元一位vs無敗
「ま、蓮くん!?」九十九は予想よりも早い剛羽の登場に狼狽しながらも、冷静を装っておどけて見せる。「どうしたんだい、今日は会議に出ているはずだろう?」
「それは俺のセリフですよ。九十九先輩こそ、こんなところでなにしてるんですか? 先輩は砕球部の部長ですよ」
剛羽は額の汗を拭いながら答える。
数一〇分前、お手洗いから出たところで偶然アズキと出くわし、その小さな背中に背負われたマオを見た瞬間に、何かあったのだと直感で理解したのだ。
そして会議などほっぽり出して学校を飛び出し、乗ろうとした電車がちょうど出発してしまったため、次の電車を待つよりは走ったほうが速いと判断してここまで駆けてきた。約三十分間、三十キロ、全力疾走と個心技を繰り返したため、疲労はピークだ。が、そんなことを言っている場合ではない。
「ボクはくだらない会議には興味ないからね。なんて言うと、屋島さんと壇ノ浦先輩にどやされそうだけど」
「質問に答えてくださいよ、九十九先輩」「ん?」
剛羽は首を傾げた九十九と鼻がぶつかりそうな距離まで詰め寄る。憤怒の形相を張り付けながら。
「もう一度聞きます。こんなところで――なにしてるんですか?」
「ぼ、ボクは砕球部の部長として九十九学園の生徒会長として問題を起こした守矢さんたちを裁いてるだけだよ」
「裁く?」他人に向けるようなものではない視線をぶつけたまま問う剛羽。
「ほら、あの少年たちを見てくれ。可哀そうに、あまりの痛みに昏倒しているだろ? ボクがここに来たとき、彼らが倒れている傍に守矢さんたちが立っていたんだ」
「……やったのは守矢たちだって言いたいんですか?」
「それ以外考えられないだろう? 他に誰がいるって言うんだい。でもボクは問答無用で退学にはしなかったよ。だから今決闘してるんだ、負けたら退学してもらうって約束でね。勿論、守矢さんたちの合意の上で、だ。公明誠実な判断だろう?」
「そうせざるを得なかったんじゃないですか?」
「や、やだなぁ、蓮くん。そんな恐い顔しないでくれよ。そんな表情、信頼ある友人に向けるものじゃないよ?」
「……アズキから聞きました。そこで寝てるやつらが神動たちに喧嘩売ってきたんですよ」
「へ、へえ~、それは初耳――」
「――唆したのは先輩ですか?」
「ま、まさか、冗談はよしてくれよ。酷いなぁ。何を根拠に言ってるんだい?」
九十九は、たった今物置前の空き地に風紀委員の勇美と一緒に戻って来た、双葉アズキを憎々しげに見やった。
双子の妹はその大きな瞳を泣き腫らしたまま、風紀委員の少女の背中でぐったりとしている姉を心配そうに見ている。
とそこで、目と鼻の距離まで接近していた剛羽が、ぼそっと耳打ちしてきた。
「さっき、漆治と会いました」「ッ!?」
ぎょっとした九十九は、アズキたちから鼻がぶつかりそうな距離に迫っている剛羽に視線を戻す。剛羽が漆治に会ったということは、何か聞いているのでは……。ごくりと唾を呑む。鎧臓に締め付けられた心臓がひどく痛む。
「それでもまだ続けますか?」
「…………」
「まあ別に先輩をどうこうしようってわけじゃないですよ。そもそも先輩の言うとおり、確かな根拠はないですし」
「……そうだね、確かに根拠なんてないね。でも分かった、分かったよ。ボクの勘違いだったってことでいいよ。だから、この決闘はなかったことに――」
「――いえいえ、決闘は続けましょう。ただし、俺が神動たちの代わりに出ます。俺が負けたら退学にするなりなんなり好きにしてください」
「いやだからボクは……決闘云々の話はボクの勘違いが原因だったわけで、もうその話は――」
「――先輩、それはつまり試合放棄ってことですか?」
「は?」
「俺、勝ったらもう一つお願いしようと思ってたんですよ。じゃあ、そっちも認めてもらえるんですね?」
「蓮くん、もう少し分かるように言ってもらえないかな? 天才は言葉が足りなくていけない」
「すいません、分かりました……俺が先輩に勝ったら神動達と一緒に他校に編入――」
「――ちょっと待って! いや、ちょっと待ってくれ!」
