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春子は口が悪い!

 何気ない、平日の昼。

 我が愛娘、美咲は学校に行き、

 我が愛猫、佐介は――どうにかして私の腕に噛み付こうと、威嚇しつつ、私をじりじりと追い詰めている。


「ぬおっ、やめろ、腕はやめてくれ!」

 そして腕だけは死守せねばならんと、懸命に逃げているのが私だ。

 私は先日もやつに威嚇され、引っ掻かれ、噛み付かれた。

 佐介のなかではおそらく、私はやつより下にあるのだろう。我が家において私は、最下層に位置しているのだ。ながらくここで暮らしていると、いやでも思い知らされる。

 それ故か、佐介は隙あらば噛み付こう、引っ掻こうと迫ってくる。

 それも、わざわざ目立つような、たとえば腕などを狙いすましてきやがるのだ。まったく、可愛い顔して食えないやつである。


 佐介とはもう十年以上、同じ屋根の下で生活しているのだが、どうにも私になついてくれない。

 当然いじめたりとか、暴力をふるったりなんてしていない。それどころか、かわいいもんだから、あれやこれやと世話を焼いてきたつもりなのだが。

 それに加え、美咲にぼろくそに言われてから――佐介に悪いということもあり――泣く泣く育毛剤の使用をやめたのだ。苦渋の決断であったのに、それでも佐介の態度に変化はみられない。

 どれ撫でてやろうと手をのばしたりして、運悪く虫の居所が悪かったりすると、毛を逆立てて怒り出すのだ。いや、そうでなくとも条件反射的に吠えてくることもある。

 あまりに理不尽ではないだろうか。

 猫に理屈を求めてはいけないが、もう少し愛想できないものか。

 それを春子にぼやくと、

「あなた、足の感覚が鈍いから」

 とたった一言で一蹴されてしまった。傷心の私は、さらに痛めつけられたのである。


 ――我が愛妻、春子は口が悪い。


「それが、どうしたというのだ」

やはり私に味方はいないのか……と挫けかけたが、やはり今日も、私はあきらめが悪かった。

あくまで強気で、春子に立ち向かう。

「だから、気づかぬうちに佐助の尻尾を踏んでいるのよ」

「なんだと」

「そこまで鈍くはない……はずだ」

 なんだ、どいつも佐介をかばいおって、と憤慨しつつ立ち上がる。


 ぎゃんっ!


 悲鳴があがった。一瞬、誰がその声をあげたのか、理解に時間がかかった。

 しかし声がしたのは私の足元からである。

 声の主は、佐介以外にありえなかった。

 鈍くない、などと偉ぶったそばから、私は佐介の尻尾を踏みつけてしまったのだ。


「す、すまん! 大丈夫か!」

「ほらみなさい」

 春子からは冷たい目でにらまれる。それ見たことかと。

「あなたね、嫌われているとか嘆く前に、自分の行動を省みなさい。だから嫌われるのよ」

 正論である。

 これには反論の余地などあろうはずがなかった。遇の音も出ない。はい、と頷くばかりである。


 謝罪のつもりで撫でる、となると先日の二の舞になるので、私は別の手を考えた。

 ここはやはり餌付けしかないか……。

 そう画策した私は、まだ少し興奮気味の佐介に土下座し、台所へと向かった。そこにしまってある、佐介用に買い貯めしておいたカニカマのおやつを持ってくるためだ。

 それを皿にうつし、佐介の眼前にちらつかしてやると、私に怒り狂っていたのもわすれて、すぐに食いついてきた。途端に嬌声をあげ、甘えてくる。早く食わせろと言わんばかりの様子である。少し焦らして佐介の様子を堪能してから、床に皿をおくと、飛びつくようにして食べ始めた。

 その、がつがつと食い漁る、豪快な食べっぷりがまた可愛らしい。

 先ほどまで怒っていたのに、ご飯がきたとたんにころっと態度を変える。現金なものである。かわいい。


「現金ねえ、まるであなたみたい」

 佐介が食べているのを優しく見守っていた春子が、ぽつりとつぶやいた。

「なんだと」

 耳聡い私はそれを聞き逃さなかった。

 それは聞き捨てならないぞ。

 さすがの私も、そこまで言われては、堪忍袋の緒が切れるのも致し方ない。ああ切れたとも。

 さあ怒鳴ってやれ、と私は息を吸い、

「……今日の夕飯はあなたの好きな生姜焼きにしようかしら」

 そしてそれは無意味なものと化した。

 春子の言葉を聞いたとたんに、私の心は晴れやかになって、図らずも笑顔がこぼれてしまった。


「なに? そ、そうか。それは楽しみだ」

「やっぱり同じじゃない。餌をやるだけでご機嫌になるんだもの」

「ぐ……」

 やはり私は、二の句が継げなかった。なぜならその通りだったからだ。

 だめだ、口元がゆるむ。ごまかせない。


「ふふ、冗談よ。本当、あなたの反応は面白いわね。いじめ甲斐があるわ」

 しばし絶句し、そして私は笑った。笑ってしまった。  

 なんと、春子の口の悪さというのは、私がいい反応を示すからだというのか。言葉に窮し、唸っている私の姿をみて、内心ほくそ笑んでいたのだろうか。そうなのだろうな。そうすると、美咲もまた、そうなのかもしれない。

「ふふ、今日は腕によりをかけて作るわよ」

 春子の微笑みは、なにより美しいものだった。 


 やがて、日が沈んでくると、美咲が帰ってきた。

「ただいまぁー」

 間延びした声がが玄関から聞こえ、数秒経たずにリビングへとやってきた。

「おかえり」

 台所で夕食の準備をしている春子につづいて声をかけてやると、「ん」と小さく返事があった。


「美咲、今日はなんと、生姜焼きだぞ」

 子供っぽいと自覚はしているが、それでも嬉しさを隠しきれず、私は美咲に話しを振った。

「ええ、またあ?」

 美咲からは文句があがった。

「ああ、まただ」

「どうせ父さんのリクエストなんでしょう? 本当に生姜焼き好きよね、父さんは。これはもう、生姜焼き馬鹿と呼ぶしかないわね」

「ふ、馬鹿でけっこう」

「私、ランチも生姜焼きだったのよ」

「いいじゃないか、一日に二回も食べられるなんて最高だろう」

「……はあ。もう、しょうがないわね」

「生姜焼きだけに?」

「つまらないわよ」


 つまらないギャグを発する私を一笑に付す美咲だが、勘違いしてはいけない。舌戦の勝者はほかでもない、私である。

 久々に美咲を論破してやった瞬間であった。そして二人して笑いあった。


 春子に、美咲に、私。三人で顔をつき合わせての夕飯は、やはり美味しかった。

 部屋のすみでは、佐介が丸くなって眠っている。

 ――私の家族はみな、口が悪い。非常に悪い。

 だが、仲は良好である。

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