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第十六話・準、スランプを脱す

 風海堂の前に着くと素早く自転車にカギをかけ、店の中に滑り込んだ。

 何がなんだか分からない。

 ただ俺は、河本の目に触れる場所にいるのが恥ずかしかったんだ。

 今も河本の「じゃあね」という言葉が耳に残っていて、頭の中がもやもやする。

(俺は何をしてるんだ?)

 自分のやっていることが理解できない。

 どうして“苦手”だと思っているのに河本にかまってしまうのか。なんであの時「元気出せよ」なんて言ったのか。そしてどうして俺は、河本が落ち込んでいると心配になるのか。

 ……わからない。

 俺は次々と沸き上がってくる疑問符を振り払うように頭を振った。その時、

「おう。木下? お前そんな所で何やってんだ?」

 突然声をかけられて、俺は顔を上げた。商品が陳列された棚の間にむさ苦しい男の顔が見えた。

「竹内先輩?」

 先輩を見た瞬間、俺は自分のいる場所を思い出した。風海堂の入り口……こんな所にいつまでも立っていたら迷惑だ。俺は後ろでつかえている人がいないか確認すると、先輩の元へと駆け寄った。

「せ、先輩、どうしたんですか?」

 動揺している俺を見て、竹内先輩は笑った。

「お前こそどうしたんだよ? 何びくついてんだ? それに随分長いこと入り口の前でボーっとしてたぞ? ああ、あれか? どっかに綺麗なねーちゃんでもいたか?」

 再び先輩は笑う。今度はさっきとは違い、にやにやと人の悪そうな笑みだ。

「そんなんじゃないです!」

 俺が首を振って否定すると先輩は、

「若人よ、それは生き物として当たり前の事なのだ。何も恥ずべき事ではない」

 と言って俺の肩をとんと叩いた。

(……あ)

 先輩の手を見て俺は気が付いた。

 竹内先輩の肉厚の手。よく見ると爪の先が絵の具で汚れていた。それは絵を描いている証拠だ。面倒くさがりの竹内先輩でさえ地区展の制作を始めている……

「先輩も、地区展出すんですよね?」

「ああ。春崎がうるせぇしな。ちょうどいいタイミングだったし、描くことにした」

 ……タイミング。おそらく先輩の言うタイミングとは、創作意欲が湧いてきたという事なのだろう。どんなものができるのかは想像つかないが、おそらくはまた『素晴らしい物』に違いない。

「油絵ですか?」

「いや。アクリル画だ。マゼンタがなくなったんで買いに来たんだ。ここが一番安いし、それに……」

 竹内先輩はにやりと笑うと、レジの方を伺った。

「店員が美人だ」

「はあ……」

 俺もばれないようにそっとレジにいる店員を見た。焦げ茶の長い髪を後ろで一つに結んでいる快活そうな女性。黒いエプロンにチェックのシャツとジーンズ姿で、さっきからせっせと荷物運びをしている。動くたびに揺れるポニーテール。その間からのぞく白いうなじが妙にセクシーだ。おそらく年は二十代後半から三十代前半くらい。年増好きの竹内先輩の好みのタイプだ。

「ここのオーナーの妹さんらしい。名前は夏都なつさん。32歳で独身だ」

 竹内先輩が耳打ちする。

「ここの姉妹は皆美人だが、俺の一番は夏都さんだな。こうちょっと、ツンとしている感じがいいんだ」

「はあ」

 俺は適当に相づちを打った。

 俺の心はそんなことを聞いていられるほど冷静ではなかったのだ。一番腰の重い竹内先輩でさえ制作に取り掛かっている、その事実は俺を焦らせた。俺はまだ漠然としたイメージを掴むことすら出来ずにいた。どうすればいいのか、どんな物を作ればいいのか、締め切り間近だというのに同じ場所でずっと足掻いていた。

