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Breath~自分の愛が信じられない男と愛を理解できない男~  作者: 彩月野生
第二章〈異変〉

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2

 その少女は突然目の前に現れた。

 今にも消えてしまいそうな儚い笑顔。

 うすいピンクのゆるくウェーブした長い髪、大きな蒼い目。

 最初は声だけが聞こえていた。

 いつも目覚めた後で不確かな夢を覚えている事はなくて。

 部屋を見回すと彼が腕を引っ張り、またベッドの中へと引きずり込まれた。


 ――アシュは記憶を辿っていた。


 少しして窓の外に誰かが居るのを見つけた。

 決まって一人きりの時に少女の影を見る様になった。


〝いきましょう〟


 声が聞こえて、いつしか早朝に声に向かって歩いていた。

 そして漸くはっきりと少女と対面できたのだ。

 人通りの少ない細い道に小さな影が立っていて手招きをしている。

 足は吸い寄せられて向かう先は荒れた地。

 何も無い場所に招かれて困惑していると少女は語りかける。


「やっとお顔が見れた」

「君は?」

「あなたみたいな人を捜していたの。きっとびっくりするわ」


 ふいに手を空中に翳すとその場所には渦ができて――

 その先に広がっていたのは目にしてはならなかった世界。


 〝大げさね〟


 頭の中に聞こえて来た声にアシュは目を開く。

 大きなソファに寝転がっていたので上半身を起してその声へと身体を向けた。

 ふわふわと近づいて来るのは少女――テティー。

 今し方彼女の事を考えていたアシュは笑顔を見せる。


「だって知られてはならないって」

「時間の問題ね。修理は間に合いそうに無いもの。でも、必ず治してみせるわ」


 二人が居る部屋の天井は突き抜けそうなほど高く、円形に伸びており、中心にはアシュが座っている大きなソファと噴水がある。

 その周辺からはたくさんの声が響いていた。

 子供達や談笑する大人達の声。


 この<船>の<住人達>の声だ。

 まるで世界から切り離された様な美しい場所。

 楽しそうに時間を過ごしている住人達は皆、シンプルな服装に身を包んでいる。

 それはテティーも着ているシルクの生地で作られた衣服だ。 

 それは今、アシュが着用している服装とも同種である。

 向かい合っているとテティーよりも小さい子供達がアシュの元へとかけて来た。


「テティー様と何を話してたの?」

「ペネムの事だよ」

「アシュ、お茶にしましょう」


 穏やかな時間だった。

 その日を迎えるまでの束の間の時間。

 できるだけ穏やかに過ごして欲しいというテティーの願いは、アシュにとっても大きな意味がある。

 欲しかったのはこんな日々だった。

 

 物心ついた時から何時の間にか一人で暮らしていた。

 近所から食べ物を分け与えてくれた大人達の姿が消えて、もう終わりだと思った時、娼婦達に拾われた。

 優しい彼女達の為に何かしたいと秘密にしながら身体を売った。

 男女関係無くそれこそ年齢も気にせずに身体を重ねた。

 そんな行為の中でアシュに入れ込んだ男達の愛憎を垣間見る。

 独占欲と欲望。

 アシュは何故、彼等が自分に執着するのか理解できなかった。

 誰一人にも心は動かされず、逆に冷めた感情が沸き上がる。


 ――俺の気持ちを確かめようともしないでバカな連中。


 面白いので適当に〝愛してる〟と囁けば、ますます彼等はアシュに執着して金を注ぎ込む。

 その金で自分を助けてくれた娼婦達に恩返しをした。

 何人かはその生活から抜け出せた。だから、アシュは心底良かったと思えたのだ。

 彼等をバカにしながらも温もりから離れられず、快楽を得ているその時は心が安らいでいた。

 彼女達に優しくされている時間よりも。

 自分は壊れた人間なのだろう。だからこそ。

 

 まさかそんな自分が、恋をするなんて思わなかった。

けれどこの想いが恋や愛だと自覚できるだけマシなのだろう。

 自覚しても信じられないのが悔しい。

 爆発しそうな感情を見抜く、蒼い瞳から逃げる様に視線を琥珀の飲み物に向ける。

 なんとなく彼の瞳を思い出して笑った。


「また彼の事を考えてる」

「うんそうだね」

「忘れてとは言わないわ。でも、このペネムを愛してくれないとこの子は貴方を認めないのよ」

「そうだよね解ってるんだけど」


 今、彼は何処で何をしているのだろう。

 もう自分の事なんて忘れてしまったのだろうか。


「どうせなら最後に告白すればよかったのよ」

 と、少女は残酷な言葉を発する。

 アシュは無表情でコーヒーを啜って顔を振った。


「なんか口にすると幻になりそうで」

「そう」

「俺はライヤを愛してるつもりだけど、本当にそうなのかなって」


 テティーはアシュの様子に内心で溜息を吐く。

 今、この目の前に居る”贄”は、このペネムの事で頭をいっぱいにしなくてはならないのだ。

 それが難しいというなら、何か手はないか。

 酷く冷たい表情をしたテティーは"空のカップ"から手を放すとふわりと宙に浮いた。


「ねえアシュ」

「ん?」

「最後に良い思いをさせてあげるわ」


 自分の愛を信じられないこの男が、どうすれば変われるのか。

 良い考えがあるの。

 と、優しくて冷たい声が、白い空間に響いた。


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