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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

魔性のひと

ずっと友達

作者: ししおどし

「うううううう、何が、悪かったのか、な……っ!」

「……運?」

「うわあああああん! 指摘するなら直せることにしてよううう! 運なんてっ、どうやったらよくなるか、わかんない……っ!」

「でもねえ、あんた、綺麗だしいい子だし。直すとこなんてないじゃん」

「……千代ちゃん……! ああもう、涙止まんないじゃないっ!」

「泣け泣け、泣いてあんなの忘れちゃえ」


 校舎の四階の隅にある、第二音楽室の真ん中。

 ぐすぐすと泣く彼女の声は、防音のきいた壁は外に漏らすことなく内側に留めてくれる。

 放課後にここを使う部活は無いけれど、いつもなら解放されてて、誰かがピアノを弾いている事もある。だけど今日は、私たちの貸切。入り口にかけた鍵には気づかないふりして、好奇心にかられた誰かが聞き耳をたてることのないよう、それとなく追い払ってくれてるはずのクラスメートたちの優しさは、彼女が今まで積み上げてきたもの。

 栞が泣いているのは、付き合っている相手と破局したせい。その事実だけ掬い上げれば、たかだか恋人と別れたくらいで一つの部屋を占拠して涙に暮れるなんて、大げさすぎると笑われてしまうかもしれない。

 けれど私も、栞のクラスメートたちも、栞は泣いていいと思っている。ぼろぼろと涙を流すだけの目にあったのだと、彼女に近い存在であればあるほど、理解している。


「もっと、前だったら良かったのに。好きになっちゃう、前だったら良かったのに。信じちゃう前だったら、良かったのに……っ!」

「……うん、そうだね」


 栞が恋人と別れることになったのは、恋人に栞以外の好きな人が出来たせい。

 これもまた、世の中にはよくある別れの一つなのだろう。

 けれど栞にとっては、あまりによくあることであるが故に、ひどく傷ついている。

 だって今まで栞の特別な異性の立ち位置に納まった男はみんな、栞以外の大事な人を見つけて離れていってしまったのだから。

 栞に大事な人が出来たのは全部で四回。

 最初は幼稚園の時、次は小学生、三度目は中学の時で、そして四度目の今。

 そういってしまうと、栞がひどく惚れっぽいように思われそうだけれど、最初の男の子以外は栞からではなく向こうから、熱心に口説かれた結果だ。

 私が知っているのは二人目からだから、一人目は栞の話でしか知らない。

 同じ幼稚園で一番仲がよくって、将来は結婚しようねと幼い約束を交わしていたそうだ。栞も相手の男の子は誰にでもそんな事を言うタイプではなくって、別の子に結婚しようと言われても、もう約束してる相手がいるからと頑なに断っていたらしい。微笑ましい話だ。

 けれどある日、相手の男の子が泣きながら謝ってきたそうだ。

 『栞ちゃんよりもっと好きな子が出来たから、結婚できない』と。

 栞も相手に負けないくらいわんわん泣いて、嫌だって主張したのに、相手の子は決してもう一度、結婚しようとは言ってくれなくって、ごめんねと謝るだけ。それきり栞とは遊ばずその、栞よりもっと好きな子と卒園の時までずっと一緒にいるようになったらしい。

 傍から見ればただの幼い子供の戯言、すぐに忘れてしまうものだと思いそうだけれどその出来事は、幼い栞を深く深く傷つけたらしい。

 もう絶対誰も好きにならないなんて、僅か五歳にして決意させてしまうくらいには。


「大丈夫って、言ってくれたのに、なあ。うふふ、なんで、信じちゃったんだろ……っ」


 目を真っ赤にして涙を流し、ぐっと唇をへの字に曲げて顎に皺を寄せて、ちっとも可愛くない顔で泣いていている筈なのに、それでも栞は綺麗だ。

 赤く染まった目尻も頬も歯型のついた唇も、栞の美しさを引き立てる要素にしかならず、気を抜くと状況も忘れて見とれそうになる。笑っても泣いても怒っても拗ねても、栞の美しさが損なわれたことはない。