 だから先輩が風海堂の美人四姉妹についてどんなに熱く語っても、俺は半分しか聞いていなかった。

「木下は、制作進んでるのか? 春崎にプレッシャーかけられただろ?」

「え?」

 突然話題を変えられて俺はビックリした。

 制作は進むどころか踏み出してすらいないし、春崎先輩にプレッシャーをかけられたのも事実だ。画材を買いに来たものの、どういう物を作るのかは決まっていない……

 俺が俯くと、竹内先輩はため息をついた。

「お前は真面目すぎるな。出しゃいいだけなのによ。どんなもんでも『これが俺の作品だ』って言っちまえば勝ちなのに……」

 確かに、地区展に出品するだけなら竹内先輩の言うとおり適当に作って出せば良いだけなのだ。だが……

「春崎に良い所見せようってのが、なんつーか……間違ってるな」

「!?」

 俺は顔を上げた。

 心を見透かされている。そう思ったら、羞恥心から体が熱くなった。

「芸術ってのは人のために作るもんじゃねぇんだ。全部自分のため……愚かな連中の自己陶酔の産物だ。それを他人が価値つけるんだから笑っちまうよな」

 竹内先輩は自嘲気味に笑った。先輩がこんな真面目な話をするのははじめてで俺は驚いた。それに『天才』と周りから期待を寄せられている竹内先輩が、芸術に対してこんな風に思っていたなんて意外なことで、信じられなかった。

「他人の評価気にしてるようじゃいいもんなんか作れねーよ。ま、自分は最高だ! って思ってるやつもいいもん作れねーが。ようはさ……芸術とは戦いなのだよ」

 竹内先輩は俺の肩に腕を回した。

「恋愛も芸術も同じだ。戦って奪い取るもんだぜ? 確かに春崎とお前とじゃ勝負にならねぇかもしれないが、諦めたら終わりなんだよ。芸術作品が妥協した時点で完成するのと同じさ」

「妥協して完成、ですか?」

 俺が納得できないという顔をすると、先輩はにやりと笑って言った。

「ああ。作品の完成ってのはな、生でもあり死でもあるんだ。これはこういうものだって発表した時点でその作品の形は決まっちまう。もうそこから上に進むことはねぇんだ。不変の形つーのかな……」

「不変の形……」

 俺はその言葉を口の中で呟いた。

 確かに、絵画は完成したら額縁に入れてそのままの形であるように管理をしなければならない。日焼けしたり傷でも付いたら絵画の価値はぐんと下がる。変わらずにそのままであることが求められるのだ。

「お前が何に悩んでるか何てしらねーが、悩みのないヤツなんていねーさ。そんな風に見えるだけで、みんな何か悩みを抱えてるもんだ」

 そういうと竹内先輩は俺の肩の回していた腕をはずした。

「悩むってのはいいことなんだぞ? お前は誰より真面目で、よく悩むだろ? だからお前には『才能』なんてものよりスゲーもんがあると俺は思ってるよ」

 先輩の言葉に俺はドキリとした。いつもダラダラしてて悩み事なんてなさそうな先輩にも悩みがあるのだろうか? 先輩は相変わらずにやにや笑っていて考えが読めない。

 もしかしたら俺は先輩のことも、自分以外の色々な人のことも分かっていないのかもしれない。自分だけが大変だと思っているだけなのかもしれない。


(スランプだなんて言って恥ずかしいな……)


 その時、俺は気が付いた。俺は小説を書けないのではなくて、書かないのだと。

 俺は自分ができないことを、春崎先輩や滝谷先生のせいにして逃げていただけなのだ。自分は駄目な人間だと卑屈になって、どうすればそこから抜け出せるのか行動を起こそうとはしなかった。

(ああ、自分が嫌になる……)

 俺が俯くと、

「今の俺の一番の悩みはな、どうやって夏都さんを口説くかだ。なあ、木下。お前夏都さんに彼氏いるかどうか聞いてきてくれよ?」

 にやにや笑いながら竹内先輩が囁いた。おそらく先輩はこの重苦しい空気を変えるためにわざとそんなことを言ったのだろう。

 俺は静かに微笑むと、先輩に向かって言った。

「高校生は相手にされませんよ」

 すると先輩は「俺は老け顔だからいける!」と言って笑った。

 冗談なのか本気なのか、竹内先輩は本当にその後店員さんを口説いていた。もちろん全く相手にされなかったが。

 けれど、無理と分かっていても突撃する先輩が、俺には格好良く見えた。





 家に着くと、いつものように着替えながらパソコンを起動させた。姉貴からのお下がりは俺が前に使っていた物より起動が早く、この間初期化作業をしたおかげで動きも安定している。俺が着替え終わるより先にパソコンは起動し作業できる状態になっていた。

