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5 意外な生活能力

 診断書は直也に頼んで職場に持っていってもらった。さすがにこの姿では、職場に顔を出しづらい。

 最寄り駅につく頃には、夕暮れ時になってしまっていた。部屋に戻る途中でコンビニに寄って、現金を引き出す。その金で弁当を買って帰ろうと思ったら、直也がやんわりと口を開いた。

「あのさあ、弁当は買わなくてもいいよ」

「晩飯はどうするつもりなんだよ。うちに帰っても何もないぞ」

「材料は買ってあるから大丈夫だよ」

「おかずは出来ても米がないだろ。うちには炊飯ジャーだってないんだからな」

「大丈夫、米もあるよ。すぐに炊けるよ」

「は?」

「だってオレ飯盒持ってきてるもん」

 直也は嬉しそうに歯を見せて笑った。飯盒。野外学習のときに使い方を習ったような気もするが、ガスコンロでも米は炊けるものなのだろうか。

「オレが作るからさ、一緒に食べよう」

「ああ、うん……」

 かごに入れた弁当を棚に返して、肩掛け鞄にもなるナイロンポーチと、がま口の財布を購入した。会計時にいちいち直也から鞄を返してもらわなければならないのが面倒だったのだ。これなら子どもに戻った自分が身に着けていてもさほど違和感はないだろう。

「でもさ、それって元に戻ったら使わないんでしょう? 着るものなんかは仕方ないかもしれないけど、財布や鞄まで買うのはもったいなくない?」

 直也は無駄な出費だと批判的だったが、鬼海はそれでも譲らなかった。

 目立ちたくない。弱みを見せたくない。

 そういう気持ちは、多分、直也には言ってもわからない。

 レジでタグを外してもらって、さっそく肩から提げてみると、直也は一転、似合う似合うと誉めそやした。



 直也は飯盒だけでなく、フライパンも持ってきていた。巨大なリュックの中身を確認すると、米と水とオイル式のコンロ、寝袋、一人用のテントまでしまいこまれていた。寝袋が相当くさかったので、直也が料理を作っている間に昨日の汚れ物と一緒に洗ってしまうことにした。

 とはいうものの、脱水が終わるまでは特にすることもない。流し台の前に立つ直也の背中をぼんやり見ながら、鬼海はベッドに背中を預けて休憩してしまうことにする。気を張っていたから何とか持ってはいるけれど、子どもの体力は消耗が激しい。

 医者は、ストレスが発症の原因だと言った。仕事のせいだと決めかかっていたが、他に心当たりがない訳ではなかった。

 例えば、目の前の人物のことだ。

 良く言えばおおらかで天真爛漫、悪く言えば鈍感で頭に花が咲いている。思ったことははっきり言って、根に持たない──自分とは正反対の素直な弟。掃除は全然出来ないくせに、料理が出来るなんて知らなかった。得手不得手を補い合えてお互い幸せであるはずなのに、自分の出来ないことを直也が出来ることが何だか無性に腹立たしい。

 電子音のブザーが鳴って我に返った。

 どうやら洗濯機が止まったようだ。鬼海は眠い目をこすりながらも立ち上がった。いつの間にか、辺りには肉の焼ける美味しそうな匂いが漂ってきている。

 小さな身体では洗濯槽の中から取り出すのも一苦労だ。危ないのは分かっているが、折りたたみ式テーブルを踏み台にして何とか全て取り出した。一つ一つしわを伸ばしてハンガーを取り付けていく。いつもなら鴨居に引っ掛けながら作業していくのだが、届かないのでテーブルに仮置きするしかない。

「お待たせ! 出来たよー!」

 満面の笑みを浮かべて直也が振り返った。両手にはハンバーグを乗せた皿がある。ところが、テーブルの上は洗濯物が占領していて何も置けない。

「ごめんね、昨日も洗ってもらっちゃったのに。──これ、外に持ってけばいいの?」

 慌てて片付けようとしたのだが、直也は流しの横に皿を戻すとすぐさま洗濯物をひっかけに行った。物干しに手が届かないので助かったが、せめて一言、「頼む」とか「よろしく」とか言えたら良かったのに。

「味噌汁もあっためなおしたからさ。食べよう食べよう」

 戻ってきた直也はいそいそと皿を並べはじめた。キャベツの千切りにトマトときゅうり、ハンバーグは一人につき二枚。味噌汁にはネギまで散らしてある。炊き立ての白米は多少焦げ目がついていたが、それはそれでうまそうだ。

「いっただっきまーっす!」

「……いただきます」

 直也がじっと見つめる中で、ハンバーグを一切れ食べてみた。じゅわっと肉の旨味が口の中に広がって、温かさが胃にしみるようだ。玉ねぎのみじん切りが思ったよりも大きかったが、ちょうどいいアクセントになっている。レストランやコンビニのハンバーグでは玉ねぎの存在など意識したこともない。

