八、悲劇の反響、そして漆黒の螺旋
絡繰屋敷の地下深く、冷たい石壁に囲まれた空間で、螺子は、からくりたちが発する幾多の「声」の中に、明らかに異なる、禍々しい響きを聞き取っていた。
それは、彼の脳裏に直接響く、純粋な悪意と破壊衝動の「真っ黒な意思」――漆黒のネジが放つ、忌まわしい波動だった。
屋敷の調査が進むにつれ、その「声」はより強く、より鮮明に、螺子の精神を蝕んでいく。
それは、単なる機能不全を訴えるからくりの悲鳴とは違い、何らかの目的を持った、冷酷な「命令」の響きを帯びていた。
その「声」を聞くたびに、螺子の脳裏には、幼い頃の悪夢が鮮やかに蘇る。
家族が営んでいた、油と木の温かい匂いがする工房。
そこで父が精魂込めて作り上げた、螺子と妹にとって家族同然だったはずの自動人形。
その人形が、あの夜、突如として暴走したのだ。
螺子の父と母、そして幼い妹に襲いかかった人形は、普段の穏やかな姿からは想像もできないほど凶暴だった。
螺子は、その時、人形の内部から聞こえた「殺せ、殺せ」という、あの「真っ黒な意思」を、今、この屋敷の漆黒のネジからも聞いている。
それは、螺子の心臓を直接掴み、全身を凍てつかせるような感覚だった。
螺子は、八重が語った「先代様が秘められた研究のために使われていた場所」という茶室の奥、そして馨かおるが言及した「地下の誰も入ってはいけない部屋」に、漆黒のネジが集中していることを突き止めた。
茶室のからくりは、かつてそこで行われた何らかの「実験」の記憶を留めているかのようだった。
螺子が茶器を運ぶ自動人形の内部を調べると、そこに通常の何倍もの頑強さを持つ、漆黒のネジが隠されているのを発見した。
そのネジからは、螺子の家族を襲ったからくりと同じ種類の「真っ黒な意思」が、より濃密に渦巻いていた。
それは、家族の悲劇が、単なる偶然や故障ではなかったことを確信させるに足るものだった。
何者かが意図的に、この「禍つ釘」をからくりに仕込み、特定の目的のために利用したのだ。
さらに、馨が語った「地下の誰も入ってはいけない部屋」は、屋敷の最も古く、かつ最も強固な結界が張られた場所に存在していた。
螺子は、ルシアンの目を盗み、その部屋への道を模索した。
辿り着いた地下の隠し通路の奥には、重厚な石の扉が待ち構えていた。
扉の隙間からは、漆黒のネジが放つ「真っ黒な意思」が、脈動するように螺子の精神を叩きつけてくる。螺子は、扉に触れることも躊躇するほどの、圧倒的な悪意の塊を感じた。
扉の周りには、古い時代に使われたであろう、様々な呪術的な紋様や、奇妙な数式が刻み込まれていた。
それらは、からくりの設計図とは明らかに異なる、より神秘的で、しかし危険な知識を秘めているかのようだった。
螺子は、この部屋こそが、漆黒のネジが精製され、その力が最大に引き出される場所なのではないかと推測した。
この場所に、家族の悲劇の真の根源がある。そう確信した螺子の心は、復讐にも似た強い衝動に駆られた。
螺子は、屋敷の絡繰りを修理するふりをしながら、漆黒のネジの痕跡を丹念に追った。
屋敷の防衛機構の一部、特定の部屋の開閉機構、さらには地下の何らかの「装置」に、漆黒のネジが組み込まれていることが分かってきた。
それは、屋敷の住人の行動を制限したり、特定の人物を閉じ込めたり、あるいは何かを「起動」させるための、悪意に満ちた意図が感じられる配置だった。
螺子は、漆黒のネジが、単なる部品ではなく、屋敷全体を支配し、その「意思」を歪めるための「呪いの核」であることに気づき始める。
同時に、ルシアン・ヴァンスの存在は、螺子の疑念を一層深めていた。
ルシアンは、螺子が漆黒のネジに近づくたびに、より積極的に螺子に接触を図るようになった。
彼は、さりげない会話の中で、螺子が漆黒のネジから何を感じ取っているのかを探ろうとする。
「絡繰殿は、あの『黒いネジ』から、何か特殊な『声』を聞き取っていらっしゃるようですね。それは、どのような響きなのですか?」
ルシアンの言葉は、まるで螺子の心を読み解くかのように的確だった。
螺子は、漆黒のネジから聞こえる純粋な悪意の「真っ黒な意思」を、決して彼に明かそうとはしなかった。
それは、螺子自身の中に深く根差した、家族の悲劇への復讐心と、この忌まわしい力を他者に利用させたくないという強い意志があったからだ。
しかし、ルシアンの鋭い碧い瞳は、螺子の沈黙の裏に隠された何かを感じ取っているようだった。
ある時、螺子が漆黒のネジが組み込まれた地下の自動人形の修理中に、ワイズマンが持ち込んだ奇妙な測定器が異常な反応を示した。
ワイズマンは、その反応が「異常な高周波の精神波」を示していると興奮気味に語る。
その瞬間、ルシアンが人形の近くの壁に触れた。
彼の碧い瞳が、一瞬だけ深く揺らぐ。彼は、螺子には聞こえない、過去の記憶の断片を読み取っているのだろう。
「この屋敷には……特定の記憶が、強く刻まれていますね。
そして、それは、ある人物の『意思』によって、歪められているようだ」
ルシアンはそう呟くと、螺子の顔をじっと見つめた。
その眼差しは、螺子の能力と、彼自身の能力が、この屋敷の謎の核心、すなわち漆黒のネジの起源へと繋がっていることを示唆しているかのようだった。
ルシアンは、螺子のからくりの「声」を聞く能力が、自身の記憶を読む能力を補完し、彼が求める「真実」への最後の鍵となることを確信しているようだった。
螺子は、ルシアンが漆黒のネジの力を、自身の能力を増幅させるため、あるいは特定の失われた記憶(例えば、彼自身の過去のトラウマや、彼のルーツに関わる秘密)を取り戻すために利用しようとしているのではないかと疑い始めた。
彼の優雅な仮面の下に隠された、冷徹な計算と、自身の目的のためならば他者をも道具と見なす非情な一面が、螺子の警戒心を一層強めた。
漆黒のネジの「真っ黒な意思」は、螺子にとって、自身の家族の悲劇を鮮明に映し出す鏡のようだった。
そのネジが、この屋敷に満ちている。螺子は、復讐の念に駆られながらも、この恐ろしい力が再び誰かの人生を狂わせることがないよう、その根源を断ち切ることを決意した。
彼の心は、家族への深い愛情と、二度と悲劇を繰り返させないという、強い使命感で満たされていた。