「そういや、メール……」

 滝谷先生からのメールがきているかも知れない。そう思うとマウスを動かす腕が震えた。

 もう送ってしまった物はどうしようもないが、やはりあんなことをメールするべきじゃなかった。カステラ先生は女性は甘えられるのが好きだから大丈夫だと言っていたが、よくよく考えてみればそれは好きな相手だから嬉しいのであって、全く知らない赤の他人に甘えられても困るだろう。いや、困るというレベルを超えて嫌がられているかも。ああ……

 俺は大きく深呼吸をしてから、メッセージを確認した。どんな返事が来ていたとしても、もうどうしようもないことなのだ。

 恐る恐るマウスをクリックすると、1件メールが来ていた。


『李さん。スランプ大変みたいですね。あたし、何も力になれずに申し訳ないです。

 書けないのでどうしたら……あたしにもそういう経験があります。そういう時って、どうしようって考えれば考えるほど焦ってしまって何も出来なくなるんです。だから、あたしの場合は書かないことに決めてます。出来ないときはできないと諦めるんです。それで、書けるようになるのを待ちます。じゃないと、自分で自分を追いつめてしまって身動きできなくなるんですよ(^_^;

 実はあたしも今、李さんと同じってほどじゃないですけどプチスランプに陥ってます。自分が嫌になることがあって、落ち込んでて。そうしたらもう頭の中ぐちゃぐちゃで何も考えられなくなっちゃったんです。連載の更新もしなきゃないんですけどできなくて。泣きはしないですけど、すごく落ち込んでしまって。

 あたしってすぐ心に思っていることが外に出ちゃうというか、暗い気持ちの時に明るく振る舞うことができないんです。だから、今書いてる小説もコメディーなのに暗くなっちゃいそうで書けなくて……ああ、こんなこと言われても困りますよね? ごめんなさい。

 李さん、焦らないでください。誰にだって書けないときはありますよ』


「なんだよ……これ」

 俺はそのメールを読んで、自分が心底情けなくなった。

 滝谷先生あのひとも俺と同じ高校生で、同じように悩み事を抱えている。なのにあの人はこんな俺のために優しい言葉を投げかけてくれているのだ。諦めないで、俺を信じてくれている。

「何やってんだ? 俺は……」

 いつまでここに留まる気なのか。ここまで言ってくれる滝谷先生を俺のわがままで振り回してもいいのか?

 俺は勢いよく立ち上がると、部屋を出て浴室へ向かった。廊下を歩いている途中、母親とすれ違って変な顔をされたが気にしない。

 俺は脱衣所で上着を脱ぐと、蛇口をひねり冷たいシャワーを頭にかけた。

 頭を冷やさなければ。

(どうする? 俺……)

 何故か、タイルに弾かれるシャワーの水音がやけに高く聞こえた。




 

 次の日の朝目覚めると、妙に頭がスッキリしていた。昨日までのもやもやが無くなっている。すがすがしい朝だ。

 俺は時計を見た。午前6時。いつもより早く目が覚めた。

 俺は着替えをすますと朝食の前にパソコンの電源を入れた。

(……滝谷先生にメールしないと)

 もう逃げるのはやめる。そのためにまず、逃げ道を無くしてしまわなければ。 

「えーと、『メール、ありがとうございました。それと長い間迷惑かけてすみませんでした』……」

 俺は滝谷先生にメールのお礼と励ましの言葉を書いた。

 「ありがとう」が3回と、「すみません」が5回。長くて半分意味不明な内容だったが、決意が揺らがないうちにメールしておかなければならないと思った。


『絶対に、企画の締め切りまで間に合わせてみせます』


 何がなんでもやってやる。くよくよ考えるのは後からで十分だ。

 俺は送信ボタンを押すと、大きく息を吐いた。

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