 それに栞は、優しい子だ。誰も聞いてないんだから、離れてったやつのことなんて思う存分罵ってやればいいのに、出てくる言葉はどこが悪かったんだろうなんて、自分を責めるようなもの。私が代わりに罵ってやりたいけれど、そうすれば栞は庇う必要もない相手を庇いはじめてしまうから、黙って傍にいて耳を傾けるだけ。

 その気質は何も、恋人だった相手だけに差し出される訳ではない。栞は誰にだって、そんな優しさを向ける。基本的に、誰かを悪く言うことはない。

 そんな姿を、偽善者だと哂って嫌う人間はいる。計算だとこそこそ陰口を叩く人間もいる。

 だけど私は、そんな栞が好きだ。もしも偽善だとしても、栞のことが大好きだ。

 だって彼女の纏う空気は、いつも暖かで柔らかい陽だまりのようだから。

 そうして私以外にも、彼女のことを好きになる人間は沢山いる。

 たとえば、彼女の特別だった、彼らのように。


 小学校の三年の時に彼女に好きだと告げた男の子は、幼稚園の時から栞の事が好きだった。

 中学の二年の時に彼女に告白した少年は、小学生の頃から栞の事が好きだった。

 高校の入学式の直後、彼女に愛をつげた男子生徒は、中学の頃から栞の事が好きだった。


 まずはその見た目に惹かれて、次第にその柔らかな空気に魅せられるようになって。

 それは何も、彼らだけではないだろう。

 けれど彼らはその他大勢と違って、行動に出た。

 恋なんてしたくないと怯む栞に近づいて、好きだと囁いた。同じ瞳で彼女を見つめるその他大勢を威嚇しながら、自分を見て欲しいと懇願した。

 彼らは知っていた。栞をずっと見ていたからこそ、特別な存在が離れていって、ひどく傷ついた栞の姿を。

 だから栞がなかなか受け入れなくても、根気よく伝え続けた。

 恋愛に関しては、ひどく頑なな彼女の心をどうにか解きほぐそうと、あがき続けた。


 小学生の時の彼は、三ヶ月。

 中学の時の彼は、半年。

 高校の彼は、一年と二ヶ月。

 誰を憚ることなく堂々と、人前で彼女に好きだと伝えて、時に周りを巻き込んで根回しして、どうにか彼女の凍った心を溶かそうと奔走した。

 どうか前のやつと同じだと思わないでくれと、ひとくくりにしないでくれと、必死の形相で頼み込む。好きになってくれなくてもいいから、好きだと思う気持ちを否定してほしくない、なんて。

 あまりの必死さに、絆されてしまうのは栞より先に、周りの方。

 最初は白けた目で見ていても、間近で見ればその熱量が伝わってきて、本心から想っていることが分かってしまう。過去に蹲って背を向ける栞が歯痒くなって、彼の方に傾いてしまう。善意から、栞に幸せになってほしいから、おせっかいにも彼の背を押すようになる。


 真っ直ぐな気持ちをぶつけられて、真摯に話をされて、更に周りからも諭されて、向き合わずにいられないほどに、栞は優しくて誠実だ。

 十把一絡げではなく個人としてみて欲しいと頼まれれば、きっと同じだとどれだけ言い聞かせてもいつしか一人の相手として見る様になってゆく。今までのことを相手に負わせることに罪悪感を抱いて、次第に真剣に対面するようになってしまう。栞はそういう人だ。

 そういう性質だからこそ、拒絶しきれない。自分なりに受け止めようとして、前に進むことを選んで、やがて伸ばされた手を取ってしまう。今度こそは、信じようって、自分を奮い立たせて。


 なのに、彼らは。

 栞とようやく気持ちを通わせてから、半年もしないうちに栞以外の大事なものを見つけてしまう。栞のことがあんなに好きだと言ってたくせに、別の誰かを好きになってしまったと真っ青な顔で栞に告げて頭を下げる。栞のこれまでの事を知ってるくせして、別の誰かに気持ちを移してしまう。


「仕方、ないよね。好きになっちゃったなら。恋人がいたって、恋に落ちちゃう事はあるんだもん」


 散々泣いたあと、ぽつりと呟いた栞の声は、諦念に満ちていた。

 きっと栞以外に起きたことなら、私も同意できただろう。

 どれだけ好きでいようと心に決めていても、必ずしも気持ちが思うようにあってはくれない事はあるだろう。好きになろうと思っただけで、好きになれるほど心は簡単に出来ていない。

