第11話 悪霊はすぐ目の前に
「事故物件に入るって……ドアでもこじ開けるんですか?」
「こじ開ける必要はないぞ? 近くにオーナーさんが住んでいるらしいから、頼もうと思ってな」
「あっ……そうだったんですね」
ヒロに対する「胡散臭い除霊師」という先入観から、行き過ぎた想像をしてしまった。なんだか申し訳ない。
「骨董品店の店主が話していたぞ?」
「私、すっかり聞き逃していました……」
「ははっ! おしゃべりな爺さんだったからねぇ」
そう笑いながら、ヒロは道路の向かい側にある一軒家を指差した。こげ茶色をした焼杉仕上げの壁、銀黒の重厚感ある瓦、細い竹垣に囲まれている高級感のある家屋だ。
あれがオーナーさんの住居なのだろうか。
「わぁ……立派なお家ですね」
「ささ、行きますよっと」
「あ、はい……!」
ヒロがピンポーン……とチャイムを鳴らす。すると、ピッとモニターの反応する音がした。
「はぁーい」
「初めましてぇ! わたくし安倍ヒロと申します! 目の前の河崎ハイムの件で、オーナー様に確認したいのですがぁ!」
「はいはい、お待ちくださいね」
少しすると家屋から50代くらいの男性が出て来た。良かった。にこやかな話しやすい雰囲気の人だ。
「私が河崎ハイムオーナーの河崎です。なにかありましたか?」
「最近、物件で騒音トラブルは起きていませんか? とくに夜中の足音とか……」
ヒロの発言を聞き、河崎さんの顔が青ざめる。その目には恐怖の色が浮かんでいた。
「どうしてそれを?!」
「あるんですね。騒音が始まったのは、大体三ヵ月前とか?」
「……えぇ。そこら中の部屋から足音の苦情が入って、退去予定も出てきて困っています」
「やはりそうですか」
「住人から話を聞いたのですか?」
「いえ、元住人の被害者から相談を受けまして」
「元住人? ちょっと意味が分からないのですが……」
ヒロはこっくりと頷いて、後ろを指差した。
「河崎ハイムの奥、101号室で亡くなられた女性についてです。彼女の悪霊が夜な夜な歩き回っていましてね」
死人が生きた人間に危害を加えるなんて、普通は信じられないはず。河崎さんはあんぐりと口を開けたままだ。
彼もまた今までの人間のように怒り狂うのか。はたまた冷たく馬鹿にするのか……。私は反応が怖くて瞬きできずにいた。
「そうですか……。佐藤さんの足音だったのですね」
予想に反して、河崎さんはすんなり受け入れてくれた。どうしてだろう? 怯えているように見えるのに。
「薄々感じてはいたんですよ。すぐに見つけてあげられなかったのが心残りで……」
「それはとても残念でしたね」
「えぇ……」
足元をじっと眺める河崎さんに、ヒロは名刺を差し出す。
「ご紹介が遅れました。僕、霊的事件の解決を生業にしております」
「えと……除霊師?」
「はい、陰陽師の末裔なんです」
「はぁ……」
「向かいのヨガ教室に通っている人にも、同様の被害が広がっていまして」
「なんだって?!」
河崎さんは驚いて頭を抱える。足音の苦情に相当悩まされていたのだろう。それが広がっているだなんて、パニックになるのも当然だ。
「河崎さん、どうか僕に除霊させてくれませんか?」
「除霊って……何をするんですか?」
「そうですねぇ。まずはどこに原因があるのか調査します」
「調査というと?」
河崎さんの手は震えていた。私はその感覚をよく知っている。得体の知れない何かに怯える恐怖。それを直視した時のどうしようもない不安。これ以上彼の心を揺さぶるのは、危険じゃないか……?
