第9話 恋心の芽生え
※この小説はフィクションです。
実在の薬や人物や団体などとは関係ありません。
嵐が過ぎ去った翌朝、薬舎の空はどこまでも澄み渡っていた。
湿った風が窓から入り込み、草木の香りをふわりと運んでくる。
ミオはいつもより早く目を覚ました。
まだ寝息を立てている和井先生を起こさないように、静かに台所へ向かう。
「今日は私が先に朝ごはんを作るんだ。」
そう小さく呟きながら、パンをトースターに入れ、畑のトマトと卵でスープを作る。
湯気が立ちのぼる中で、なんとなく胸の奥が温かくなる。
やがて、寝室のドアが開いた。
白いシャツの袖をまくった和井先生が、あくびを噛み殺しながら出てくる。
「おはよう、ミオ。珍しいな、先に起きてるなんて。」
その言葉に、ミオは思わず手を止めた。
朝の光を受けた先生の笑顔が、いつもより柔らかく見える。
――胸がきゅっと締めつけられた。
「お、おはようございます。えっと、その……今日は、スープを作ってみました。」
「そうか。いい香りだな。」
先生は鍋の中をのぞきこみ、レンゲで一口すくう。
「うん、美味しい。やるじゃないか!」
褒められた瞬間、ミオの頬が一気に熱くなる。
いつも通りの優しい声なのに、どうしてこんなに胸が騒ぐのだろう。
(先生に褒められると、嬉しい。だけど――それだけじゃない)
朝食を終えると、2人は薬草の仕分けを始めた。
乾いた葉の香りが部屋に満ち、時間の流れがゆっくりとほどけていく。
ミオが包丁で根を切り分けていると、ふいに「痛っ」と小さく声を漏らした。
指先に赤い線がにじんでいる。
「ミオ、大丈夫か?」
すぐに和井先生が駆け寄り、布でミオの手を包んだ。
その手つきは驚くほど優しく、温かかった。
「少し切っただけです。へ、平気ですから……。」
そう言いながらも、心臓の鼓動が早くなる。
先生の指が自分の指に触れるたび、胸の奥がざわめいた。
――昨日、辛い時に差し伸べてくれた手と、同じだ。
あの時も、こうして温かかった。
「これでよし。あまり無理するなよ。」
先生がそう言って微笑むと、ミオはなぜか目を逸らした。
夜、ミオはベッドの上で目を閉じた。
部屋の中には雨上がりの匂いと、先生が入れてくれたハーブティーの香りが残っている。
(先生に触れられたとき、どうしてあんなに胸が苦しくなったんだろう)
(優しいだけなら、ずっと前からそうだったのに)
思い返すたび、胸の奥がそっと灯るように熱を持つ。
先生が笑うと、嬉しい。
先生が誰かを褒めたら、きっと少し寂しい。
ミオはゆっくりと息を吐き、目を開けた。
窓の外には、丸い月が浮かんでいる。
「……私、先生のことが、好きなのかもしれない。」
その言葉は、誰にも聞こえないほど小さく、夜の静けさに溶けていった。
翌朝、ミオはいつもより少しだけ緊張した声で言った。
「おはようございます、先生。」
「おはよう、ミオ。」
いつもと同じ笑顔。けれど、今はそれが少し眩しく感じる。
ミオは胸の奥で、そっと呟いた。
“この気持ちは、まだ秘密にしておこう。”
評価やブックマークで応援してくださると、
創作の励みになります!




