第十七話・美幸と九条の逃避行
「え? 自分で作ったの?」
えみかがスパゲッティーを食べながら言った。えみかの言う通り、今日のお弁当は自分で作ってみた。何でと言われてもよく分からない。なんとなく作ってみようかなって思っただけ。
「美味しそうね」
えみかがお弁当の中身を見ながら言うと、久美もあたしのお弁当を覗き込む。
「そ、そうかな?」
あまり自信ないんだけどなぁ〜。
「ホントだ〜」
久美はタコさんウィンナーを口に頬張りながら言った。
もしかしたら無意識の内に九条君を思いながら作っていたのかもしれない。あたしはそう考えると顔が熱くなった。このお弁当を持って九条君と二人っきりになって、あたしが九条君に食べさせるの。こう、「あ〜ん」って。
「なに金魚みたいに口パクパクしてるの?」
久美の言葉で我に戻った。あたしは紛らわそうと、ご飯を一気に口の中に入れた。
「ゲホッ! ゲホッ!」
「ちょっと。焦って食べるからだよ」
えみかが持ってたお茶を差し出す。あたしはそれを受け取り、飲んだ。
「……ありがと」
お茶を返し、改めてお弁当を食べた。あたしは卵焼きを取ろうと、箸を伸ばす。
「あっ!」
それよりも早く久美がそれを摘んだ。あたしは久美を止めようとしたが、止める間もなく食べられてしまった。即座にあたしは美味しくないって言われたらどうしょ〜と考えていた。すると、
「美味しい〜」
久美は親指を立て言った。あたしは取り合えず安心した。あたしは残り一つになった卵焼きを取ろうと、箸を伸ばす。しかしまたもや、
「どれどれ」
今度はえみかに食べられてしまった。
「うん。美味しいよ」
えみかは微笑みながら言った。あたしは卵焼きがあった場所を見つめる。
「……それで最後だったのに〜」
「ごめんごめん。美味しそうだったからさ」
「うん。おいひかったよ」
久美は口いっぱいに食べ物を詰め込んだリスみたいになっている。あたしとえみかはそれを見て笑った。久美はあたしとえみかを不思議そうに見つめた。
「なひ笑っへんの?」
「だって顔が……」
えみかが久美を指さして言った。あたしもお腹を抑えながら笑うと、久美はようやく飲み込んだ。
「人の顔見て笑うなんて」
「だ、だって顔がリスみたいになってたんだもん」
あたしが言うと久美は首を傾げた。えみかは笑いながら頷く。
「あ〜、今の写メしたかったなぁ〜」
ようやく笑いが収まってきたえみかはそう言って、お茶を飲んだ。久美はまた首を傾げ、デザートのオレンジゼリーを食べ始めた。あたしもハンバーグを箸で小さくし、口に放り込んだ。
「そういえばさ。美鈴って知ってる?」
えみかがプラスチックのフォークで麺を絡めながら言った。
「辞書を使って占うやつでしょ?」
あたしがそう言うとえみかが頷いた。
「そう、それ。なんかよく当たるんだって」
「嘘だぁ〜」
久美がそう言うと、えみかは鞄から雑誌を取り出した。ページをぱらぱらとめくり、開いたところを机の真ん中に置いた。そこには占いをしてもらった人のコメントとフードを被った人が写っている。この人が占い師なのかな。
「ほら。みんな当たってるって言ってるじゃん」
えみかは絡めた麺を食べながら言った。あたしと久美はコメント欄を見た。えみかの言う通りコメント欄には確かに当たってるという言葉が書かれている。
「ね? だからさ〜、今度行こうよ」
えみかは目をキラキラさせながら言った。
占いかぁ〜。恋を占ってもらおうかなぁ〜。九条君と進展あるか気になるし。
「いつ行くの?」
久美がゼリーを食べながら言うと、えみかは顎の下に指を置く。えみかの考える時の癖だ。
「う〜ん。土曜日はどう?」
「あたしは大丈夫だよ」
久美があたしを見ながら言った。えみかも見てくる。
「も、もちろん」
「じゃ決まりね」
えみかが微笑みながら言うと、いつの間にか昼休みが終わるチャイムが鳴った。
