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04:似非

 十二月に入ると、ニューヨークはとたんにクリスマスへと模様替えをする。どこを歩いていてもストリートはイルミネーションで飾りつけられ、メイシーズのショーウィンドウは映画『34丁目の奇跡』とそっくり同じデコレーションを作りあげた。ロックフェラーセンターの広場ではさっそくスケート場がオープンし、ホリデイ・バーゲンも始まって、プレゼントを買いに走る親子の姿も多い。

 要するにお祭り騒ぎだ。クールを気取るニューヨーカーも、こうなると典型的なアメリカ人にすぎない。

 そしてダニエルもまた、しょせんニューヨーカーでアメリカ人だった。父にはあのプレゼントをとか、カタリナにはこれがいいだろうかとか、ヘルガにはへたなものを贈れないだとか、ライトアップされた街並みを見るたびに、ついぼんやりしてしまう。

 そうしてうずうずを繰り返した一週間の後、土曜日の朝、とうとうダニエルは宣言した。

「今日は買い物に行くぞ。クリスマスの買い物だ」

 クリスマスとは、よほど魔力を持っているらしい。

 その言葉を聞くや、朝食のしたくをしていたはずのカタリナは目を輝かせて飛び上がった。普段はあまり大騒ぎすることなどないのに、きゃあきゃあとはしゃぎまわって、幸いにもキャップは閉まっていたがミルクのボトルをひっくり返したくらいだった。

 そんな少女をなんとかなだめ、相も変わらず豪勢な朝食をありがたくいただいた午前十時過ぎ、ふと思いついてダニエルはこんなことを口にした。

「ヘルガも誘ってみるか、お前好きだろ、彼女。どうせヒマだろうし」

 案の定、携帯電話を二度もコールしないうちにヘルガは電話に出て、ショッピングを条件つきでOKした。すなわち、ランチはダンがおごってね。商談はダニエルの運転するセダンでヘルガをひろい、そのままメイシーズに向かうという具合にまとまった。

 カタリナはよろこびすぎて、今度はグラスをひとつ落として割った。


 ダニエルの実母というのが、日本人ゆえだろうか、どうにもブランド物に弱い。ことに、店の名前というものに弱かった。

 クリスマス・ショッピングの行き先にダニエルがメイシーズを選んだ理由といえば、それだった。あの店はいいのよと十歳まで吹きこまれて育った結果、さすがに日常の買い物までを頼ろうとは思わないが、こうしたイベントの買い物には決まってメイシーズに行かなければならないような気分になってくる。

 ヘルガはダニエルを茶化してあなたがブランド物にこだわるとは知らなかったわ、と笑ったが、こればかりは彼に文句が言えようはずもない。苦虫をかみつぶしたような顔で運転を続けた。

 それでも実際に店に入れば、盛り上がるのはいつでも女の方だ。手始めにチョコレート、次はバッグ、クツだ服だ化粧品だと連れ回され、カタリナがどかりとイスに腰をおろしたサンタクロースをながめるころになると、ダニエルはすっかり疲れきっていた。

「子どもは元気だな」

 コーヒーを飲みながら憎まれ口を叩いたが、あいにくと女の方が一枚上手だった。狐のように目を細めたヘルガが皮肉げにきれいに紅を引いた唇をゆがめ、ふ、と鼻を鳴らすのにダニエルはたじたじとなった。

「ダンの体力がないんでしょ。……ほら、行ってきなさいなカタリナ」

 サンタクロースにむらがる子どもの輪の外、ぽつんと彼らを見つめるカタリナの背中を、ヘルガはやさしく押してやった。だがカタリナは首を横にふる。

 ヘルガは首をかしげたが、ダニエルにはぴんときた。スペインにはサンタクロースという概念がなく、だからカタリナにはあの赤い服を着て白い長いひげを持ったやさしげな老人が、とても不思議に思えたのだろう。

 小さく笑って、ダニエルは彼女に、サンタクロースのスペインで果たす役割を教えてやった。するとやっと合点がいった彼女はぱっと頬を赤くして、子どもの輪の中にものすごい勢いで突っ込んで行った。呆気に取られてヘルガが目をぱたぱたとさせる。

「……なんて言ったの?」

「三人の王様。スペインのサンタクロースみたいなもの」

 ふぅんとうなずいたヘルガの視線の先では、すばやくサンタクロースの下にたどりついたカタリナが、こちらを指さして何事かサンタクロースに話しかけている。まさかスペイン語の話せるサンタクロースというわけでもなかろうが、ふむふむとうなずく老人を見るにつけ、カタリナの言うことを理解しているように思えてくるから不思議なものだ。

