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第十九話・幸せな美幸

 珍しく、今日は影倉さんはいない。誰もいない静かな図書室であたしは黙々と本棚を整理していた。

 外からは下校生徒の笑い声や野球部の声などが聞こえてくる。ふと壁にかけられた時計を見た。午後三時八分。早く終わらせないと。だって九条君と約束したもんね。

 そう、ついさっき。本を積みすぎて、前が見えなくてゆっくり歩いていると、急に九条君に声をかけられた。あたしはびっくりして本を落としちゃったけど、九条君がすぐに拾ってくれたんだよね。その時に体育祭の練習に来るように言われた。

 まだドキドキしてる。やっぱり九条君も優しくて格好いいなぁ〜。あたしはふと自分がニヤついているのが分かり、思わず辺りを見渡した。良かった。誰もいないや。

 あたしはまた本を整理し出した。早く終わらせて体育祭の練習しなきゃ。すると、聞きなれた不気味な音を上げるドアが開いた。

「まだいたの?」

 現れたのはジャージに着替えた白馬の王子様、九条君だった。

「あっ、うん」

 あたしは俯きながら言った。

「なんかさぁ〜。準の奴先に行ったみたいだからさ、河本も早く来いよ」

 ドアの透き間から顔だけ出した九条君がそう言った。

「……で、でも仕事が……あるから」

「……あと何冊?」

「こ、これを入れたら六冊」

「なら手伝うよ」

 九条君はそう言って図書室に入り、テーブルに乗った本を持って横に来た。

「えと、あいうえお順に」

「オッケー」

 そう言うとせっせっと本を入れて整理していった。あたしはというと、体がかっちかちになってて上手く出来なかった。だって隣に九条君がいるんだよ? 誰だって固まっちゃうよ。

 そういえばこの前、文たちに追われて学校中走り回った件、なんか学校中で噂になってるんだよね。「九条君が女子連れて逃げてた」とか「九条君が文たちに追われてた」とか「九条君が彼女と一緒に走ってた」など。誰もあたしだって事気づいてないんだけどね。

「終わった?」

 一足先に終わらせていた九条君が手をパンパンと叩きながら言うと、壁にかけられた時計を見た。あたしは最後の一冊を本棚に入れてから九条君に頷いた。

「じゃ、行こう。みんな待ってると思うし」

「あっ、うん」

 九条君はそう言ってドアを開けてあたしを招く。あたしは小走りで図書館を出る。なんか今だけ九条君を一人占めしている気分で凄く幸せ。これで手を差し出したらどれだ……。

「河本?」

 突然肩を叩かれながら呼ばれて勢いよく振り向くと、九条君が不思議そうに見ていた。そ、そんな目で見ないで。恥ずかしいよ。

「鍵掛けないのか?」

「ほえ?」

 思わずへんてこな声を出してしまった。恥ずかしー!

「鍵だよ、か・ぎ。」

 九条君の指のさすを方向を慌ててポケットにしまっていた鍵を取り出した。こっちの校舎は古いから鍵も漫画かなんかで出てきそうな鍵だ。鍵を掛けると九条君は「行こう」と言って、あたしの少し前を歩き出した。するとうしろから、

「あっ、せんぱーい!」

 巨乳を揺らしながら七海ちゃんが来た。……あれは自慢か?

「鍵ならあたしが」

 妙に笑顔な七海ちゃん。もしかしたらあたしと九条君が出るのをずっと待っていたのだろうか。

「ほらほら。先輩は練習に行ってきて下さいよ」

 七海ちゃんはそう言って、あたしから鍵を引ったくる様に取り「良い感じですね」と小声で言った。それを聞いた途端に顔が熱くなるのが分かった。あたしがそれを九条君にばれない様に少し俯くと、

「悪いね」

 九条君が微笑みながら言った。

「いえいえ。先輩をよろしくお願いします」

 七海ちゃんは軽く頭を下げた。一体何を言ってるのよ。九条君をチラッと見ると、笑っていた。それを見てあたしはドキドキした。やっぱり九条君は白馬の王子様だ。

 その後は七海ちゃんと別れ、教室にジャージを取りに戻ってから玄関に向かった。あたしと九条君は廊下を歩いていると、全学年の女子からの視線が凄かった。明らかに敵を見る様な目で。敵は当然あたし。視線が痛いよぉ〜。

