第六話・準と愉快なお友達
テスト期間が近づくと、教室の中は突然静かになる。休み時間の友達同士の会話も、いつもなら「昨日見たテレビ番組が」とか、「隣のクラスの誰それは」とか言うたわいもない話をしているのに、テスト期間1週間をきった途端、話題は「試験問題の山はどこだ」とか、「お前の参考書はどうだ」とかいう勉強の話に変わる。
だが俺の目の前にいる二人の男だけは、テストがはじまろうともいつもと様子が変わらない。
といっても、二人の理由は全く逆なのだが。
「木下〜、聞いてくれよ〜。なんで俺が、今日はメロンパンを食わねばならんようになったのか!」
加賀はそれがさも一大事であるかのように語った。今は昼休み。俺は加賀の話を聞くよりも、自分の弁当を食べたくてしょうがない。
「売り切れてただけだろ」
九条が紙パックの牛乳にストローをさしながら言った。パッケージには『カルシウム増量タイプ! 成長期の君に!』と書かれている。この牛乳を、九条は毎日2パック飲んでいる。身長175センチで俺より3センチも背がでかいのに、こいつはもっと背が欲しいのだという。バスケ部だから、最低180センチは必要なのだとか。
「違うんだ! 俺は、本当なら焼きそばパンを買えるはずだったのだ!」
加賀の目がぎらりと光った。よく分からないが、何やら怒りに燃えているようだ。
「馬鹿タツだよ! あいつが俺の焼きそばパンを取ったんだ!」
加賀が馬鹿タツと呼ぶのは隣のクラスの沢村達弥のことだ。たしかうちのクラスの小田とつきあってたはずだ。沢村はいつも加賀と試験の成績のビリ争いをしている。加賀にとってはライバル? ……なのかもしれない。
加賀の昼飯は、焼きそばパンか栗入りのあんパンしか食べない。それが今日はメロンパン。学校へ来て昼飯を食べることと、可愛い女子の後ろを追うぐらいしか楽しみのない加賀にとってはおそらく、焼きそばパンをとられた事は大変なことなのだろう。たしかに、うちの学校の購買にパンを下ろしている『ポクちゃんベーカリー』のやきそばパンはめちゃくちゃ美味しい。怒りに燃える気持ちも分からない、ではないが……
「加賀ぁ、そういう小さいこと気にするからもてないんだよ」
九条がため息混じりにそう言った。校内一もてる男に言われては加賀は言い返すことができない。九条は、はっきり言って加賀と正反対だ。
九条は王子様系の整った顔立ちに茶色みがかった猫っ毛をしていて、モデルばりのスタイルは何を着ても似合う。バスケ部のエースで、成績も学年で10位以内に入る。
それもうらやましい事に、俺みたいに試験前の追い込み勉強をせずとも、前の日に試験範囲を復習すれば90点以上は取れるという頭の良さだ。これでは女子にもてないはずはないだろう。九条は嫌がっているが、この学校にはやつのファンクラブが存在する。うちのクラスの鈴木がリーダーをつとめているのだが、結構な人数がいるらしい。漫画に出てくるような学園のアイドル。それが九条聖という男だ。
といっても話してみると九条は至って普通の男子生徒なのだが、恋する乙女というのは恐ろしい。女子はきっと、九条はトイレにもいかないと思っているに違いない。
「九条のいじわる!」
するともてない男の代表・加賀は、手に持ったメロンパンの袋を乱暴に開けると、泣きながらそれにかじりついた。
「お前、ひらりが戻ってくるまで待てよ。この、薄情者!」
俺は加賀のタマネギに似たヘアースタイルの頭を小突いた。こいつがこんな頭をしているのは、少しでも背を高く見せようという小賢しさ故だ。身長165センチ。生物の教科書に載っている、クロマニョン人を今風にアレンジしたような容姿の男だ。
(まったく、食欲と性欲で動いているあたり、本当に原人みたいだな……)
「おまたせ〜」
すると、ちょうどそこへひらりが紙袋を持って戻ってきた。なぜか鼻歌など歌って楽しそうだ。へのへのもへじにも似たゆるめの顔が、いつにもましてゆるんでいる。
この“ひらり”というのはやつのあだ名でもちろん本名じゃない。本当の名前は平井泰樹という。実は俺の後輩、さっちゃんの兄貴だ。そしてうちの野球部のエース。全国レベルの力を持っていて地元でもかなりの有名人なのだが、坊主頭で地味な顔のせいか女子から全くもてない。ある意味可哀想なやつだ。
「たべよっか」
そういうと、ひらりは俺の隣りに座って紙袋から弁当箱を取りだした。
「あれ? お前いつもの弁当箱と違くね?」
加賀の言うとおり、それはいつもひらりが使っている黒いプラスチックの弁当箱ではなく、2段重ねでクマのイラストがプリントされた……どう見ても女物の弁当箱だった。
「えへへ、実は……マネージャーが差し入れだって」
そういうとひらりは、にたにたととろけそうな顔で弁当箱を開けた。
「わあ!」
