第七話・美幸とライバル
「ねぇ美幸。今日の体育、隣で男子がバスケするんだって」
更衣室で学校指定のジャージに着替えてると、久美がのんきにいつもの飴を舐めながら言った。ほんと飴が好きなんだなぁ〜。
「そうなんだ」
あたしは興味なさそうに答えたが、本当は誰よりも一番喜んでる。隣にあの子がいなければ。
「今日は九条君の応援をするですの!」
「おー!」
何やら文が率いる九条ファンクラブのメンバーが九条君の顔が印刷された団扇や旗などを持って、掛け声をあげていた。もはや体育というよりもコンサートか何かを見に来てるかの様だ。
「まぁ仕方ないわよね。あんな馬鹿まるだしの奴らと一緒に応援なんて出来ないわよね?」
えみかがあたしと久美の間に入り、皮肉たっぷりの言い方をしながら一点を見ていた。その先にあるのは分かっている。
「止めなよ。別に悪い事なんてしてないし」
あたしはえみかに抑える様に言った。えみかが見ていたのは文だ。えみかは文の事が大嫌いなのだ。何度か衝突があったけど、その度にあたしと久美が止めに入るんだよね。
「ふん。あの醜い顔をぐちゃぐちゃにしてやりたいわ」
えみかの体から殺気に満ちた真っ黒なオーラが溢れ出ていた。何もそこまでしなくても。第一、そんな事したら死んじゃうよ。
あたし達が更衣室を出て体育館に入ると、既に男子の何人かはボールを持ってドリブルやシュートして軽い準備運動をしていた。その中には九条君の姿もあった。何やら体を解している様だ。その周りには木下君や加賀君などもいる。何故かひらりくんも。
「はい、整列ー」
ジャージ姿の真野先生が両手をメガホンの様にして言った。その声に体育館に散らばっていた女子が集まる。
「今日はバレーをやるわよ」
そう言うとあちらこちらから溜め息が聞こえてきた。真野先生はそれを無視して、チームを組んでいく。
そうこうしている間に試合開始のホイッスルが体育館の中に響き渡った。全員が一斉に見ると、九条君の姿はなかった。殆どの女子は端から九条君が目当てだったので溜め息をつきながら、バレーの準備を始めた。
「はい、みんな。バレーやるわよ」
真野先生が手を叩きながらそう言った。
あたしのチームにはえみかと久美とバレー部の副キャプテン明菜とテニス部の聡美と九条ファンクラブの一人、麻理の六人だ。
「あんた達、気合い入れて行くよ!」
やる気満々の明菜に円陣を組まされ、気合いの一言を貰った。
「嫌だな〜。試合長引きそうだよね?」
隣のポジションにいるショートカットにした聡美が明菜に聞こえない様に小さな声で言ってきた。
「別に嫌いという訳ではないんだけどね」
聡美の前にいたえみかがあたしの代わりに答えた。
「ちょっと! もう始まってるのよ!」
あたしの前にいた明菜が言うとすぐに話すのを止めた。すると相手側のサーブで試合が始まった。
「久美!」
明菜が声を出す。それに反応した久美が両腕を伸ばして、構えた。だけどボールは腕ではなく顔に飛んでいく。
ドン!