「みんな待ってるから早く行こう」

 九条君が小声で言うと、少し早めに歩いた。あたしも遅れない様に後についていく。きっと九条君なりの気遣いなのだろう。九条君は優しいなぁ〜。

「嫌な思いさせて悪いな」

 唐突にそう言われ、あたしは少し困った。嫌じゃないと言えば嘘になるけど、あの時あたしは九条君を一人占めしていた。だからそんなに嫌な気分にはならなかった。

「ううん。大丈夫だよ」

「そうか」

 九条君は少し苦笑いをした。あたしはそんな九条君を見てなんか凄く複雑そう。そう思った。

「さ、早く行こう」

 そう言うと九条君は靴を履き変えてしまった。

「あっ、待って」

 あたしもすぐに靴を履き変えて、九条君を追いかけると、

「キャ!」

 つまづいて体が宙に浮いた。目の前には灰色のコンクリート。あたしは目を閉じて、痛みを覚悟した。


 ドサッ


 あれ? 痛くない。てかコンクリートってこんなに柔らかい物だったっけ? それにほんのりと良い匂いがする。なんだか九条君の匂いに似てる。

「大丈夫か?」

 すぐ上から九条君の声が聞こえる。見上げるとそこにはやっぱり九条君がいた。…………あれ? なんか九条君の顔との距離が凄く近くない? そこでようやく気づいた。あたし……九条君に抱きついてる!

「河本?」

「あっ! え……えっと……そ、その……だ、大丈夫」

 そう言ってあたしは慌てて九条君から離れた。もうちょっとあのままでいたかったけど。

 あたしは九条君と目を合わせない様に俯く。すると、視界のすみで影があった。ゆっくりたどっていくと、

「……木下君」

 そこにいたのはジャージ姿の木下君だった。

「やっといたよ。ずっと捜してたんだぞ?」

 九条君は何事もなかったかの様に口調で、木下君の首に腕を回す。

「そうか。……悪いな」

 木下君は淡々と言うと、九条君の腕から抜け出した。

「おい。どこに行くんだよ」

「トイレ」

 そう言って木下君はあたしの横をゆっくり通り過ぎて行った。その時の木下君の表情は分かり難かったけど、不機嫌そうだった。何かあったのだろうか。

「おい、九条! 早く来いよ!」

 遠くから加賀君の大きな声が聞こえてきた。九条君は溜め息をつき、「うるさい奴だなぁ〜」と呟きながら加賀君がいる方に向う。あたしは木下君の事がほんの少し気になったが、九条君を追いかけた。





「うん。これで全員揃ったようね」

 ジャージ姿の千香が腕組みをしながら言うと、隣にいる田中君に何か合図を送る。田中君は黒く細い縁眼鏡をかけ、白く小さな箱を持ってきた。まるで召し使いみたい。

「短距離とリレーをやる人は倉庫にあるスターティングブロックとバトンを二つずつ持ってきて、各自練習を始めて下さい。二人三脚の人は抽選で相手を決めてから始めます」

 田中君の簡潔した説明を受け、各自動き出した。

「じゃ、後でね美幸」

 長い髪を後ろで縛ったポニーテールヘアーにしたえみかが手を振って他のクラスメイトと一緒に倉庫に向かって行った。その後を久美がついて行く。そういえば久美もあんな性格だけど、足は速いんだよなぁ〜。

「はい、河本さん」

 振り向くと田中君が箱を持って立っていた。

「え?」

「抽選だから箱から紙を取って」

 そう言われて慌てて箱の中に手を入れた。最初に触れた紙を取り出すと、「まだ開けないで下さいね」と田中君に言われてから、もっと考えてから引けば良かったと思った。九条君となれたら良いなぁ〜。

「みんな取った?」

 千香は相変わらず腕組みをしながら言うと、一人一人持ってるか確認していった。

「じゃ、開いて」

 そう言われ、たたまれた紙を開いた。紙には「1」と書かれていた。

「紙の番号が同じ人が二人三脚の相手になります」

 田中君がそう言うと、

「3番は誰だー!」

 突然加賀君が大きな声で言った。

「げっ。マジ?」

 昨日までテニス試合をして、肌が薄らと黒くなった聡美が溜め息をつきながら呟いた。すると聡美の横にいた文が小さくガッツポーズをしていた。なんかちょっとかわいそうだなぁ〜。

「俺は1番」

 と、九条君が人差し指を立てながら言った。いいなぁ〜。………………って! あたしじゃん! どうしよー! いざとなったら凄く緊張するなぁ〜。

「あ……あたしです」

 そう言うと後ろから殺気の様な気配が分かった。それが文だとすぐに分かった。う〜、怖い。

「よろしくな」

 九条君が真っ白い歯を見せ、いつもの笑顔で横に来た。あたしは顔が熱くなるのを感じて、顔を伏せた。最近、何度も九条君と隣になるけど、なかなか慣れないよ。

「う、うん」

 ふと、文の方を見ると木下君の隣で不機嫌そうな顔をしていた。隣にいる木下君もどこか不機嫌な感じ。なにかあったのだろうか?