弁当箱の中には唐揚げやら卵焼きやら彩り鮮やかなおかずがぎっしりと、「あたしを食べて」と言わんばかりに詰められていた。どこの誰が見ても、愛情たっぷりだと分かる。
「ひらりのくせして! この、裏切り者ぉ!!」
加賀はそういうとひらりのお弁当からタコさんウィンナーを、手づかみで奪い取った。そしてそのまま、大きな口に放り込む。
「うあああ!! こいつ! 何するんだ! 吐け! 吐け、このやろー!」
怒ったひらりは加賀の首を締め上げた。
「やーだよ! ってか、無理。もう飲み込んだもんねー!」
加賀はすぐにひらりの腕から抜け出すと、開き直ってそう言った。
「ううう。せっかく影倉さんが作ってくれたのに!」
すると、ひらりはタコさんウィンナーみたいな真っ赤な顔になった。怒っている。どうやら加賀は本気でひらりを怒らせたらしい。
俺と九条は二人のことはほうっておいて、弁当を食べることにした。二人が格闘している間にも、俺の腹時計は進んでいる。もう、はっきりいって限界だ。
「準。あとでさ、古文のノート見せて。俺一カ所写し忘れた所あったんだ」
九条はそういうと、サンドイッチを頬張った。俺は「ああ」と頷くと、自分の弁当箱を開けた。
「……またかよ」
ため息がもれた。
冷凍食品のハンバーグやらエビフライやらに混じって、丸く赤い物体がおかずスペースをうめていた。それは駄菓子やなんかで売っているあの『すももの漬け物』だ。確かに俺はこれが好きだ。だが……お弁当には入れないでくれと、なんども母さんに言ったのに。
俺の弁当は無惨にもピンクだらけになっていた。
その日の6時限目は体育だった。テストとは関係ない授業でやっと気が抜ける。そう俺が思っていると、早くもジャージに着替えた加賀が興奮した様子で走ってきた。
「大変だ! 体育、クラス対抗でバスケの試合するってよ!」
「バスケ? やっりーぃ!」
九条が嬉しそうにガッツポーズをした。こいつは本当にバスケが好きだ。小学5年の頃、バスケの漫画を読んで以来バスケをやっているバスケ馬鹿だ。
九条は体育がバスケであるのがよっぽど嬉しいのか、にこにこと笑っていた。この笑顔、九条のファンが見たら失神するに違いない。
「九条、頼むぞ。お前が頼りだ。絶対に馬鹿タツをうち負かしてやる!」
加賀はまだ焼きそばパンのことを気にしているらしい。やつの目が闘志に燃えていた。
「……まじかよ」
これを因縁と言わずしてなんというのだろう。くじ引きをした結果、俺達のチームは加賀の希望通りに、沢村のいるチームと試合をすることになった。
「こてんぱんにしてやる!」
加賀が熱い。熱すぎる。たかが焼きそばパンひとつで何故ここまで熱くなるのか? 加賀の思考回路は到底理解できない。
「でも、加藤がいるからなあ。沢村はスポーツ全般得意だろ? そう簡単には勝てないぞ」
九条が相手チームを冷静に分析しながら言った。九条が2年でエースをつとめられるのは、運動能力だけでなくこの頭脳があるからだ。
「でも、こっちには松本がいるじゃないか」
ひらりがそういうと、松本はにやりと笑んだ。
松本幸喜。俺達のクラスメイトで、九条と同じバスケ部だ。バスケの技術は九条に劣るが、松本は校内一背が高い。松本の迫力とリバウンド能力があれば、九条とエース争いをしている加藤がいるチームに勝てるかも知れない。
「よっしゃ、じゃ、行くぞー!」
「おー!!」
俺達は気合いを入れると、コートへ向かった。
滑り出しは良好だった。まず、俺達のチームが先制。九条は得意のドリブルで相手チームを翻弄すると、自分よりがたいの良い沢村の脇をすり抜けてスリーポイントを決めた。きれいな放物線を描いたボールがゴールに決まった瞬間、俺達の試合を見ていた男子生徒だけでなく、隣のコートでバレーをしていた女子生徒からも歓声が上がった。
相手チームにプレッシャーを与えるためのスリーポイント。もちろん失敗してこぼれた玉を、松本が拾うことも計算済みだ。九条のこういうクールな所が、俺は好きだ。
序盤は俺達のチームが完全にペースを作っていた。加賀は勉強はだめだが、体力だけはある。ちょこまかとコートの中を走り回って、加藤の足をふさぐ。ひらりは沢村を完全にマークしてパスされた玉を拾い、それを俺にパスする。俺は良い位置に構えている九条の所までドリブルすると、相手チームのディフェンスをフェイントでかわし、ノーマークになっている松本にパスをする。それぞれが自分たちのポジションを上手にこなし、俺達は思っていたより簡単に1セットを先取した。
「やったー! このまま俺達の圧勝だな!」
加賀は鼻息荒くそういうと、九条の背中を勢いよく叩いた。もう勝った気でいる。本当に単純なやつだ。
「準、どう思う? なんだか変だと思わないか? 加藤がいて、こんなにあさり勝てるはずがない。俺は……加藤が何か企んでいるような気がするんだけど」