「──そういえば昨日の晩飯もハンバーグだったな……」

 思わず呟くと、直哉はぽろりと箸を落とした。

「ええっ!? そういうことは早く言ってよ!」

「いいよ別に。これ、うまいし」

「……ならいいけどさあ……」

 直也は複雑な表情を浮かべて、自分の作った料理を口に運んでいる。鬼海は黙って白飯を口の中にかきこんだ。一口食べたら、空腹感に火がついてしまったようだった。

「ねえねえマコッちゃん」

「ああ?」

 顔を上げると、至近距離に直也の顔があって驚いた。直也はテーブルの上に覆いかぶさるようにして、にっこりと笑みを浮かべている。

「明日はどこかに出かけようか。せっかく休みなんだしさ、水族館とか、遊園地とか……気になるところがあったら行ってみようよ」

「何で」

 鬼海は警戒しながら身体を引かせた。味噌汁をすすって、息を吐き出す。

「その──病院で、こんな本もらって読んだんだけどさ」

 直也は見覚えのある小冊子を取り出して、鬼海に渡した。「突然こどもに戻ってしまったあなたへ」だ。病院内でも一応読んだが、もう一度ぺらぺらとページをめくってみる。分かりやすくするための工夫なのだろうが、大きな文字とかわいらしいイラストが子ども向けの絵本を連想させる。正直に言って、不愉快だった。

 直也は神妙な顔をして姿勢を正した。

「ねえマコッちゃん。病気を治すには、ゆっくり休んで、楽しいことをやってみようって書いてあったよ」

「そうだな。書いてあるからオレにも分かるよ」

「茶化さないでちゃんと聞いてよ。オレはマコッちゃんの力になりたいだけなんだよ」

 楽しいことをしようなんて言われても、どうしたらいいのかよく分からない。身体が小さいせいか疲れやすいし、精神的な余裕もない。ゆっくり休んだ方がいいと言うのなら、そっとしておいてくれた方がありがたいのだが。

(……どうしようか)

 直也が来た次の日に、鬼海は子どもに戻ってしまった。その意味をじっくり考えていけば、これからどうしたらいいのかなんて考えるまでもないはずだ。

 鬼海は茶碗の上に箸を置いた。

「なんていうかさ……これに書いてあることって、オレの聞いた話とちょっと違うんだよな」

「どう違うの?」

 小冊子に書いてあることを羅列するとこうだ。外に出て遊べ、早寝早起きをしろ、大きな声を出せ、動物と触れ合え、森林浴をしろ、星を見上げろ、家族や大切な人を抱きしめろ。好きなことに没頭して、全てを忘れるような時間を過ごせ。──子ども心が満足すれば、自然と身体も大人に戻るから、と。

 鬼海は自嘲気味に肩をすくめた。まるで夏休みの宿題だ。強制されるとやる気を失うところまで、よく似ている。

「医者はストレスが原因だって。で、ストレスの元からは距離を置くのが一番だって話らしい」

「うん」

 直也は信じきった目をしてこちらを見ている。

 鬼海は息を吐き出した。

「だから、しばらく一人になりたいんだ。──オレの言っている意味は分かるな?」

「……うん。あ、え?」

 直也は混乱した頭を解きほぐすように髪を掻き混ぜている。鬼海は息を殺して、じっと待った。直也は察しは悪いが馬鹿ではない。ここまで含みを持たせてやれば、自分で気が付いてくれるはずだ。

 しばらくして、はた、と手が下ろされた。

 ゆっくりと顔を上げて、直也は傷付いたような目をこちらに向ける。

「──つまり、オレがここにいるのも、迷惑、ってこと?」

「別にそういう訳じゃないんだけれども……」

 ストレートに聞かれると、ついつい曖昧な答えを返してしまう。悪い癖だ。

 黙っていると、今度は直也が溜息をついた。

「分かった、帰るよ。──けど、今すぐ帰れって意味じゃないよね?」

「ああ。もう遅いし、さすがにそこまでは」

「そっか。……良かった」

 直也はほっとしたような笑顔を見せた。

 胸が痛い。突き放したのは自分の方だというのに、どうしてこんな傷付いたような気持ちにならなければならないのだろう。

「ていうかさ、マコッちゃんも早く食べなよ。せっかく作ったのに冷めちゃうよ」

「……ああ、うん」

 直也は気分を変えるように、もりもりと食事を再開しはじめた。鬼海はぎこちなく頷いて箸を手に取る。

 その後も直也は普段と変わらず過ごしていたが、鬼海は弟の顔をまっすぐに見ることが出来なかった。


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