第五話・美幸の仕事
「えー、今日も特に無いが、来週からテストだから職員室には入れないからなー。じゃあ、気をつけて帰れー」
田島先生の適当なホームルームが終わり、各自椅子を机の上に上げて後ろにさげていく。今日の掃除にあたっている加賀君がだるそうに回転箒を持っている。
あたしは鞄に教科書や筆箱を入れながら、ナイキのマークが入ったエナメルバッグを背負う九条君を見ていた。九条君は笑顔で木下準君などと話をしていた。そこに一人のロリ顔少女が近寄る。
「今日も部活頑張ってですの」
可愛らしいツインテールに小学生の様な体型をした鈴木文の独特な高い声が届く。文は九条ファンクラブの会員で、しかもリーダーなのだ。そして恋のライバルの一人。絶対に負けるもんか。
「これ使って下さいですの」
文がタオルを九条君に差し出していた。文はよく九条君にあげている。タオルの他にバッグや靴などあげている。一体何処からそんなお金が出て来るのだろう。
「あ、ありがとう」
苦笑いをしながら九条君が受け取る。あたしはよく見ているから分かるけど、物を貰う度に迷惑そうな顔をしているのだ。それは言いとして、よく見るとタオルには何か文字が書かれていた。だけどここからじゃなんて書いてるか分からない。
「美幸ー! 帰ろー!」
えみかの明るい声で九条君から目を離し、いつもいる教室の扉の方に移した。えみかはニコニコしながら立っていた。
「ごめん! 今日は当番なんだ」
顔の前で手を合わせて謝ると、えみかは腰に手を置いて溜め息を漏らした。
「そんな風にされたら仕様がないわね」
そういうえみかの隣では久美がお気に入りの飴を口に含んでいた。少しは会話に参加しようよ。
「ほんとにごめんね」
そう言って、えみかと久美を見送った。あたしは鞄を持って、九条君がいた所を見る。だけど既にそこにはもういなかった。なんか切ないなぁ~。
仕方なく図書室に向かう事にした。図書室は何故か本校舎ではなく、渡り廊下を渡った隣の校舎に行かなくてはならなかった。あたしはいつも「面倒だな」と思いながら今日もグラウンドが見える渡り廊下を歩く。
渡り廊下を通り、少し古臭い廊下を歩いていくと、大きな扉が見えてきた。扉にはさびた取っ手がついていた。それを握り、扉をホラー映画に出てきそうな不気味な音を立てながら開けた。
「あ、先輩」
中に入ると、右側にある大きなカウンターから声が聞こえてきた。見ると、見慣れた姫カット、大きく膨らんだ胸、いつも笑顔な後輩の巻倉七海こと七海ちゃんが座っていた。
七海ちゃんは一年生の中ではかなり有名な子だ。なんでも、モデルをやっているとか。本当にやってるかは分からないが。でも一時期、七海ちゃん目当てに図書室に来る人が多くなった。今は全然来ない。
「何か変わりはあった?」
あたしは鞄を専用の棚に置きながら七海ちゃんに聞いてみた。
「いつも通りです、先輩。これから嵐にでもなるのか、ってぐらい静かですよ」
七海ちゃんは楽しそうに言った。
「そっか。あ、あとあたしやるからもう帰っても良いよ」
「えっ! 良いんですか!?」
七海ちゃんは手を叩きながら跳びはねた。跳ぶ度に大きな胸が揺れる。……憎い。でも憎めない。それは七海ちゃんの笑顔があるからだ。多分、男の人もこの笑顔を見たら逆らえないだろう。
「じゃ、お先に失礼します!」
七海ちゃんは笑顔で図書室を出ていった。図書室に静寂が訪れた。あたしは大きく息を吐いた。七海ちゃんといるのは楽しいけど疲れるんだよね。別に嫌いって訳じゃないだけどね。
軽く首を回し、鞄から小説専用のノートを出した。
「さて、どうしようかな」
昨日李さんから第三話が出来たとメールが来たので、読んでると。……とても面白かった。怪我をして病院に運ばれてくる所はありきたりだが、主人公の役柄には凄くあってると思う。あたしも負けてられないなぁ~。
まずは主人公とヒロインを会わせた方が良いかな。それともヒロインの孤独感を再びやるか。迷うな~。どっちにしようかな~。
シャープペンを指で巧に回しながら窓から見える太陽を眺めていた。
「随分暇そうね?」
その声に反応し、跳びはねた。すると、
「痛っ!」
見事に臑をぶつけてしまった。