ボールは見事に久美の顔面に命中。久美は星を出しながら吹き飛んだ。ボールが宙に舞う。そこに明菜が飛び込んでくる。ボールは明菜の腕に当たり、放物線を描いて相手コートに落ちた。
自分達も相手も余りにも突然の事だったので唖然としたまま固まっていた。でもえみかは違った。
「久美! 大丈夫?」
誰よりも早く倒れた久美に駆け寄っていった。その声でようやくあたしにかけられた魔法が解け、久美を見た。まだ久美は頭から星を出していた。
「先生!」
えみかが真野先生を呼ぶ。いつも久美を殴っているえみだけど、えみかは誰よりも友達思いなのだ。
先生はすぐに久美を保健室に運んでいった。ホイッスルが鳴る。あっちでは第二試合が始まった様だ。久美、大丈夫なのかな。
「ほんと世話の妬ける奴だな」
えみかがほっとしながら言った。その後久美はボールが最初から当たってなかったかの様に、笑顔で戻ってきた。そしてすぐにえみかに殴られていた。まぁ元気になって良かった。
久美は舌を出しておどけた表情をした。どうやらボールがぶつかった記憶が飛んでるみたい。心配して声をかけても、何がと言う顔するだけだった。……本当に大丈夫なのだろうか。
バレーはあたし達のチームを飛ばして、次の試合から再開された。真野先生もようやくパイプ椅子に座ってゆったりしていた。すると、
「キャー! 九条くーん!」
その瞬間九条ファンクラブのメンバーが歓喜の声をあげだした。一瞬の内に体育館はコンサート会場の様になった。あたしも隣のコートを見ると、そこには九条君が立っていた。
「仕様がないわね。みんな、男子のバスケを見ましょ」
真野先生が溜め息混じりに言うと、バレーをしていた人達が一斉に集まりだした。驚く事にその中に影倉さんもいた。影倉さんは普段は余り動かず、体育館の隅にいる事が多い。でもけして体が弱いとか下手という訳でもない。どちらかと言うと上手い方だ。
影倉さんの特徴は真っ黒の髪を伸ばしている所だろう。そのせいで片目は完全に隠れている。まるで女版鬼太郎の様だ。それにいつも無表情だ。影倉さんに喜怒哀楽はあるのだろうか。背は平均的だし、至って普通の女の子なのだが髪のせいが不気味な雰囲気に包まれている。それでも何故か野球部のマネージャーをやっている所は不思議としか思えない。
ホイッスルが鳴る。影倉さんから目線を移すといつの間にか第一試合は終わっていた。隣にいた久美がつっついてきた。見ると指をさしていたので、その先を追う。そこには、えみかが沢村くんに喝をいれていた。
「それよりどっちが勝ったの?」
「こっち側の圧勝だったよ」
あたしはそれを聞いて安心すると、えみかが戻ってきた。
「あの馬鹿になんて言ったの?」
「気安く馬鹿と呼ぶな」
えみかの鉄拳制裁を食らった久美は頭を抱えて黙ってしまった。いつも殴られている久美の頭って、どんな形になってるんだろう。
「全く、何が策よ」
えみかは腕を組んでどっかりと腰を下ろすながら、そう呟いた。あたしは思わず苦笑いしてしまった。
ホイッスルが鳴り、第二試合が始まった。九条ファンクラブの人も一層熱が入り、少し大きめの旗を振っている人がいた。しかも旗には「聖君LOVE」と刺繍されている。一体文って何者なのだろう。お金持ちなのだろうか。だからあんな大掛かりな物が出来るのだろうか。何にせよ、文はただ者ではないのは確かだ。
「キャー!」
何人かが悲鳴に似た声があがった。もしやと思い、コートを見ると九条君が床に倒れていた。黒縁眼鏡をかけた男子がニヤニヤしながら、倒れた九条君に手を差し出していた。九条君とエース争いをしているバスケ部の加藤君だ。九条君が加藤君の手を握ろうとしたが、加藤君は手を引っ込め自分のポジションに戻っていった。
あたしはコートに入り、九条君を通り過ぎそのまま加藤君の前に立った。加藤君は首を傾げながらあたしを見ていた。拳を加藤君の腹に食い込ませる。加藤君が勢いよく後ろに吹き飛ぶ。ワイヤーアクションの如く吹き飛んだ加藤君はカニみたいに泡を吹きながら倒れた。
頭を振って想像の世界から抜け出した。例えあたしがそんな力を持ってたとして、実際にそんな事をしたら九条君にきっと嫌われちゃうよ。
試合が再開され、試合の主導権は相手チームに握られつつあった。九条君の華麗なスリーポイントのシュートも入らず、パスはことごとくカットされ、逆に相手チームの加藤君や沢村君が点をどんどん取っていく。あっという間に第二試合が終わってしまった。
試合を見ているとあたしはある事に気がついた。九条君がシュートを外す理由が。恐らく気づいているのはあたしだけだろう。
試合が終わり九条君が頭を掻きむしり苛立っている様だ。
「キャー! カッコイイー!」
「九条くーん! 頑張ってー!」
こんな人達に九条君を取られてたまるか! あたしはそう強く思った。
ピーッ!
