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視界を埋め尽くす様に奥へと続いているテントの群れ達。
よくよく観察して見ればその質素な屋根の下には客を呼ぶ込む女や、男、子供の姿が在る。
すれ違うのも難しい細いテントの隙間道は、慣れない者にとっては辛い運動だった。
様々な人種が入り乱れる市場。たどたどしい仕草で金銭のやり取りをしている青年がいた。
パーカージャケットにカーゴパンツを着用している青年は、少しなまりのある英語で言葉を交わす。小柄な女から野菜と果物が入った紙袋を受け取り、そのテントから人をかきわけて離れて行く。
彼は、この市場の近くの町へとやって来たばかり。
どうにか安く野菜と果物が買えそうな、いつ無くなるか解らないその店を見つけては買い出しに来ていた。
馴染むには時間がかかりそうなこの町で果たして生きて行けるのかと不安な日々。
青年は肩より少し上で切られている焦げ茶色の髪を風に揺らされながら帰路に着く。
その黒い瞳は活気に溢れる人々を見つめている。
青年が細い路地を歩き漸く借りているアパートに辿り着く頃。同時刻に今まさに青年が歩いて来た道を走って来る若い男が――青年の背を押す。
「!?」
突然の衝動に青年は開けたばかりの玄関の入り口から中へと前のめりに倒れ込んでしまう。
瞬間的に入り込んだ侵入者はドアを閉め、この部屋の住人である青年の背後にしゃがみ込んで耳元で囁く。
(何もいうなよ)
そんな言葉に動揺しつつも青年は何をされるか解らない恐怖に頷くしかない。
男は口を閉じ息を潜める様に外の様子に気を集中させる。
が、特に何も起こらず。
部屋に咽せる声が響く。それに気付くと男が軽く背を摩って謝った。
「悪いな」
涙目で男を見上げた青年は黒い瞳を瞬かせる。
交わった視線に心臓が跳ねてそんな自分に驚く。
妙な顔をした青年に男は――琥珀色の瞳を真っ直ぐに向けたのだ。
くすんだ金髪はだらしなく肩付近で柔らかく跳ねており、黒のレザージャケットにダメージジーンズという洋装。狼を思わせる雰囲気を纏う。
歳は同じくらいもしくは年上だろうか。
押し黙っている黒目の男に野生的な空気の男が怪訝な表情に変わる。
「悪かったって。出てく」
「……え?」
だるそうにドアに手をかけるその背を反射的に掴んでしまった。
驚いて振り返られて慌てて手を放す。
何故、こんな事をしてしまったのか混乱する。
「あ! いや、その」
「?」
「べつに大丈夫、だし……」
その先の言葉は一体なんと言おうとしているのか。
自分でも解らずやはり混乱していると。
吹き出す声に我に返る。
どうやら笑われたようだ。
不機嫌ではなさそうで安心していると名前を聞かれた。
素直に答えると彼も教えてくれた。
「アシュ、か。俺はライヤだ」
「珍しい名前だね」
「そうか? お前こそちょっと変わってるよな」
そうして他愛ない会話が始まり、突然の侵入者は来客へと変わる。
決して座り心地は良く無いソファに腰を下ろし、今の出来事についてや表面的な素性など間を置きつつ会話が進む。
途中でアシュが飲み物を用意したり最終的には夕食の準備まで始めた。
まるで約束をしていた様な雰囲気にまでなって。