*
放課後になり、あたしはえみかと久美を待つのに玄関に向かっていた。きっと時間かかるんだろうな。あのめんどくさがりのえみかは何故か掃除の時だけしっかりやるんだよなぁ〜。
「あ、せんぱーい!」
振り返ると七海ちゃんが胸を揺らして走ってきた。
「先輩! こないだのプロポーズ大作戦はどうでした?」
「ちょっ! 声が大きいよ〜」
あたしは辺りを見渡してから七海ちゃんに言った。運が良い事に誰も聞いていなかった様だ。
「あ、すいません」
七海ちゃんは舌を出しておどけてみた。
「それでどうだったんですか?」
七海ちゃんは小さな声で言った。
どうしょ〜。ここは正直に言った方がいいのかなぁ〜。でもそれだと七海ちゃんに悪い気がする。あのきっかけを作ってくれたのは七海ちゃんだし。でも嘘言うのも嫌だなぁ〜。すると、
「どうしたなっちゃん」
七海ちゃんの後ろから背の高い人が来た。
「あ」
「え?」
後ろから来たのは松本君だった。
「なにさ、幸ちゃん」
七海ちゃんが松本君に腰に手を置き、頬膨らませて言った。
「えーー?」
七海ちゃんって松本君と付き合ってたの!?
「何怒ってんだよ?」
松本君は七海ちゃんを見下ろしながら言った。うわー。なんかブルース・リーの「死亡遊戯」みたい。
「何よー! 別れようって言ったくせにー」
「なんか勘違いしてない? 俺そんな事言ってないよ」
「嘘だ! 絶対言ったよ!」
うわー。なんかいづらいなぁ〜。そう思ってあたしは静かにその場を去った。
「ふぅー。まさか松本君と七海ちゃんが付き合ってたなんて」
そう思いながら改めて玄関に向かった。すると、玄関で誰かがうずくまっていた。あたしはそれが九条君だとすぐに分かった。ここは声をかけるべきなのか? それとも少し様子を見てからの方が……。いや、ここは声をかけるべきよ。頑張れあたし!
「だ、大丈夫?」
あたしが声をかけると、九条君は振り返った。
「お、河本か」
あたしは九条君がなんでもない様子だったのでほっとした。でも何でうずくまってたんだろ。
「悪いけどさ、猫捜してくれないか?」
九条君はそう言うと辺りをキョロキョロと見渡した。
「え? 猫?」
「そう。黒猫のペンダントがさ、どっかに落としたみたいなんだよ」
九条君は玄関の隅々まで見ていった。あたしはそれを見て九条君にとってそれはとても大切な物なんだと思った。さすがに捜さない訳にはいかないな。あたしは鞄を置いて捜すのを手伝った。
「悪いな」
九条君は小さな声でそう言った。
あたしはドキドキしていた。九条君と二人っきり。はぁ〜、あたしは幸せだぁ〜。でも、もし捜しても見つからなかったらどうするんだろう。あたしはふとそう思った。
「……マジでやばいな」
九条君は小さな声でそう言った。あたしはそれを聞いて、
「だ、大丈夫だよ。きっと見つかるよ」
床を見ながらそう言った。あたしは言ったあとに後悔した。見つからなかった時の事も考えておけば良かった。軽々と見つかるなんて言わなきゃ良かった。……捜すしかない。きっと見つかる。あたしは強くそう願った。
不意に誰かの靴が目の前にある事に気づいた。あたしはゆっくりと見上げた。
「いい度胸ですの」
目の前には文が立っていた。その後ろには九条ファンクラブのメンバーがずらりと並んでいた。
「近づかないでと言ったはずですの」
「あ、いやこれには……」
「言い訳は聞きたくないですの」
文がそう言うと、黒縁眼鏡をかけた山里さんと髪に黄色のヘアピンを付けている朝倉さんの二人が出てきた。この二人はクラブの幹部であり、文のボディーガードの様な役目をしている。
あたしが後ろに下がると、突然手首を掴まれた。びっくりして振り返ると、九条君がいた。九条君は何も言わず、あたしの手を引いて走り出した。あたしは転びそうになりながらも走った。
振り返るとファンクラブのメンバーが追いかけてきた。