「ちょっと。大丈夫?」
横から優しい眼差しをした宮下先生が覗き込んできた。宮下先生は司書でとても愛嬌があり、生徒からラブレターを貰う事がよくある。
宮下先生の人気の理由はなんと言ってもその可愛らしい顔だろう。小さめの顔にリスの様な目をしてる。鼻は小さく、白い肌には殆ど化粧をしていない。まるで漫画の様な人だ。
「な……なんとか」
ぶつけた臑を摩り、涙を堪えながら答えた。はっきり言ってかなり痛い。きっと見てみると、どす黒い色をしたあおたんが出来てるんだろうな。やだなぁ~。
「それよりも先生。びっくりしたじゃないですか」
「脅かすつもりはなかったんだけどな」
宮下先生はそう言いながら俯き、申し訳なさそうにした。……そんなに落ち込まなくても。
「あっ、そうだ。美幸さん、これお願い出来る?」
宮下先生はけろっと表情を変え、十冊ぐらいの本を差し出してきた。多分返却された本だろう。それにしても相変わらず少ないな~。
「良いですよ」
あたしはノートを閉じ、本を受け取った。
「じゃあ、お願いね」
そう言って図書室を出ていった。本を棚に戻す作業は凄く楽で好きだ。だって作業してる時に無になるからだ。なんだか落ち着くんだよね。
あたしは本を一冊ずつ所定の棚に戻していった。次の棚に移動していく度に一冊ずつなくなっていく。そして最後の一冊、『青すぎる孤独』という本だけになった。あとこれだけか。そう思いながら歩き出した。
ドン!
「キャ!」
あたしは何かにぶつかり、尻餅をついてしまった。
「あいたたた」
「ごめん、河本」
あたしは河本だよ。と思いながら目の前に立った木下君を見た。木下君は何故かあたしの事を河本ではなく河本と呼ぶ。わざと言ってるのかな?
「あ、あたしの方こそ、ごめんなさい」
そう言いながら本に手を伸ばした。すると掴んだのは本ではなく、木下君の手だった。
「ご、ごめんなさい!」
すぐに手を離し、窓の方を見た。自分でも分かるぐらい顔が赤い。それに凄く熱い。あたしの馬鹿! 馬鹿! 馬鹿!
「あ、あのさ。これ……借りたいんだけど」
木下君はぎこちなく言いながら、本を差し出す。あたしは一瞬何をして良いのか分からず、呆然としていた。だけどようやく頭が回りだし、その本を持ってカウンターに向かった。
カウンターにあるパソコンの前に行き、キーボードで本に貼られた数字を打つ。
「学生証……持ってる?」
そう言うと黙って学生証を出した。それを受け取り、学生証に書かれた番号を打ち込んでいく。
学生証には木下君の顔写真が載っている。そう言えば木下君ってちょっと不気味な感じがするんだよね。部活は美術部だし、異様に足が早いし、それに九条君と仲良いみたいだし。一体家帰って何してるんだろ。
「……小説書くんだな」
その言葉にはっとし、振り返ると木下君は閉じたノートを見ていた。急いでノートを取り、抱きつく様に持った。
「気を悪くしたなら謝るよ」
「あ、いや」
暫く沈黙が続いたが、番号を打ち終わっていない事に気づき再開した。番号が打ち終わり、本と一緒に学生証を差し出す。
「返却は二週間後です」
俯きながらそう言うと木下君はそれを受け取り、図書室を出ていった。一人になった図書室で大きく息を吐いた。
「ふぃ~」
額に乗った変な汗を拭った。あたし男の人と話すの苦手なんだよね~。しかも手掴んじゃったし。あー! もうやだ!
顔を手で隠すようにしながら溜め息をつくと、ノートに視線を落す。おまけに危うく見られる所だったし。もう最悪だよ。
ノートを開き、シャープペンを握る。
「…………会わせよ」
取り合えず思うままに書いてみた。ヒロインが部屋の窓から外を見ている所を主人公が松葉杖をつきながら現れる。……ありきたりかな?
書いた部分に斜線を引き、その下に新しく書く。病院内が騒がしいなと思い、行ってみると大怪我した主人公が運び込まれてきた。……なんか良いかも。
あたしは更に良くするために書き込んでいく。書いていく内に微笑んでいるのにあたしは気づいた。これって自画自賛かもしれないけど、思っていた以上に良く書けていたのでつい微笑んでしまった。
さて、あとは帰って打ち込むだけだ。李さん。あたしも負けてはいられませんよ。