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第4話 もう、逃れられない

 撮影がある日の朝は早い。4時に起きてストレッチで浮腫み取りをしたら、あかねのお弁当と朝食を作り、自分は少量のヨーグルトとフルーツを食べる。お腹が出てしまうと撮影に響くから。メイクアップなどの時間を逆算すると、6時ごろには集合する必要がある。


 そんな生活を繰り返していたら、私は早起きに慣れっ子になっていた。


 今日は恵比寿駅のスタジオで撮影の予定だ。集合時間に遅れないよう速足で歩いていると……最寄り駅まであと2分くらいの地点で、聞き覚えのある声が聞こえた。


「すいませぇーん! とおるさん、ちょっとだけ伝えたいことが!」


 恐る恐る振り返ると、大学のキャンパス内で話しかけてきた、あの怪しげな和服の男がいるではないか。まさか自宅の最寄り駅にまで現れるなんて……。 これって付きまといだよね? どうしよう、早朝すぎて周りに人が少ない!!


「あー! すぐ居なくなるから怖がらないで!」


 怖がらないでと言われて何とかなるものじゃない。逃げなきゃいけないのに、恐怖で声が出ない、脚が上手く動かない。どうしたらいいの……?!


とおるさんは霊を引き寄せる体質をしていまして……簡単に言うと、今ものすごい量の霊が取り憑いているんですよぉ」


「はい……?」


 やっとのことで声を絞り出す。喉がきゅっと締まり、裏返った変な発声。心臓が頭にあるみたいに脈打っている。


 この人は何を言っているの? 霊……? 引き寄せ……?


「このままだと、大規模な霊災害が起きるかもしれません!」


 意味の分からない言葉を連投され、どんどん不信感は高まる。この人、胡散臭いどころじゃない。


 彼の話を聞いている間にも、手のひらを何度かギュッとして、身体を動かすための準備を続ける。たぶん……行ける。まだパニック状態だけど、逃げることはできるかもしれない。


「これ以上付きまとったら、通報します」


 そう言い、背中を向けて去ろうとした私の肩に、彼のゴツゴツした手が置かれた。


「きゃっ!!」

「ごめんっ! 何もしないから、これだけ受け取って貰えないか??」


 彼の手には何の変哲もない〝お守り〟があった。それを私の手のひらに乗せ、ぎゅっとつかませる。


「嘘だと思ってくれていい。試しに一度、これを身に着けて撮影してみてくれ」


 知らない人から物を受け取るのが、どれだけ危険なことか理解しているつもりだ。中に盗聴器や盗撮用のカメラ、GPSが仕掛けられているケースが非常に多い。私の最寄り駅を突き止めたレベルのストーカーならなおさら危険……。


 しかし、彼の瞳は真剣そのものに見えた。


()()()()()()ね。そのあとは……捨てるから。そういう決まりなの」


 そう言って私は、失った時間を取り返すように駅まで走った。途中振り返ったが、彼は車に乗り込んでそそくさと去って行く。本当にこのお守りを渡したかっただけ? このお守りが怪しく思えて仕方ない。



 ──そして、モデル撮影の時間が訪れる。


 今日は契約先のブランドの新作コレクションの撮影。厚手ジャケットのポケットにお守りを入れると、それを見たカメラマンさんが首をかしげる。


とおるちゃん、そのお守りはなんだい?」

「あっ……えと……その……」


 周囲の人がさりげなく聞き耳を立て、私に注目しているのが分かる。どうしよう、本当はこんなもの持ち込んじゃダメなのに……。


「〝願掛け〟みたいな? 今回のコレクション、すごく可愛いから売れて欲しいんです!!」


 その場にいる全員が私の方を見た。勢いで誤魔化してしまったけど、今のは思い切り変な子の発言だ。私の築き上げてきたモデル像に合わなさすぎる……。


「んふふっ!」


 もう一人のモデル──咲月さつきさんが笑い始めた。


とおるちゃんにも、そういう一面があるのね!」


 恥ずかしくて顔が真っ赤になる。笑われてるってことは、私が空気を読めていないっていうことで……。またオカルト狂いのかまってちゃんだと思われるかもしれなくて……。


 私の様子を見ていたカメラマンさんが、優しく声をかけてくれた。


「あの、とおるちゃん? 恥ずかしがる必要はないんだよ?」

「え……?」

とおるちゃんが撮影に一生懸命なのは、ここにいる全員が知っていること。だから願掛けまでしてくれているなんて聞いて、いい意味で驚いたんだ」

「……そう……ですか?」

「うん! けど今日は服が主役の撮影だから、形が邪魔になるのだけは避けたいね」

「は……はい!」


 会話を見ていた咲月さつきさんも口を開く。


「今度その願掛けした神社教えてよ? とおるちゃんみたいに売れるかもしれないじゃん!」

「……ありがとうございます」


 撮影メンバーが優しいおかげで、なんとか乗り越えられた……のかな? 咲月さつきさんが私を笑い者にしている、と勘違いしかけた自分が嫌になる。こんなに明るくて、場の雰囲気を良くしてくれる女性なのに。


 そのまま撮影へと入る。季節を先取りしているので、秋真っただ中というのにもう春色のレザージャケットを着用している。購入者の目に留まる時期を考えて、軽やかに、涼し気に……。


 カシャッ!!カシャッカシャッ!!


 だんだんとゾーンに入っていき、集中直が増す。呼吸一つが、脈一つが、私の表現の一部へと溶け込んでいく。この洋服の魅力を最大限活かせるように。日常に取り入れたいと思えるように。頭をフル回転させてポージングや表情に反映させる。


「いいねいいねぇ~! とおるちゃん今日、調子抜群じゃない?」

「いつも以上に磨きがかかってます!!」


 カメラマンさんが、いつものように私の自信を支えてくれる。新人のスタッフさんが、眩しい視線を向けてくれる。


「次はワンピースの撮影に移りましょう!」

「はい!!」


 手早く春らしい白色のワンピースへと着替える。サラリとした生地が心地いい。この季節にしては寒いけど、温度感を演技するのも私の仕事だ。


 カシャッ!!カシャッ!!


 ──無心でカメラに注目していると、視界の端で異変が起きるのを察知した。


 バリンッ!!!と固いものが砕け散る音がして、部屋が真っ暗になる。


「ぁぁぁぁああああああっっっ!!!」

「なにが起きたんだ?!」

「どうした!!」


 女性スタッフの叫び声が止まない。この部屋で何が起きているのだろう? 視界が真っ暗で分からない。怖い、怖い、怖い。

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