第1話 眠れない夜と星の薬
※この小説はフィクションです。
実在の薬や人物や団体などとは関係ありません。
海の向こうで、ひとつの星が流れた。
風が啼くように鳴り、夜が海面を撫でていく。
金髪に碧い瞳の少女・ミオは、
薄い毛布を肩にかけ、崩れかけた孤児院の塀をそっと越えた。
明日は孤児院に勝手に決められた結婚の日。
夜が怖くて、苦しくて、眠ることができない。
――だったら、いっそこの世界の外へ出てしまいたい。
そんな思いに背を押され、彼女は暗い道を歩き出す。
誰にも見つからない夜道は、
まるで孤独そのものが形になったようだった。
胸の奥がきゅっと締めつけられ、息がうまくできない。
「どうして、こんなに苦しいんだろう……」
かすれた声を夜に零すと、
冷たい風が髪を揺らした。
そのとき――
坂の上に、小さな灯りが見えた。
星のように柔らかく、ふわりと瞬く光。
それは、古びた石造りの小屋の窓からこぼれていた。
扉の上の木製の看板には、風化した文字でこう刻まれている。
《天星薬舎》
恐る恐る扉を押すと、
カラン……と、小さな鈴が鳴った。
奥で何かが動く気配。
やがて現れたのは――
クセっ毛の黒髪に淡い金の光を帯びた、穏やかな瞳の男だった。
丸い眼鏡の奥のまなざしは、夜明け前の海のように静かで、
白衣のような長いコートの袖口から、
淡く輝く星の光が零れ落ちていた。
「……夜更けに珍しいお客さんだね。」
「ごめんなさい。眠れなくて……歩いていたら、光が見えて……」
「ここは薬舎だ。眠れないのなら、ちょうどいい。」
男は微笑み、手のひらの上で光を転がした。
瓶の中には、小さな星屑が淡く瞬いている。
「“星の薬”っていう。
心が苦しくて眠れない夜に、ひとしずく飲むといい。」
「……これ、本物の星ですか?」
「ああ。落ちてきた星のカケラを、オレが拾って瓶に詰めたんだ。」
その声は、風よりもやさしく、波よりも静かだった。
不思議と、ミオの胸のざわめきが少しずつほどけていく。
「あなたは……お医者さん?」
「いや。和井という。薬師だよ。」
その名を聞いた瞬間、
ミオの胸の奥が、ふっと温かくなった。
「ありがとう、和井先生。」
星の薬を両手で受け取ると、
瓶の中の星が、まるで嬉しそうに瞬いた。
和井先生は、そっと窓の外を見上げた。
夜空には、新しい星がひとつ、やさしく灯っていた。
その夜――
ミオは星の薬を口に含み、
久しぶりに、静かな眠りに落ちた。
夢の中で見たのは、
星の海を泳ぐ漆黒の竜。
その竜の瞳は、どこか――和井先生に似ていた。
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