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6 兄と弟

 翌朝。

 目を覚ますと既に直也の姿は消えていた。

 敷布団代わりの毛布はきれいにたたまれている。昨日の今日で、もう出発したのだろうか。焦って周囲を見渡してみると、自転車は消えていたが、リュックサックはそのまま残されている。どうやら、まだ戻ってくるつもりはあるらしい。

 よく見れば、たたまれた毛布の上にメモ用紙が一枚、載せられていた。

『ちょっと出かけます。帰りは五時過ぎになると思います。遅くなるかもしれないから、晩御飯は先に食べてて。直也』

 それを読んで、ほっとしたのか、むっとしたのか、自分でもよく分からなかった。鬼海はメモを握りつぶしてゴミ箱に捨てた。

 買ってきてもらった服に着替えて、いつものようにシリアルで朝食を取る。片づけを済ませてから、読みかけにしていた文庫本を取り出して、ベッドに腰をかける。

 静かだ。

 しおりを挟んでいるページを開いてみたものの、目が滑ってしまい内容が頭に入ってこない。一人になることを望んでいたはずなのに、直也の顔がちらついて離れない。いたらいたでうるさいくせに、いなければいないで沈黙がうるさい。

 本を閉じてベッドに背中を倒した。目をつむる。眉間にしわを寄せる。寝返りを打つ。溜息をつく。

 むくりと起き上がった。

 出かけよう、と思った。目的地は特にないが、ここでじっとしているよりはマシな気がした。これではまるで直也が帰ってくるのを待っているかのようではないか。

 昨日買ったがま口財布にお金が入っていることを確認して、鼻息も荒く部屋を出た。診断書の写しを持っていくのが癪なので、もちろんSuicaは持っていかない。

 駅までの道のりを歩きながら、鬼海はぼんやりと行き先を決めた。日本科学未来館に行ってプラネタリウムを見るのだ。あそこなら展示を見ることでも時間は潰せる。直也は鍵を持っていないはずなので、少なくとも六時までに戻ってくれば問題ないだろう。

 電車に揺られ、乗り換え、最後は無料巡回バスを利用して目的地に着いた。

 最初にプラネタリウムの整理券をとりに行ったのだが、午前中は貸切になっていたので、午後一番のプログラムを予約することにした。それまでロボットのパフォーマンスを見たり、昼食を取ったりすれば、充分時間も潰せるだろう。

 身の置き所のないような気持ちでふらふらと館内を見て回っていたのだが、思った以上に楽しむことが出来た。常設展示には体験コーナーが多く用意されており、それに夢中になっている間は直也のことも考えずに済んだ。

 考えずに済んだ、と気が付くのは、それ以外のときはいつも頭に浮かんでいるからだ。鬼海は軽く意地になって、体験できるものは片っ端から試していった。



 早めに昼食を取ったあとは、まっすぐプラネタリウムへと向かった。本物の夜空ではないが、星を見上げるのは久し振りだ。

 ところが、プラネタリウムが見たくてここまで来たはずだったのに、暗くなったら眠ってしまったようだ。明るさを取り戻したドームシアターの天井を眺めて、一瞬、ここはどこだろうと焦ってしまった。

 状況を把握して慌てて飛び起きる。慌てすぎたせいか靴がすっぽ抜けてしまった。係りの人は「急がなくても大丈夫だよ」と声を掛けてくれたが、両足の紐を縛りなおすと逃げるように退出した。そのままの足でトイレに駆け込み、用を済ませた後で、自動販売機の飲み物を買う──つもりだったのだが。

 肩掛け鞄の中に、財布がなかった。鍵はある。ハンカチもある。だが財布がどこにない。慌ててズボンのポケットを触ってみたが、携帯電話しか入っていない。プラネタリウムで落としてしまったのだろうか。

 急いで戻ってみたものの、客席は既に次の上映のために解放されてしまっていた。係りの人に事情を話して、座っていた席のあたりを探させてもらう。だが、財布はみつからなかった。その席を確保しているカップルにも尋ねてみたのだが、何もなかったと言われてしまった。もちろん二人が嘘をついているようにも見えない。

 プラネタリウムにないとなると、どこで落としたのか見当もつかなかった。昼食をとったときには確かにあったはずなのに。祈るような気持ちで一階にあるインフォメーションに駆け込んでみたけれど、やはり財布は届けられてはいなかった。後で見つかったときのために連絡先を伝えておいたが、何しろ現金しか入っていなかったのだ。期待するだけ無駄というものだろう。

 鬼海はとぼとぼと常設展示のフロアに戻った。

 無一文では家に帰ることもできないが、自分からは直也に連絡したくない。こちらとしては昨日の一件が尾を引いているし、そもそも財布をなくしただなんて言える訳がない。

 五時過ぎに帰ってくるのならば、部屋の鍵が開かない時点で電話がかかってくるだろう。幸い、閉館時間は五時ちょうどだ。それまでここで休んでいればいい時間になるだろう。

 隅にあるソファに陣取って、鬼海はふてくされたように目をつむった。子どもの身体は疲れやすいのか、妙にだるくて仕方がない。目を閉じたらすぐに深い呼吸に変わっていった。



 ──どこかで蛍の光が流れている。

 鬼海はハッと目を覚ました。反射的にポケットに触れて携帯電話の有無を確認する。ちゃんとあった。思わず息を吐き出してしまう。

 どうも少し寒いようだ。身震いしながら時間を確認すると、あと五分で閉館時間が迫っていた。

 携帯を握り締めたまま立ち上がる。ころりと靴が脱げてしまった。そういえば、さっきも同じようなことがあった。苦笑しながらもう一度ソファに座って靴を履きなおす。

 思わず首を傾げてしまった。今朝はちょうどよいサイズだったはずなのに、靴が大きい。紐をきつく結んでみても、歩くとかかとが浮かんでしまう。

 血の気の引く音が聞こえたような気がした。首周りや袖ぐりもぶかぶかだ。よく見れば、ますます腕が細く、手も小さくなってしまっている。

(まさか、退行が進んでいる──!?)

