀から私とジャスティンのこと聞いてるんですよね?」
剛羽が「はい、少しは」と答えると、花恋は少しの間目を閉じ「耀は本当に強い子ね」と感嘆するように言って続ける。
「もう一五年も前ですか、夫が他界して、私がここに入院してから耀は夫の家でお世話になりました……両親がいない環境で本当は心細かったと思います。でも、耀はそういうところ見せてくれないんですよね。多分、私に、周りに気を使ってくれてるんだと思います」
「…………」
「それに、あの子は自分の血に誇りを持ってるんです。それが、私とあの子の一番の違いですね……私はジャスティンと関係を持たなければよかったと思ってましたから。それでこの有り様です」
ベッドの端に腰掛けていた麗成が、気遣わしげな表情を浮かべながらすっと花恋の手を握る。
後悔。自責。花恋を見ていた剛羽の中ではそんな言葉が浮かんでいた。
花恋の話は、その後も暫く続いた。
精神的ショックによって寝たきりになった花恋が今の状態まで回復したのは一〇年ほど前。それを知らされた耀はすぐに日本にやって来たそうだ。五歳の子どもは何も文句は言わなかったらしい。
「砕球の試合に出たら……無理して《心力》を使ったら一週間も持たないかもしれないと聞きました……本当は、そんなの嫌ですよ。砕球なんて今すぐ止めさせて少しでも長く耀の傍にいたいです――でも、それは親のワガママなんですよね」
花恋は大粒の涙を流しながら、それを気にもせずに続ける。
「だから……だから、せめて最期くらい、あの子がやりたいことをやらせてあげたいんです。私が母親としてあの子にしてあげられる、最初で最後のことですから」
途方に暮れるように病室を後にした剛羽は、一般寮にある自室に戻って来ていた。眠いわけでもないのにベッドに埋もれる。
しかし、空き地から聞こえてくる誠人や玲、優那の声に何となく身体を起こし、廊下側の窓から空き地の様子を眺める。誰もが一生懸命に練習するそこには、当然ながら耀の姿はない。
落ち込んでいることを自覚した剛羽は、自分にとってあの少女が大切な存在なのだと改めて気付く。
すぐに調子に乗って、生意気で、うるさくて、プライド高くて、なのに意外と面倒見がよくて……。
才能の上に胡坐を搔かずに人一倍練習してきた少女が遠くに行ってしまうことに、込み上げてくるものがある。
じっとしていられなくなった剛羽は、何となく耀の部屋に向かった。
主の帰りを待っているのかのように開け放たれたままの少女の部屋は、必要最低限のものしかない寂しいものだった。
自分は砕球をやりにきている、そんな決意が表出したような部屋だ。
とそこで、剛羽はふと窓際に据え置かれた勉強机に目が留まった。机上に置かれているのは一冊の手帳。耀がいつも携帯しているものだ。
剛羽は勝手に部屋に上がり、手帳を開く。
そこには入学前に一緒に練習をし始めた頃から今に至るまで、様々なことが書き連ねられていた。
剛羽が教えた練習メニュー。それを実践してみての感想、こうアレンジした方が自分には合うのではないかという考察。毎日の練習の反省。誠人とのコソ練について。どんな食事を摂ったのか。チーム上妃の面々との他愛もない出来事……ここ数ヶ月の耀の実体験が目に浮かぶほど、詳細に記述されていた。
「こんなの見たら……止められないだろ」
剛羽は誰に言うでもなくそう呟いた。
そして最後のページ、裏表紙のところには「このチームでどこまでも!!」と、マジックペンでデカデカと書かれていた。
「…………」
剛羽はごつんと、拳を額にぶつける。迷いはなくなった。
チームメイトである自分ができることは、耀の意思を無視して止めることではない。最後まで耀と駆け抜けるべきだ。それが彼女の意思を尊重することなのだ。仮令その結果、彼女の寿命を縮ませることになったとしても。
立場は違えど、花恋の気持ちが少し分かったような気がした。
「世話の焼ける姫様だよ、お前は……」
自室に戻った剛羽はすぐに着替えて空き地に飛び出した。




