第十二話・準、宣告を受ける
俺の隣で、姉貴は食い入るようにマジックショーを観ていた。手品の種明かしをすると張り切っているのだ。
姉貴は石塚さんとケンカしたらしい。二人で行くように折角気を利かせたマジックショーなのに、何故か俺が姉貴と一緒に行く羽目になった。ケンカだなんて石塚さんは一体何をやっているんだろうか。それとも、遂に姉貴に愛想を尽かしてしまったのだろうか?
俺は後者でないことを祈る。なぜならこの姉貴を扱えるのは石塚さんくらいしかいないからだ。もし石塚さんに見捨てられたのなら、姉貴は今まで以上に周りに迷惑をかけるだろう。どうにかそれだけは避けたい。なぜならその姉貴によって一番迷惑を被るのはいつも俺だからだ。
「今の見た? 口からドジョウ出したわよ」
姉貴が指さした先を見ると、ミスター畠がガラスボウルの中に次々とドジョウを吐き出していた。拍手する観客に向かって「ドジョウをどうじょう」とつまらない親父ギャグを言うミスター畠。彼はたぬきのメイクにタキシードというおどけた姿をしていた。
チケットには『マジカルイリュージョンショー』と書かれていたが、ショーの内容はマジックなのか、ただの宴会芸なのか分からないシュールなネタばかりだ。
(つまんねー……)
帰って小説の続きでも書いた方がましだと俺は思った。
実は、俺はまだ完全にスランプから抜け出せてはいない。パソコンに向かっても思ったように文章は出てこなくて、話の半分くらいを書いて止まっている。このままだと……はっきり言って企画の締め切りに間に合うのかどうか怪しいところだ。
(やばいなぁ)
先日又三郎さんからメールが来て、企画投稿の日付を知らされた。
7月12、13日の二日間。
それは奇しくも地区展と同じ日だった。
二つとも締め切りまで一ヶ月を切っているのに、俺はどちらも足踏み状態だ。小説が書けなければ滝谷先生に、地区展の作品ができなければ春崎先輩に迷惑がかかる。どうにかしなければと思うのだが、考えれば考えるほど、どちらもうまくいかなくなっていった。
(滝谷先生か……)
俺の頭に、先日あの人とチャットした時のことが思い浮かんだ。
滝谷先生とはメールで話すことは何度もあったが、チャットで話をするのはそれがはじめてだった。メールとは違いリアルタイムで会話をするのは、新鮮でもあり執筆意欲をかき立てる刺激にもなった。
滝谷先生が俺をチャットに誘ったのは、俺がスランプになっているのを心配したかららしかった。なんだかそれが嬉しくて、すこしだけ気が楽になった。滝谷先生がどういう人なのか以前より分かったような気がして、それもまた俺を勇気づけた。
それと偶然にもその時『なってまえ四天王』のカステラ先生とお話しすることができたのは幸運だった。俺は実はあの先生の大ファンなのだ。カステラ先生はいつも面白い作品ばかり書かれていて、俺は小説を書くことの楽しさをあの先生から教わった。なぜあの日チャットに来ていたのかは不明だが、(滝谷先生が誘ったのではないらしい)カステラ先生と話をしたことも良い息抜きになった。
(カステラ先生……)
実はチャットの後、カステラ先生からメールを貰ったのだ。
『どうも 李さん。今日はチャットでお話できて楽しかったです。お二人の作品、どのようなものができるか楽しみにしてますよ!
ところでこれはアドバイスというか、年長者からの意見として心に留めて貰えればいいのですが……今日感じたことです。
李さん、知花さんにちょっと遠慮しすぎなんじゃないですか? 今日3人でチャットしていて思ったのですが、お二人で小説を書いているわりにはどこかぎこちないというか、足並みが揃っていないような気がしました。二人で一つの物を書くって事は、一人で書くより難しいことですよ。共作ってのは、ちょうど二人三脚みたいなもんです。どっちかがこけたらもう一人が支えないと二人とも倒れてしまう。
李さん、困ったときは知花さんにもっと甘えればいいんですよ。書けないならどうすればいいのか、聞いてみればいいんです。
……なんてカステラはいつも嫁さんに寄っかかって殴られてますけど(笑)女の人は甘えられるの好きですから大丈夫ですよ……たぶん。
お二人のこと、影ながら応援してます。プレゼント企画、頑張りましょう!