「そこの事故物件に入らせてください。この件、僕が絶対に解決するので」
「……解決できるんですね?」
「はい! この道のプロですから、任せてください!」
ヒロの真剣な様子を見て、河崎さんは深くため息をついた。
「正直なところ、私は幽霊とかを信じるタイプではなかったのですが……。今回に限っては何をしても騒音が止まないし、佐藤さんの件もありますし、どんな方法でも試してみた方が良い気がしてきました」
「ということは……」
「101号室への立ち入りを許可します。河崎ハイムの住人が一日も早く元の生活に戻れるように、力を貸してください!」
「はい、もちろんです……!!」
ガチャガチャッ……。
私たちのお願いを聞いてくれた河崎さんは、例の女性──佐藤さんの亡くなった101号室の鍵を開けてくれていた。
しかし、河崎さんは部屋の中に入る直前で、なぜか立ち止まってしまう。
「ああ、ごめんね。少し思い出しちゃって……」
「無理しない方がいい。僕たちだけで入っても構わないですか?」
「気を使ってくれてありがとうね」
そうか、河崎さんは先ほど「すぐに見つけてあげられなかった」と言っていた。亡くなった現場を見たのかもしれない。
発見時は酷く腐敗して、虫が這いずり回っていたらしい。普通はトラウマになってしまうだろう。ましてや、まだ三ヵ月しか経っていないのだから。
「透さん、僕と一緒に入ろう。何か異変を感じたらすぐ出てね?」
「……はい!」
河崎さんのためにも、ここの住人のためにも、そして三島さんのためにも。もう怖がっている余裕はない。
キィィィィ…………。
ヒロの後ろに続き、事故物件へと足を踏み入れる。中は真っ暗で様子が分からない。
「ブレーカーは入口と言ってたな。んっと……あったぞ!」
カチッとブレーカーをあげる音がした。私は試しに壁際のスイッチを押す。すると、清潔な室内が露わになった。
「あ、思っていたより綺麗……?」
「事故物件は内装を入れ替えるからねぇ。あえて住みたがる人もいるくらいだ」
「入れ替えるって、どうして?」
「ほら、床に染みたり、臭いが取れなかったり」
「なるほど……。心霊動画で見たような、荒れた場所を想像していました」
「実際見てみると、結構いい部屋だろ?」
「ですね……」
カチャッとドアノブに手をかけ、例の奥の部屋の扉を開く。外からスマホ越しに視た時、この部屋におぞましい霊がいた。ここから先は気を抜けない。何が待っているか分からない。
奥へと進むと……確かに中は新築のように美しかった。でも、綺麗さっぱり整いすぎて、私には怖かった。三ヵ月前に人が亡くなったなんて、微塵も感じさせない完璧さが、解釈不一致を生み出す。
「……なるほどね」
ヒロは佐藤さんが亡くなった窓際を見つめ、つぶやいた。彼女はあそこで座ったままの状態で腐敗していた。そして今もなお……。
「やぁ、いきなりお邪魔してすまんねぇ」
「……ヒロさん?」
「ちょいと話を聞きたくて来たんだ」
「……!」
「あの見事な彫刻の小物入れ、あなたのもので間違いないかな?」
彼が語り掛けている相手は、悪霊が宿った小物入れの持ち主──佐藤さん。霊の声が聞こえる彼は、今どんな世界を感じているのだろう。私は固唾をのんで見守っていたが……。
「あれ……?」
バチンッ!!! コロンッコロンッコロンッコロンッ!!
突然、腕の感覚が軽くなった気がした。
「いけない! 透さん逃げてっ!!」
「え?」
ヒロからもらった魔除けの数珠がはじけ飛び、散ってしまった。残る右手の数珠にもたくさんの亀裂が入っている。
マズい、今すぐここから離れないと! 霊を引き寄せる体質の私には危険だ……!
ドア目がけて走り出した瞬間、何かに左足首を捕まれた。
「きゃあっ!!」
バランスを崩した私は、そのまま転倒してしまう。地面に叩きつけられると同時に……。
──部屋の奥へズルズルと引きずり込まれた。