九条は真面目な顔でそういった。今の九条はプレイヤーの目をしている。単なる体育の授業であれ、バスケはバスケ。こいつにとっては勝たなければならない試合なのだ。
「考え過ぎじゃない? 変な物食べて調子が悪いとか」
ひらりがそういうと、
「そんな、加賀じゃあるまいし。俺も加藤が何か企んでいると思う」
と松本が言った。俺は加藤のことはよく知らない。だが九条と松本が心配するくらいだ。相手チームには何か秘策があるのかもしれない。俺はコートの反対側で小休止を取っている相手チームをみると、
「ディフェンスに力を入れていこう」
と言った。俺達の方がリードしている。だからよっぽどひどいゲームをしなければ、このまま勝てる。俺はそう思っていた。
だが、第2セットから相手チームの猛進撃がはじまった。俺達の動きは全て読まれていて、パスはみな取られてしまう。そして沢村と加藤が俺達から奪い取った玉で次々とゴールを決めていき、なんと1セット目の半分の時間で第2セットを取られてしまった。
「加藤を甘く見ていた! あいつ、わざと俺達に1セットを取らせたんだ。こっちの動きを分析するために。あー! くそ! 負けらんねー!!」
そういうと九条は頭をかきむしった。隣のコートの女子達から「きゃー」という悲鳴が上がったが、頭に血が上っている九条は気が付かない。こういう熱いところもまた、女子にもてる理由の一つだ。
「ムキー!! あの馬鹿タツに負けるなんて! 俺は絶対に嫌だ! キー!」
加賀は原人から完全な猿になっていた。熱くなるとどんどん馬鹿になるところが、加賀が女子に全くもてない理由の一つだ。
「こうなったらこっちも、それなりの策を講じるしかないな」
そういうと九条は俺たちを引き寄せた。
遂に最終セット。この試合を制したチームが勝者となる。本当はバスケは4セットやるのだが、授業だから3セットの短縮バージョンだ。そう、これは体育の授業……なのだが。
なぜかこの試合は、隣でバレーをしていた女子が完全な見物客にしてしまうほど、白熱したものとなってしまった。女子の体育教師である真野先生が、「男子のバスケが面白いから、バレーをやめて見物しましょう」と言うくらいだから、本当のバスケの試合と同じだ。そんなものに、なぜ自分のような美術部員が混ざっているのか、俺は不思議でならなかった。
「準、作戦通りに」
俺の耳元で、九条が囁いた。俺は静かに頷く。
今回の作戦、俺が重要な役割を担う。俺は呼吸をととのえると、コートの中央に立った。そして相手チームの司令塔である加藤と向き合う。
……うっ。でかい。俺より10センチ以上背の高い加藤はがたいも良いし、迫力がある。それに黒縁眼鏡の奥にのぞく目は蛇のようだ。さしずめ俺は蛇に睨まれた蛙といった所か。
「美術部員は絵でも描いてればいいのに」
加藤が高圧的な態度でそう言った。俺を挑発して動揺を誘おうとしているのだ。俺も負けじと、
「今回も、九条には勝てないよ」
と言った。
すると加藤の左眉がぴくりと動いた。ほんの少しだが動揺している。
(運動神経では劣るが、心理戦では負けないぞ……)
俺はにやりと微笑むと、加藤に言った。
「文ちゃんは、九条を応援してるよ?」
「!?」
勢いよく女子のいるコートを振り向く加藤。そこには九条を応援する、加藤の幼なじみの姿があった。
ピーッ
その時、試合開始の笛が鳴った。
そして、俺達のチームは……第3セットを勝利したのだった。
第3セット、相手チームのプレーはぼろぼろだった。沢村他チームメートが良いパスを出しても、九条への強い対抗意識のために加藤はミスを連発してしまったのだ。加藤が幼なじみであるうちのクラスの鈴木文に好意を持っているのは有名な話だった。そして彼女が、九条のファンクラブの会長をしているのも有名な話。
司令塔が機能を無くした相手チームはあっと言う間に崩れた。俺達は次々とゴールを決め、最後には九条の華麗なダンクシュートが決まった。
そうして第3セットは、俺達の圧勝で終わったのだった。
「なんで俺が挑発する方が、効果があるって思ったんだ?」
試合終了後。俺が九条に尋ねると、やつはタオルで顔を拭きながらこう言った。
「だって、準が言った方が嫌みに聞こえるじゃん」
そして九条は一片も悪いと思っていないのか、にっこりと笑った。
まさに悪魔の笑みというのはこういうのを言うのだ。俺が苦笑いすると、九条がタオルを投げてよこした。タオルにはでかでかと「聖君LOVE」と刺繍されいる。しかもこの刺繍、簡単なクロスステッチではなく、手の込んだチェーンステッチだ。九条ファンクラブの鈴木文お手製のタオル。こんなものをいらないと断れない九条もなんだが、それを普通に使うあたり……俺、九条はどうかしてると思う。