でわどわ カステラ』
共作は二人三脚と同じ。
そんなこと、考えてみたことも無かった。カステラ先生からのメールを読んで、俺は確かに滝谷先生に遠慮しているかもしれないと思った。一緒に書こうと言い出したのもあの人だったし、俺と違って滝谷先生は行動力もある。話をかき上げるのも早くて、俺はいつも気圧されてしまっていた。
けれど。作品が出来上がらなければ滝谷先生も困るはずで、一緒に書こうと誘ったからにはそれなりにあの人にも責任があるはずだ。
――どちらかがこけたらもう一人が支えないと二人とも倒れてしまう。
そうならないためにはどうすればいいのか。きっとカステラ先生の言うとおり、俺が意地を張らずに頼ればいいのだ。
(帰ったら滝谷先生にメールしてみるか……)
俺は決心を固めると、大きく息を吐いた。
ちょうどその時だった。
バサバサと無数の鳥が羽ばたく音がすぐ近くで聞こえた。
「準! 危ない!」
姉貴の叫び声で顔を上げると、
「うわ!?」
俺めがけて突進してくる白い鳩の群が見えた。
*
目覚めると白い天井が見えた。いつのまにかソファーに寝かされている。
ゆっくり視線を漂わせると俺の左手を握る姉貴の白い手と、おろおろと歩き回る見知らぬ30代くらいの男が見えた。
ここはどこだ? 見たところ舞台の控え室のようだが、自分がどうしてここにいるのかが分からない。
頭を振り二度瞬きをすると、心配そうに俺をのぞき込む姉貴と目があった。
「準、大丈夫?」
「姉貴……? 俺、どうして?」
俺が尋ねると、
「ぷはははは。いやー、我が弟ながら面白すぎるって!」
姉貴は急に吹き出した。
「鳩に突撃されて気を失うなんてさ。くふふふ。あまりに面白いんで写メ撮って石ちゃんに送っちゃったよ」
姉貴は俺に携帯の画面を見せた。そこには、鳩に頭をつつかれながら伸びている俺の姿があった。
「寄越せよ、それ! まじで石塚さんに送ったのか? 信じらんねぇ!」
俺が携帯を取り上げようとすると、姉貴は素早く身をかわした。うちの家系は逃げ足だけは早いことで有名だ。姉貴は俺が奪えないように鞄の中に携帯をしまうと、余裕の笑みを浮かべた。
(くそっ〜!)
昔からそういうことを平気でする姉だが、そんな格好悪い写真を石塚さんに送るとは信じられない。いや、それよりも姉貴のヤツ石塚さんとケンカしているのではなかったのか?
ケンカしたかと思えばもう仲直り。姉貴には振り回されてばかりだ。俺は憎らしげに姉貴を睨み付けた。すると、
「あの〜、大丈夫ですかぁ?」
例の30代くらいの男が青い顔で俺をのぞき込んできた。
この人は一体誰なのか。俺が不思議に思っていると、姉貴が男に向かって言った。
「大丈夫ですよ。これくらいで伸びるこいつが弱すぎなんです。畠さんは何も悪くないですから」
畠さん……?