「じゃ、組み合わせも終わったし、早速練習よ」

 千香はそう言うと、左手を田中君の方に出すと、田中君がその左手に白い紐を握らせた。……なんか本当に田中君が召し使いに見えてきた。

「これを足につけて」

 千香から紐を一本渡され、九条君はすぐに紐を結び始めた。あたしはドキドキしながら九条君の作業を見守る。に、二人三脚って、体を……くっつけるんだよね。くくく、九条君とかか、体をくっつける。どどどどうしよー。

「河本、大丈夫か? 顔真っ赤だけど熱でもあるんじゃないのか?」

 九条君が顔を覗き込んできた。あたしはびっくりして後ろに下がるが、左足が動かない。体が後ろに傾き、ゆっくり倒れていく。が、地面にぶつかるよりも先に何かにぶつかった。

「ナイスキャッチだ、準!」

 九条君が親指を立てている。あたしはゆっくりと後ろを振り向くと、木下君が頬を少し赤くしながらそっぽを向いていた。

「だ、大丈夫……か?」

「え? あっ……うん」

 なんだかぎくしゃくした会話をしてから、あたしはゆっくりと体を起こした。

「……べたなシーンも終わったみたいなので、気を取り直して練習しましょう」

 千香が手を叩いて注意をひいてから言った。それから改めて練習が始まった。





「1、2、1……河本。そっちの足出したら転んじゃうよ」

「ご、ごめんなさい!」

 今ので5回目。途中までは揃うのに、緊張して最後は逆の足を出してしまう。も〜! ちゃんと動いてよ、あたしの体!

「う〜ん。困ったなぁ〜」

 千香は左手の人差し指を鼻の頭につけながら言った。千香が考え込む時の癖。なんか可愛いよね。

「……人を変えるですの」

 唐突に文がそう言った。

「でも誰と? 余ってる人はいないし」

「あたしですの」

 文は宣誓する時のように右手を真っ直ぐと伸ばしながら言った。

 あたしはなんだか強烈なパンチを喰らったような気がした。でも反論は出来なかった。だって今のあたしは完璧に足手まといになってる。それにあたしのせいでみんなに迷惑をかけちゃう。それだけは嫌だ。

「でも美幸が……」

「あたしは……いいよ」

 声を絞りだす様に言った。

「じゃ、決まりですの!」

 文はあたしの横を通り過ぎて九条君の横に跳ねる様に行った。あたしは紐をほどいて木下君の横に行った。

「さぁ、練習ですの!」

 文は手早く紐を結び、やる気まんまん。そりゃ〜九条君と一緒だったら嬉しいか。思わず溜め息がでた。

「……じゃ、やりましょ」

 千香が手を叩いて練習が再開された。

 あたしと木下君は凄く息がピッタリだった。自分でも驚くほど。タイムも結構いい方。あたしと木下君はうちのクラスで一番早いのだ。

「あんた達結構いいじゃん」

 千香は田中君が書いたタイムを見ながら言った。その横で加賀君と聡美が転びそうになりながらゴールしていた。どう見ても加賀君のスピードに無理矢理聡美が合わせていた。

「あなた達は1位を狙いなさい」

 あたしは千香にそう言われてなんだか凄く嬉しかった。なんか期待されてるみたいで。

「少し休憩しましょう」

 そう言われて、木下君が紐をほどき始める。

「……九条とペアの方が良かったんじゃないか?」

 突然木下君が呟く様に言った。

「ううん。九条君とだと緊張して上手く走れないから、だから木下君でいいよ」

 あたしがそう言うと木下君は急に黙り込み、紐をほどいた。ほどくと無言のまま日影に行ってしまった。……あたしなんか変な事言ったかな?

 五分の休憩が終わり、練習が再開された。再び足に紐をつけ、スタートラインに立つ。何回もやってるから楽勝。そんな気持ちでいると、田中君が笛を吹いた。

 木下君と一緒に飛び出し、テンポよく走る。あたしはなんだか楽しくて仕方なかった。もっと走りたい。もっと風を感じたい。もっと……。


 急に足がなくなった様な感覚になったと思うと、すぐに地面が見えた。


 自分でもよく分からないまま視界が真っ暗になった。

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