運命の第三試合が始まった。これで負けたら相手チームの勝利だ。あたしは手に汗をかきながら、絶対勝ちます様にと願った。
すると願いが通じたのか加藤君のミスが目立った。そこをついた九条君が得意のドリブルをして一人、二人とどんどん抜いていく。時折、華麗なフェイントを使ったりして体育館を沸かせた。
フリーになった所で九条君がシュートする。だけど明らかにリングの中には入らない。案の定ボードに当たって跳ね返った。でもそのボールを九条君と同じバスケ部の松本君が取り、そのままシュートした。ボールは放物線を描きながらリングの中に吸い込まれた。シュートが決まると、九条君と松本君がハイタッチをしていた。
試合は見事、九条君のチームが勝利した。九条ファンクラブの人達も歓喜の声をあげ、体育館中に響く。すると体育の授業を終わらせるチャイムが体育館に鳴り響いた。
放課後。あたしはえみかと久美を待つ為に下駄箱に向かった。えみかと久美は掃除で、下駄箱で待ってる様に言われていた。下駄箱から靴を出すと、
「お、河本じゃん」
九条君が声をかけてきた。今のあたしどんな顔してるだろう。真っ赤になってるのかな? それとも笑顔なのかな? そんなのどうでも良いよ。もう気絶しそう。
九条君が下駄箱から靴を出す所でようやく我に返った。九条君は今にも帰ろうとしていた。何か言わなくちゃ。何か……。
「あ、あの……九条君」
九条君は靴を履きながら振り返った。あ〜、そんな円らな瞳で見ないで。死んじゃうよ。
「どうした? 顔真っ赤だぞ?」
それを聞いて俯いた。恥ずかしいー。頑張ってあたし。ここは踏ん張り所よ。
「あ、あの。手……大丈夫?」
ちらっと九条君を見ると、驚いているのか目を見開いていた。
「はは。見てたんだ」
あたしは黙って頷いた。
あのバスケの途中からシュートが決まらなかったのはこれが原因。おそらく、倒れた時に……。
「大丈夫だよ。さっき保健室行ったら軽い捻挫みたいなもんだって言ってたよ」
「そ、そうなんだ」
良かった〜。
「ありがとな。心配してくれて」
九条君はそう言うと「じゃあね」と言って玄関を出ていった。
あたしは大きく息を吐きながら下駄箱にもたれた。頭の中は真っ白でほとんどど覚えてないけど、「ありがとな」という九条君の言葉はしっかりと残っていた。
「ありがとな、か」
思わず微笑んでしまった。
「気に入らないですの」
その声に思わず身構えた。すると、九条ファンクラブのメンバーが玄関に集結していた。その真ん中には文が偉そうに仁王立ちしている。この光景にあたしは異様な恐怖を感じた。
「気安く九条君に近づかないで下さいですの」
「あ、あたしはただ……」
「うるさいですの!」
思わず体をびくつかせてしまった。文のこんな顔見たことない。目は血走り、眉毛が吊り上がり、何処から見ても怒りに満ちた表情だ。
「あなた如きに九条君は渡さないですの」
いつの間にかあたしは囲まれていた。みんなの顔は怒りを表している。どうしよう。痛いのは嫌だ。九条君、助けて!
「何してんだ?」
その声で一斉に声がした方を見た。そこには九条君…………ではなく、九条君の友達の木下君がいた。
「あなたには関係ないですの」
木下君は黙って文に近づいていく。
「な、何ですの?」
木下君はただ文を見るだけだった。目の前まで来ると、文の周りにいる五人が前に出る。あたしは早くなる心臓の鼓動を聞きながら見守った。
「そういうの……よくないと思うよ」
「…………」
文は黙って木下君の横を通り過ぎた。一人が文に耳打ちする。それに対して文は首を左右に振った。文が突然振り返った。
「いいですの? 今回は見逃してあげるですの」
文はそれだけ言うと、大名行列を作りながら玄関をあとにした。あたしは息を吐きながらその場に座り込んだ。助かった。
「大丈夫か?」
木下君が顔を覗き込んできた。
「あ、うん」
「美幸!」
えみかと久美が木下君の後ろから現れた。
「あいつらに囲まれてると言うから飛んで来たんだけど、大丈夫?」
えみかは息を切らしながらそう言った。よく見ると、手には回転ぼうきを持っていた。……さすがにそれはまずいと思うな。
「あたしは大丈夫だよ。木下君が……」
助けてくれたと言おうとしたが、既に木下君の姿はなかった。
「木下がどうかしたの?」
「あ、うん。助けてくれた」
「そうなんだ」
えみかは不思議そうな顔をしていた。あたしはもう一度玄関を見渡した。でも木下君はいなかった。お礼言いたかったのに。何だか木下君に悪い事したな。