「ダニエル、ヘルガ!」

 そのうちに大声でカタリナに呼ばれ、顔を見合わせて苦笑しながら、ダニエルとヘルガはサンタクロースに近づいた。なんだか妙な気分だった。

 周りにいるのは子どもばかり、そしてその外側にいるのは彼らの親。自分たち三人は家族でもないのに、家族たちにまぎれてここにいる。即興で寸劇をやらされているような、ぎこちのない雰囲気だった。

 それでもどうしたとカタリナに問うてみると、バスク語半分、スペイン語半分でジェスチャーをまじえながら、早口でまるでマシンガンのようにしゃべりだした。立て板に水、止める術もなく、ダニエルは目を白黒させながら、どうにか聞きとれるスペイン語だけを耳で追いかけた。彼女には悪いが、バスク語などという悪魔も裸足で逃げ出すような、僻地の言語までは身に付けていないのだ。

 それでもプレゼント、王様、手紙、母さんと父さん、ヘルガ、そうしてダニエルといういくつかの単語だけは確かに聞き取れて、要するにクリスマスプレゼントのおねだりなのだろうこれは、とダニエルは苦笑いを噛み殺した。普段はしれっとした顔で淡々と家事をこなすカタリナも、こんなところはまだ少女めいてかわいらしい。

「王様はちゃんと来るよ、お前のところにも」

 ヘルガも同調して、そうよと力強くうなずいた。あなたはいい子だから、絶対サンタクロースも来るわよ。カタリナの元に来るのは――もしそんなものがいればの話だが――サンタクロースではなくて三人の王様なのだが、この際それはどうでもいい。

 二人の微笑みにようやく安心したのか、カタリナはほっとしたように肩から力を抜いた。そしてポケットに手を入れて封筒をひとつ取り出すと、それをサンタクロースに押しつけた。

「王様に、わたしてもらう」

「――と言ってる。受け取ってくれませんか」

 そのまま訳してダニエルがサンタクロースに頼むと、老人はもちろんとにこやかに笑い、カタリナの頭をぽんぽんとなでた。手紙を受け取って、ひざの上に置く。

 それで満足しきったカタリナは、にこりとサンタクロースに笑いかけて手をふった。

「ムチャス・グラシャス、セニョール」

 バイバイと無邪気に笑い、カタリナはダニエルの手を引いた。もういいよ、ありがとう。そんな意図が、ぎゅっとにぎられた手にはこめられていたような気がする。

 ヘルガはと言えば、後ろでサンタクロースにつかまって、耳元に何がしかささやかれていた。彼女が目を丸くしたところを見ると、どうやら予想もつかないようなことだったらしい。

 後で何を吹きこまれたのかぜひ聞かせてもらおう、それにしてもこの養子は十四歳とかいう触れ込みだがちょっと子どもっぽすぎるんじゃないのか、などと思いながら、ダニエルはカタリナに引きずられ、子どもたちの輪の外に連れ出されていた。



 「かわいい娘さんですね、って」

 シーザーサラダのチキンをフォークでつつきながら、誰に言うでもなしにヘルガがつぶやく。チキンの上を行きつ戻りつしていたフォークは、結局レタスをつきさした。ダニエルがトマト味のペンネを口に運びながら、かすかに肩をすくめて意味がわからないとジェスチャーしてみせると、彼女は皮肉そうに頬を引きつらせた。

「カタリナのこと。若夫婦と養子だとでも思ったんじゃないの?」

「……へぇ、それはそれは?」

 どう切り返せばいいものか一瞬わからずに、ダニエルは眉を寄せた。ヘルガの隣でグラタンの攻略にかまけっきりになっているカタリナを見やる。次いで同僚たる女性――ヘルガを。

 娘と母親、向かいの自分はさしずめ父親か。言われてみれば見えないこともないのかもしれない。ただ、親になるにしては、両親ともに若すぎるが。

「クリスマスの間くらいは、それでもいいかもな」

 言い返すというほどにでもなくぼんやりとひとりごちながら、ダニエルは窓の外に視線を移した。赤と緑、そのほか様々な色のイルミネーションにいろどられた、映画のような奇跡のような光景は、ひとりきりでいるには少しばかり明るすぎるように思えた。

「そう思わないか、マム?」

「思わなくもないわね、ダディ」

 にやりと笑った大人たちを、カタリナが不思議そうにながめて首をかしげた。

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