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4 診察と治療方針

「こちらは通勤用の定期券としてご利用いただいているものですが、キカイマコト様、ご本人でしょうか?」

「はい、そうですが……」

 道中では、通勤用のSuicaを使ったせいで駅員に呼び止められてしまった。口調は丁寧だが、目が笑っていない。まるでこちらが悪いことでもしているかのようだ。

「診断書はお持ちですか?」

「いえ、今から受診するところなんで」

 むっとして言い返すと、駅員は無愛想に改札脇の駅員室を示した。

「では、あちらで手続きをお願いします。診断書は写しで結構ですので、今後は都度、提出してください」

 こんなときこそ間に入ってくれるかと思ったのに、直也はぼけっと見ているだけだ。子どもの姿になってしまったというだけで、こんな理不尽な目に遭わなければならないなんて。鬼海はじりじりするような気持ちで目的地へ急いだ。早く治療してもらって、早く元の姿に戻してもらいたかった。

 クリニックは鬼海の勤める銀行から歩いて十分の距離だった。どうやら雑居ビルの五階にあるらしい。エレベータを降りるとすぐに病院特有の消毒液のような匂いがした。ホールから既にこんな匂いがするのかと辟易してしまう。

 おとなしくしていろと言っておいたせいか、それとも雰囲気に飲まれているのか、直也は神妙な顔をして鬼海と歩調を合わせていた。細く長い廊下を進んでいくと、ようやくクリニックにたどりつく。半透明のガラスで出来た自動扉には確かに心療内科とある。原因不明の奇病だと言われているから、総合病院か、でなければ単純に内科に行くものだとばかり思っていたので、受診する場所を指定されたのは意外だった。



 ようやくたどりついたものの、診察までの時間が長かった。問診や尿検査などをして、待合室のテレビをぼんやりと眺める。あまりにも時間がかかりすぎて、名前を呼ばれても気が付かないような有様だ。直也に肘で突かれて、弾かれるように立ち上がった。

「はじめまして。まずは聴診器当てます。冷たくしてごめんなさいね」

 診察室に入ると、まずは医者の目の前の椅子に座らされた。長い髪をひとつにまとめた化粧気のない女性だ。見たところ三十歳は過ぎているのだろうが、医者としてはまだ若いような気がした。

 聴診器を胸や腹、背中に当てた後、女医は寝台に鬼海を横たわらせて下腹部を押した。痛いところはありませんかと聞かれたが、力を込められたところのほとんどが痛くて思わず歯を食いしばってしまった。

 一足先にデスクに戻った女医は、カルテに何かを書きつけている。Tシャツの裾を直しながら、鬼海は出来るだけ低く聞こえるように顎を引いて口を開いた。

「それで先生、オレの病気っていうのは……」

「突発性身体退行障害ですね。ストレスからくる免疫低下、それにともなう発症とみて間違いないでしょう」

 女医はこともなげにそう言った。

「──ストレスって……。この病気って、原因不明なんじゃなかったんですか!?」

「そうですよ、まだ全てを解明できた訳ではありませんからね。ただ、ストレスを──特に仕事に関わるストレスを抱えている人が多く発症されると言われています」

「オレは別に不満なんてありませんよ!」

「心より先に身体が悲鳴を上げたっていうことなんでしょうかねえ? ストレス自体が引き金ではないようですが、前提条件としては間違いないみたいですよ。最近、仕事が忙しかったとか、職場での人間関係に問題があるとか、心当たりはありませんか?」

 そう言われてみれば、思い当たる節がないわけではない。だが、仕事が忙しいのはいつものことだし、職場の人間関係に問題がない人なんて果たしてどれほどいるのだろうか。ストレスが原因で発症するのなら、誰にだって可能性はあるはずだ。

(どうしてオレがこんな目にあわなければならないんだ?)

 ストレスという言葉で全てを片付けられてしまったような気がして、納得できない。

「ともあれ、発症してしまったということは、そういうことなんです。そこのところは認めてあげてください」

 鬼海はむっとしながら拳を握った。

「治療には二つ、方法があります。一つはストレスの原因から遠ざけること。もう一つはストレスの原因となる何かを克服すること。前者であれば物理的に対処が可能ですから、しばらくお仕事は休んでおいてくださいね」

「そんな! だって、休めないですよ。これから忙しい時期になるんです。上司も同じ病気にかかっているから、絶対に人手も足りないはずです。──先生、何とかならないんですか!?」

 思わず声を荒げると、女医は鬼海の肩に手を置いて、言い聞かせるように視線を合わせた。

「いいですか、仕事のことは忘れてください。同じ病気で亡くなった方がいらっしゃるのをご存じありませんか? その方は自営業の方だったそうなんですが、子どもに戻ったくらいで休めないと仕事を続けて、そんなことになってしまったそうですよ」

「───」

「ですから、きちんと休んで、きちんと病気を治しましょう。せっかく子どもの姿に戻ったんですから、子どもの頃に楽しかったことをやってみるのも一つの方法ですよ」

 さすがに鬼海も死にたくはない。うなだれると、女医は肩から手を離してくれた。椅子をくるりと反転させ、デスクに向かってボールペンを走らせている。距離があるので、何を書いているのかまではよく分からない。

「お腹の具合が良くないみたいですから整腸剤出しておきますね。一応、一週間後に来院という形にしておきましょう。不安があるようでしたらまたいつでもいらしてください」

 つまりは、話はこれで終わりということなのだろう。医者にかかったからといって何が変わるという訳でもなさそうだ。軽い失望を覚えながら、鬼海は椅子から飛び降りた。

「どうもありがとうございました」

 お辞儀をすると、女医は思い出したようにA5サイズの小冊子を差し出した。タイトルには「突然こどもに戻ってしまったあなたへ」とある。どうやら突発性身体退行障害にかかった患者への指針が記されているらしい。

「この冊子に載っていることが全ての人に当てはまるわけではありませんが、念のために読んでおいてください。あと、治るときは大抵が寝ている間に元のサイズに戻りますから、パジャマだけは以前使っていたものを着ておいたほうがいいですよ。でないと窮屈なことになってしまいますからね」

「はあ……」

 受け取ると、女医はにっこりと微笑んで手のひらで出入り口を指し示した。鬼海は手の中の冊子と女医とを見比べ、唇を結んで背中を向ける。

 時間にしたらおよそ十分だ。こんな短時間で何が分かるというのだろう。ちゃんとした治療もなく、対処法といえばこんな冊子一つだけで。

 結局のところ、ここには診断書をもらいに来ただけだったらしい。本当に病気を治したければ、自分自身で何とかしなければならないようだ。

「──それでは、どうぞお大事にね」

 感情を殺して扉を開ける鬼海の背中に、どこか明るく女医の声が投げかけられた。


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