第8話 嵐来たる
※この小説はフィクションです。
実在の薬や人物や団体などとは関係ありません。
それから数ヶ月が過ぎ、ミオは立派な薬師として、
街の人たちにも認められるようになっていた。
傷薬だけでなく、ハーブティーや飲み薬まで作れるようになり、
街へ買い出しに行けば、誰かが声をかけてくれる。
お裾分けをもらうことも増え、ミオは初めて「自分の居場所」を感じていた。
――この日々が、ずっと続けばいい。
そう思いながら市場を歩いていた時だった。
「……あんた、ミオじゃないかい?」
不意に背後からかけられた声に、ミオの体がこわばる。
振り向くと、そこには孤児院を取り仕切っていた及川が立っていた。
その姿を見た瞬間、胸の奥から冷たい恐怖がせり上がる。
――暗い部屋。冷たい食事。
そして、金のために“嫁”に出されかけて孤児院を飛び出した日の記憶。
ミオは動けなくなった。
「どうして突然いなくなったんだい? おかげで貴族様に顔向けできなかったじゃないか。」
及川の声には怒りと打算が滲んでいた。
(やっぱり……この人はお金と自分のことしか考えてない。)
ミオの心が冷えていく。
「貴族から違約金を請求されてるんだよ。責任を取ってもらわないと困るねぇ。
さあ、今すぐ院に戻るんだ。」
及川はミオの腕を乱暴に掴み、引っ張った。
「やめてください! 私はもう関係ありません!
お金のことだって、そっちが勝手に決めたことでしょう!」
ミオは震える声で反抗した。
その瞬間、頬に鋭い痛みが走る。
「口答えするんじゃないよ!」
及川の手が、ミオの顔を打っていた。
ミオの目に涙が滲むが、それでも怯まなかった。
「私は今、薬師として生きてるんです!
二度と、私に関わらないでください!」
「薬師? あんたが?」
及川は鼻で笑った。
「そうかい……薬舎の先生が、あんたを誘拐したってことか。」
その言葉に、ミオの心臓が強く跳ねた。
(ダメ……先生まで巻き込んじゃう。)
「違います! 私が自分の意思で弟子になったんです!」
「でも、警察がどう思うかねぇ?」
及川は意地悪く口角を上げる。
「孤児院の子を“無断で”連れ出した薬師がいたとしたら……。
面白いことになりそうじゃないか。」
ミオは言葉を失った。
悔しさと恐怖が入り混じり、涙が溢れそうになる。
その時――
「ミオ、帰りが遅いじゃないか。」
穏やかで、どこか安心できる声が聞こえた。
振り向くと、和井先生が立っていた。
「あなたが薬師の先生ね?」
及川は目を細める。
「孤児院の子を誘拐したって、街で噂になってるよ。警察沙汰になりたくなければ、今後ミオに関わらないことだね。」
和井先生の表情が、静かに鋭くなった。
「誘拐? それは違いますね。
むしろ、あなたが孤児院を隠れ蓑にして人身売買をしている方が問題では?」
及川の顔がこわばる。
「彼女は私の弟子です。彼女の意思で、ここにいる。」
和井先生は一歩前に出て、ミオを庇うように立った。
「街の人から話は聞いていました。
だから町長さんの協力を得て、孤児院のことを調べさせてもらっていたんです。」
「証拠でもあるっていうの?」
及川の声が震える。
「もちろんです。これまで“嫁入り”と称して金銭のやり取りをしていた証拠も、
被害者たちの証言も、すでに警察が押さえています。」
その言葉と同時に、背後から制服姿の警官が現れた。
「及川さんですね。孤児院の件でご同行願います。」
及川は顔を真っ青にして膝をつき、警官に連れられていった。
ミオはその場に立ち尽くし、そして力が抜けたように涙を流した。
「……和井先生、ごめんなさい。私のせいで……」
先生は優しく首を振り、ミオの頭を撫でた。
「大丈夫だ。ミオが気にすることじゃない。
君が弟子入りを決めたあの日から、オレはもう調べ始めていたんだ。
全部、終わったよ。」
ミオは驚いたように顔を上げた。
「……そんな前から……?」
「師として当然のことだろ?」
先生はそう言って、やわらかく微笑んだ。
彼はハンカチを取り出し、ミオの頬の涙をそっと拭った。
ミオは胸の奥が温かくなるのを感じ、先生の肩にそっと頭を預けた。
「さ、落ち着いたら帰ろう。今日の夕飯は、カレーにしようか。」
先生はミオの手を取り、穏やかな足取りで薬舎へと帰っていった。
外では、嵐が近づいていたが――
2人の歩く道には、確かな光が差していた。
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