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スタンプ

 パンッ――。


 遠くで、何かが弾ける甲高い音が響いた。


 佐藤は道の脇にあったブロック塀に身を隠すように立ち止まり、音のした方角へ視線を向けた。コタロウも彼に続き、足の間に潜り込む。


 だが、彼が眉をひそめて警戒したのは、ほんの少しの間だけだった。


(電柱の変圧器でも吹き飛んだか? それともさっきみたいな放電現象か?)


 街の中は普段なら聞くことのない異常な音で溢れている。遠くの交差点ではクラクションが鳴り続け、火災を起こした家の壁が崩れ落ちる音がした。


 全ての音に怯えていたら、神経がいくらあっても足りはしない。


 ここより遠い場所で起きたなら、それほど危なくはないだろう。

 佐藤はすぐに興味を失い、視線を手元へと戻した。


「……さて」


 ポケットに突っ込んだ手をガサゴソと動かす。指先に触れるのは、壊れたパチンコ屋の景品交換所近くで拾い集めた、冷たく重い金属の小球――パチンコ玉だ。


 佐藤の眼前には、今日になって初めて見る「異常」があった。


 アスファルトで舗装された道路の上に、綺麗なすり鉢状のくぼみができている。


 まるで、目に見えない巨大な透明な球体が押し付けられているかのようだ。


 くぼみの上には、透明な球体とでも言おうか。空気が陽炎のようにゆらゆらと歪み、それが大小さまざまな球体となって浮いている。


 道路に落ちた黄色いイチョウの葉が、重力を無視するかのように、ゆっくりと空中を舞い踊っていた。


 佐藤は異常を前に首を傾げる。


(これはなんだろう……なんか日本からエジプトまで行って吸血鬼をマンガに、手で空間を削り取る超能力ってのがあったけど、それみたいだ。)


「わんっ!」


「どうしよっかなぁ……コタロウ、どう思う?」


「く~?」


 柴犬のコタロウは、ピンと尖った耳を張って、異常を見つめる。


 そして、ふんふんと鼻を鳴らしたかと思うと、どこか興味を失ったようにその場に箱座りし、ぷいっとそっぽを向いた。


「俺に任せるってか? ……いや、『俺には関係ない』って顔だな」


「わんっ!」


「調子のいいやつだなぁ。自分だけ安全圏かよ」


(さて……電気のやつにはパチンコ玉が反応した。……こっちはどうだ?)


 佐藤は緊張で唾を飲み込むと、パチンコ玉を指先で弾き、その歪んだ空間へ向けて転がした。


 金属球が、円形の窪みの境界線を踏み越えた――その瞬間。


『――ガチィンッ!!』


 凄まじい衝撃音が路地に響き渡った。


 転がしたパチンコ玉は、一瞬でコインのように平たく潰れていた。

 目に見えないハンマーか何かで押し潰されたかのようだ。


「うおっ……!?」


 びっくりした佐藤は、思わず半歩後ずさった。

 横にいたコタロウも『ウゥッ』と低い声を上げて身構える。


「怖っ……うっかり入ったら、つま先がお煎餅(せんべい)みたいになってたぞ」


 冷や汗が背中を伝う。


「この異常に名前をつけるなら……さしずめスタンプってところか」


 異常を「スタンプ」と名付けた佐藤は、チノパンのポケットに手を突っ込んだ。

 ポケットの中には、パチンコ屋で回収した金属球が数十個入っている。


(念のため拾ってきてよかったな。こいつを使えば、異常の位置や効果を確かめられる。試しに入るなんてことしてたら、命がいくつあっても足りないぞ)


「わんっ!」


「ん、どうした? ……あれのことかか?」


「わう!」


 コタロウが何かに気づいた。続いて、先ほどパチンコ玉を潰した不可視の球体の向かい、歪んだ空間の「中心」に、佐藤の目が留まった。


 無数の殺人シャボン玉の中心で、何か小さな物体が、ぼんやりとした青白い光を放ちながら浮遊している。


 ガラス玉のような、あるいは熱帯魚の卵のような、不気味で美しい未知の結晶。


 佐藤の手が、パーカーのポケットの中の結晶に触れる。


 冷たくも、握っていると心がどこか落ち着く――いや、頭がおかしくなりそうなこの状況で、これは正気を保たせてくれている唯一の「お守り」だ。


(よくよく考えたら、この状況で正気を保ってられるのはどうかしてる。俺がマトモなのは……「これ」のおかげか?)


 ふと、佐藤の脳裏に昨日の惨状が思い出される。


(異常な状況だけじゃない。町の人を殺し合わせた怪物……あいつから逃げた時、キーンって耳鳴りがしたけど、これを握った瞬間収まった。もし、あそこにあるのが、これと同等かそれ以上の『何か』なら……)


 それは単なる好奇心ではない。

 生き残るための「手札」を増やすチャンス。


「……危険だけど、拾ってみる価値はあるか」


「わん!」


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