「悪いな。なんか巻き込んじゃったみたいだ」
九条君はそう言って、あたしの手を引っ張っていた。あたしは九条君の手をずっと見ていた。温かい。ずっとこのままでいてほしい。あたしはそう思った。
「こっちだ」
九条君は廊下を曲がり、階段に向かった。あたしは反応しきれず、転んでしまった。九条君が慌ててあたしを起こし、階段を急いで上がった。
階段を上がりきると、再び廊下を走る。すれ違う生徒が見てくるが、あたしたちは気にせず走った。九条君はまた曲がった。今度は転ばない。階段を上がり、九条君がスピードを上げた。
「……く、九条君」
あたしは息を切らして言った。こんなに走ったのは久しぶりで、足も体力も限界に近かった。
「もう少し我慢してくれ」
九条君は短く言うと、家庭科で使う被服教室に入った。すぐにドアを閉め、あたしを連れて窓際に向かう。九条君は窓を開け、外に出た。あたしは唖然とした。九条君はそのまま向かいの体育館に移ったのだ。
被服教室と体育館は隣り合っていて、隙間がないほど寄り添っている。それでもこうして移るなんて考えてもいなかった。
「さぁ」
九条君は体育館の窓に身を乗り出し、手を差し出してきた。あたしはゆっくり窓に近づき、下を見た。高さはゆうに五メートルはあるだろう。途端に足がすくんだ。
「無理だよ〜」
「大丈夫さ。子供の時に木登りしただろ? あれと同じ感覚さ」
九条君はそう言って、さらに手を伸ばした。
「ほら。手に掴まって」
あたしはドキドキしながら九条君の手を握り、ゆっくり窓の外に出た。途端に風が吹き、体が硬直した。もう無理。動けないよ〜。すると、九条君に手を引っ張られ、九条君の胸に飛び込んだ。あたしは恐怖のあまり九条君を抱きしめた。
「はは。アクション映画みたいだな」
九条君はそう言うとゆっくりあたしを中に入れ、窓を閉めた。あたしは額に乗った汗を拭った。なんか途端に疲れがきたので、壁に寄り掛かった。
「これであいつらも追ってこないだろう」
九条君はそう言って、近くにあったパイプ椅子に腰を下ろした。あたしは呼吸を整え、頷いた。すると、手に何かが当たった。見ると黒猫のペンダントがあった。
「あ! それ何処にあった?」
九条君は目を大きく見開いた。
「え? こ、ここに落ちてたよ」
あたしがそう言うと九条君は溜め息をついた。あたしはペンダントを九条君に渡した。
「ありがとな」
九条君はペンダント受け取ると、そのまま学ランのポケットに突っ込んだ。
「……」
部屋に沈黙が流れた。なんか話さなきゃ。でも何話そう。……あ、そうだ。
「ね、猫って可愛いよね?」
「え? あ、あぁ。そうだな」
九条君は驚きながらも言った。
「あたし猫一匹飼ってるんだ」
そう言って、携帯を取り出した。データフォルダからポン太の画像を出し、それを九条君に見せた。
「ポン太って言うの」
「へぇー。可愛いな」
九条君はそう言って、携帯を取り出した。何かいじりだしたと思うと画面を見せてきた。そこには座布団の上に気持ち良さそうに眠った猫が映っていた。
「可愛い〜」
「名前はテトって言うんだ」
「え? 九条君も飼ってるの?」
あたしは驚いて九条君を見上げた。
「一匹だけな」
九条君はニッと白い歯を見せて笑った。あたしも釣られて笑った。笑っていると、九条君は突然携帯を見た。携帯の先端は赤く点滅していた。
「あ、じゃ〜俺行くから」
九条君はそう言って、パイプ椅子から立ち上がりドアに向かった。あたしは拳を握った。これはチャンスだよ。言わなきゃ。頑張ってあたし。
「あ、あの九条君」
そう言うと九条君が振り返った。
「あた……ありがとう。助けてくれて」
「気にすんな」
九条君は微笑むと、部屋を出ていった。あたしはしばらくドアを見つめ、そして壁に頭を二度ぶつけた。
……あたしの馬鹿。また言えなかったじゃん。