 鬼海はへなへなとソファに腰を下ろした。

 寝て、起きるたびに、鬼海の身体はどんどん子どもに戻ってしまっているようだ。今朝は何も感じなかったのに、どうして。一体何がいけないというのだろうか。

 直也がそばにいることがストレスの原因なのだと思っていたのに、実際は逆だったということなのだろうか。疑問がぐるぐると頭の中をかけめるぐる。考えが何もまとまらない。

 閉館時間が迫っているので、もうここでじっとしている訳にもいかない。

 直也からの連絡を待とうと思っていたけれど、そんな余裕はなくなってしまった。携帯電話を操作して、直也を呼び出す。

 出ない。

 じりじりしながらコール音を聞いていたのに、そのうち留守番電話サービスに切り替わってしまった。鬼海は絶望的な気分で終了ボタンに力を込める。

 溜息をついた。

 自業自得だ。──あんな態度を取っておいて、困ったときには助けてもらおうだなんてムシが良すぎる。

 鬼海はぼんやりとした足取りで出口に向かった。ガラス越しに見える外の景色は影が長い。油断すると視界が滲みそうになってしまう。

 どうしてこんなことになってしまったのだろう。何がいけなかったのだろう。自分では誰にも迷惑をかけないように頑張ってきたつもりだったけれど、まだ足りなかったということなのだろうか。

 ──きっとそうだ。

 大人になりきれない自分に、神様が罰を与えたのだ。

 鬼海は痛いほど唇を噛んだ。

 外に出た途端、むしっとした空気が肌にまとわりついてくる。

 ブザーの音に気が付いて視線を上げると、巡回バスが扉を閉ざしたところだった。呼び止めようか迷っているうちに、バスはさっさと遠ざかっていってしまう。

 これからどうしようか。

 バス停で立ち尽くしていると、ポケットの中で震動がおこった。携帯電話だ。待ち受け画面を見て心臓が跳ねる。

 直也からの着信だった。

「も……もしもし」

『あ、マコッちゃん? どうしたの、何か用でもあった?』

 直也の口調はいつも通りどこか楽しげだ。堪えていた涙が落ちそうになって、慌ててぐっと力を込める。

「実は、その。財布、落として。うちに帰れなくて。なんか退行も進んじまってて」

『うん? ちょっと待ってマコッちゃんいま外にいるってこと?』

 鬼海は故意に無視をした。

 直也の質問に答えるより先に、言っておかなければならない言葉がある。

「昨日はごめん。──だから、助けに来て」

 一瞬、沈黙が降りた。

 慌てて取りつくろおうとしたけれど、直也が口を開く方が少しだけ早かった。

『マコッちゃん今どこにいるの』

「えっと、科学未来館を出たとこなんだけど……」

『それってどこ』

「お台場──湾岸署のすぐそば」

『分かった。すぐに行くから、ちょっと待ってて』

 通話が切れた。

 携帯電話を握り締めて、何だか逃げ出したいような気持ちになる。すぐ来るっていつだよ。お前の方こそいまどこにいるんだ。気持ちとは裏腹に、足は一歩も動かない。目はきょろきょろと辺りを窺がってしまう。

 五分と経たないうちに、信号の向こうから物凄い勢いで走ってくる自転車の姿が見えた。

「嘘だろ……」

 向こうも気が付いたらしい。必死の形相でラストスパートがかけられる。

 自転車はバスレーンに進入して、カーブを切るように急停止した。ひらりと自転車から足を下ろすと、溜息をつくように地面にしゃがみこむ。

「──うあー。やべー。超きつかったー……」

 直也だった。

 ヘルメットを外してうつむくと、額からばたばたと汗が滴り落ちる。舗装された地面に水玉模様が浮かび上がって消えていく。さすがに疲れたのか、かなり息が上がっているようだ。

「お待たせマコッちゃん。良かったよー、バイト先がここの近くで……」

 髪をかきあげながら、直也は照れたような困ったような笑みをこちらに向けた。

 そんな顔を見せられてしまったら、鬼海はもう何も言えなくなってしまった。

 だから黙って首にしがみついた。

「わ。オレ汗くさいでしょ。汚れちゃうよ」

 直也は驚いたように尻餅をついた。鬼海はますます強くしがみついて首を振る。

 今はまだ、顔を上げる訳にはいかなかった。

「……来てくれてありがとう」

 鼻をすすり上げながら言うと、ふ、と直也の身体から力が抜けた。背中に、ぎこちなく大きな手が添えられる。

「なに言ってんだよ。こっちこそ、思い出してくれて嬉しかったよ」

 ぽんぽんと優しく叩かれて、鬼海は肩に顔をこすり付けるように首を振った。

 お陰で、しばらくは顔を上げることも出来なかった。


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