「いや、でも。本当にすんません。お客様に突っ込むなんて、あいつらぁ、あとでしっかり叱っておきます……」
何度もぺこぺことお辞儀をする男。黒いタキシードに派手な金色の蝶ネクタイ姿……その服装を見て、俺は彼がミスター畠だと分かった。メイクを落としているから気がつかなかった。ミスター畠は思っていたより若いしハンサムだ。
「本当に申し訳ない、すんません、はい……」
ミスター畠は俺が「いいですから」と言っても、何度も起きあがりこぼしのようにお辞儀をしていた。気が弱いのか、人が良いのか分からないが、謝られているうちにこちらが悪いことをしたような気分になった。
結局俺は姉貴と二人がかりでミスター畠に俺が大丈夫なことを説明した。そしてようやく彼を安心させることができた。ミスター畠は義理堅いらしく、帰り際にお詫びだとカステラを二箱よこした。彼は実家がケーキ屋で、自分の名前も啓紀なのだと笑いながら言った。
初めてあったはずなのにどこかで会ったような気がする……ミスター畠という奇術師はとても不思議な人物だった。
*
「ほんとあんたってさ、昔っからついてないわよねー」
帰り道。姉貴がケタケタと笑いながら言った。
「一度、見て貰った方がいいんじゃない?」
「見て貰う……って、何を?」
「運勢よ。占いとか。確か駅の近くによく当たるって有名な占い屋さんがあったわね。そうだ。せっかくなんで行ってみましょ?」
「えー? 占いなんて今時……」
俺が文句を言うと、姉貴は「問答無用」と言って俺の腕を引っ張った。姉貴には逆らえない。それが弟の性というか、俺の情けないところだ。
結局俺は姉貴の言う占い屋に連れて行かれた。
駅前のファッションビルの三階にその店はあった。占いの館・美鈴。黒い幕がかけられた入り口はいかにも『占い』といった風情で、その前には女性客がずらりと列をなしていた。列の一番後ろには札を持った誘導員がいる。札には“只今2時間待ち”と書かれていた。
「姉貴、流石に2時間も待つのは馬鹿らしいと思うけど」
俺がそう言うと姉貴は鬼気迫る表情で、
「見て貰わなきゃだめ!」
と言った。
なぜそんなに必死なんだ? 俺には姉貴の考えていることがさっぱり分からなかった。
結局俺はその列に並んで2時間待った。姉貴はと言うと俺を並ばせておきながら、一人で帰ってしまった。本当に自由奔放な人だ。
「どうぞ、お入り下さい」
長い間待っていたので足が疲れた。俺は部屋に通されるとすぐに占い師の向かい側に用意された椅子に腰掛けた。
部屋の中は薄暗く、香の匂いがした。雑誌の占いコーナーを読んだことぐらいはあるが、こんな風に本格的な占いをして貰うのははじめてで、俺は少々緊張していた。
目の前に座っている占い師は、頭からすっぽりとフードを被っていて年齢も容姿も分からない。“美鈴”というから女性なんだろうが、それ以外は一切不明。正体不明の人物に占って貰って信じるなんて、女性とはすごい生き物だと俺は思った。
「今日はどうされました?」
占い師が、俺をじっと見つめながら尋ねた。その名の通り、美しい鈴のような声音だ。
「最近ついていないので、見て貰いたくて」
俺がそういうと、占い師は小さく頷いた。そして机の脇から漢和辞典とスケッチブックを取りだすと、白く細い指でパラパラと辞典のページをめくった。
(当たるも八卦、当たらぬも八卦……)
俺は黙ってその様子を見ていた。姉貴が言っていたのだが、この占い師は辞書を使って占いをするらしいのだ。辞書と言っても様々で、人によって本を使い分けるらしい。国語辞典を使うときもあれば、英和辞典や英仏辞典を使うときもあるのだとか。
占い師は3分くらい黙ってページをめくっていた。
「分かりました」
占い師は懐から万年筆を取り出すと、さらさらとスケッチブックに文字を書き出した。
「稀にみる不運体質ですね、あなたは……」
占い師はスケッチブックの文字を見ながらそう呟くと、俺の目をまっすぐに見つめてこう言った。
「これからしばらく、あなたにとって不幸な出来事が続きます」
「は!?」
いきなりの不幸宣告に俺はつい声を上げてしまった。
「あなたの未来を暗示する言葉は、『転』、『破』、『誤』、『疑』……事故と、精神的挫折が見えます。事故にはくれぐれも気を付けてください……」
真面目な顔をして言う占い師。
だが俺は占いなど信じていなかった。そんなの科学社会の昨今信じるなんて、ばかげていると思っていた。占いをして貰ったのも姉貴に言われたからで、どうにかして欲しいとか思ったわけでもなかった。
だから。俺は占い師の言葉も、適当にしか聞いていなかった。
占い師は俺の顔を一瞥すると、
「信じる信じないはあなたの自由です。ただ、そうですね……私にはあなたに重なって坊主頭が見えます……あなたの友人に坊主頭の方がいらっしゃいますか? その人といると運気が上がる、そう出ています。どうか彼に親切にしてあげてください」
と言って小さく微笑んだ。
「はあ、どうもありがとうございます」
俺は占い師に礼を言うとその店を出た。
(……占いなんて)
その時の俺は、占いなんて非科学的な物は信じない。そう思っていた。