 他に想う相手が出来ているのに無理に付き合っていても、いずれ恋人は気づくだろう。そうなればもしかして、恋人の方から彼の背中を別の誰かに向けて押させる事もあるかもしれない。無理やりにでも、笑顔を作らせて。

 そうなる前に言い出した彼らは、ある意味誠実ではあるのかもしれない。恋人に必要以上の負担を強いさせてしまう前に、きっぱりと頭を下げて別れを告げて、周りにも自分が悪いのだと知らしめて。それはせめてもの、恋人への誠実さと優しさで、あると言えるのかもしれない。

 もしも、栞が相手でなければ、私は仕方ないと割り切って彼らの行動を見つめただろう。ひどいひどいと騒ぐ外野を否定はせずとも、だけど仕方ないよと内心では思って彼らにさほどの悪感情は抱かなかったかもしれない。


 だけど、栞が相手だから。私は許せない。

 どこかで仕方ないとは思っている。ずるずると別れないままよりは、まだましな対応だとも思っている。ひどい話ではあるが、彼らがひどい男ではないことも知っている。

 それでも、思わずにはいられない。


 消えてしまえ、栞の視界から。

 壊れてしまえ、栞を傷つけて成立した関係なんて。


 けれど現実には、彼らはみんな誰もが、今も尚選んだ相手とずっと並んで過ごしていて。

 周りからの冷たい視線に晒されても、ぎゅっと手を握り合って寄り添っていて。

 そして恋人同士、視線を交わすたびに幸せそうに綻ぶ表情を視界に入れてしまうたび、ぐつりぐつりと私の胸は煮え立ってゆく。

 壊れてしまえ。跡形もなく壊れて、傷ついて泣き喚け。

 けして栞には言えない呪いの言葉を、胸の中で呟かずにはいられない。



「いいもん、私には、千代ちゃんがいるから」


 ようやく泣き止んだ栞は、無理に作った笑顔を私に向ける。

 当然だと頷くと、一瞬、作り物の中に本物が浮かんだように見えた。


 本当は。

 頬を伝う涙を、拭ってしまいたい。

 指ですくって、唇を寄せて舐め取ってしまいたい。

 そっと抱きしめて、私じゃだめなのって聞いてしまいたい。

 あんなのやつらよりずっと、私の方が栞の事が好きなのにって、告げてしまいたい。

 私は、栞が好きだ。

 友達としてだけじゃなく、彼らが栞に向けたのと同じ種類の気持ちを、栞に抱いている。


 拒絶されることは、不思議と怖くない。

 きっと栞なら、驚きはしても頭ごなしに否定はしないと、理解しているから。

 怖いのは、私も彼らと同じになってしまうこと。

 万が一、栞を全て私のものに出来たとして。

 その途端に、彼らと同じように、栞以外の大事なものが出来てしまったら。


 だって私は、知っている。

 ずっと、栞の友達として、栞の隣で見てきたから。

 彼らの背中を押すみんなに混じることなく、ずっとずっと、栞の隣で、栞と一緒に見てきたから。

 よく、理解しているのだ。

 彼らが本当に、栞のことを好きだったこと。

 心底栞を大事にしたいと願っていたこと。

 変わることなくその隣で、微笑む栞を見てゆきたいと思っていたこと。

 自分だけは前のやつらとは違って、栞だけを好きでいると信じきっていたこと。


 それなのに、彼らには栞以外に大事なものが出来てしまった。

 栞と想いが通じた途端に、まるで仕組まれでもしているかのように。

 私は違うと思いたい。けれど違わなかったら、それに心を奪われてしまったら。

 栞がまた、泣いてしまう。それが怖くてたまらない。


「……千代ちゃん、いつもごめんね」

「いいよ。だって友達じゃん、あたしたち」

「うふふふ、ありがと。千代ちゃん大好き」


 どこか気まずそうで恥ずかしそうで、照れたように笑う栞の表情は、友達だからこそ向けてもらえる、特別なものだって知ってるから。


 ずっとずっとこのまま。

 栞の隣、友達のまま。

 いつか栞がずっと好きでいてくれる誰かと、出会えますようにと。

 何もかもを押し込めて、友達の顔で、願い続ける。



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