「確か他校の砕球部に編入するには監督と部長のサインが必要なんですよね? だから、俺たちが勝ったら書類にサインしてくれませんか?」
「何だよそれ、意味分かんねえよ! ……あ、その、意味が分からないよ! と、とにかく一生のお願いだ、なんでも言うことを聞くから、考え直せ! 考え直してくれ!」
目に見えて狼狽する砕球部の部長。
そんな初めて見る光景に、優那や玲、勇美などは唖然としてしまう。
「先輩、簡単な話ですよ。引き留めたいなら、俺を倒せばいいんです……ダブル」
そう言って、剛羽は戦用複体に変身し《IKUSA》を操作し出す。
一方、九十九の額や背中からはぶわっと汗が噴き出していた。足が竦む。心臓が鎧臓を突き破りそうなほど暴れ回る。顎が小刻みに振動し、上と下の歯がぶつかり合ってカタカタと音が漏れる。終いには急に視界がぼやけ始め、頭もぼーっとしてきた。
『フィールド展開、フィールド展開、ご注意ください』
間もなく、剛羽と九十九が半球状のスケルトンブルーの壁に包まれる。
そこでようやく、九十九は自分がいつの間にか剛羽からの決闘申請を受諾していたことに気付いた。
『九十九義経選手、戦用複体に変身してください』
「……トランス、ダブル」
まるで操られているかのように、九十九は虚ろな瞳でぼそりと呟く。
変身が確認されると十秒カウントが始まり、間もなく試合が始まった。
剛羽はゴングが鳴らされると同時に《速度合成》で加速し、加速しながら小刀二本を錬成。そして、
「い……やぁあああああ!!」
剛羽は、九十九が絶叫しながら振り抜いた剣を、螺旋回転しながらかえ潜り――
「――蓮、ダメだ! その攻撃じゃ……」
倒し切れないと、誠人は言おうとしたのだが。
胸から二つに斬り裂かれた九十九は、あろうことかそのまま爆砕した。
『九十九義経選手、戦死。勝者、蓮剛羽選手』
試合時間、一秒。
元全国ランキング一位と個人戦無敗の戦いはあっけない幕切れとなった。
「先輩……」
剛羽は腕を付いて蹲っている九十九に淡々と言葉を掛ける。
「先輩の個人戦の動画、此間二人で話した後に見させてもらいました。すごいですね、一度も負けてないじゃないですか……でも、別のことにも気付きました」
そこで一旦言葉を切り、本人にだけ聞こえるように小さな声で続ける。
「ここ二年――いや、全国大会で負けてから今まで、先輩は格上の選手と一度も戦ってないんですね」
「…………」
沈黙。
それは肯定を意味していた。
約二年間、九十九は自身よりランキングの高い選手、同じくらいの選手と一度も個人戦で戦っていないのだ。個人戦に限らず、チーム戦のときですら勝負を避けるほどの徹底ぶりである。
「ま、待って、蓮くん! ボクを置いて行かな――」
「――行きませんよ、どこにも」
剛羽の言葉に、その端正な顔を涙と鼻水でコーティングした九十九は「へ?」と間抜けな声を出した。
「大会前のこんな時期に編入なんてするわけないじゃないですか。でも――」剛羽は九十九にそっと耳打ちする。「――次は、ないですよ。もう二度と、俺のチームメイトに手、出さないでください」
剛羽は今度こそ九十九を置き去りにして歩き出した。
「お兄ちゃん!」
「美羽、怪我してないか?」
真っ先に抱き付いてくる美羽を受け止め、安心させるようにゆっくり頭を撫でる。
「優那先輩、助かりました。ありがとうございます」
「ううん、皆が頑張ったからだよ」
優那は言いながら温かい眼差しを耀たちに向けた。
剛羽は首の後ろに手を当てる。優那から「褒めてあげて褒めてあげて」というオーラを感じ取り、気まずそうに首の後ろに手を当てる。優那に催促されると弱い。
「えーとだな」
でもまあ、九十九先輩相手に即死しなかっただけ粘ったよなと、剛羽は気恥ずかしさを胸にしまい込み、耀たちに何か称賛の言葉を掛けようとしたそのとき。
「神、動?」
まるで糸がぷつんと切れた人形のようだった。
突然、耀は身体をふらふらと前後左右に揺らす。ゆっくりと、ゆっくりと。
そしてそのまま本当に自然な動きでドサッと前に倒れる。
僅かな静寂。それは状況を把握するためのラグだ。
優那や美羽の悲鳴が上がる。しかしその声は届かず、耀はピクリとも動かなくなるのであった。




