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二、囁く回廊、歪む記憶

 廊下の床板を剥がすと、埃と油の混じった、古びた機械の匂いが鼻腔をくすぐった。


 絡繰(からくり) 螺子(らし)は、手にした懐中電灯の光で、暗がりに潜む巨大な歯車と、複雑に絡み合った(さく)の群れを照らし出す。


 それは、屋敷の重厚な引き戸や、壁に隠された棚、あるいは暖炉の奥に続く秘密の通路までもを動かしていた、かつての壮大な心臓部だった。


 しかし、今はその多くが錆に侵され、埃を被り、沈黙している。


 螺子らしが、錆びついた歯車の一つに指先を触れると、彼の耳に、微かな、しかし確かな「声」が響いた。


「ギィ……ギギギ……動カナイ……。重イ……重イ……」


 それは、長年、屋敷の仕掛けを動かし続けた歯車の、疲弊と諦念の囁きだった。


 螺子らしは、その声に耳を傾けながら、懐から取り出した小さな油差しで、慎重に錆びた軸に油を差していく。

 軋みが消え、歯車が僅かに動く気配を見せると、からくりの「声」は、安堵したように「アア……」と息を吐いた。


 螺子らしは、そうしたからくりの「意思」を読み解くことで、彼らの本来の機能を取り戻すことができる、唯一無二のからくり師だった。


 屋敷の奥へと進むにつれ、螺子らしはさらに奇妙な現象に遭遇した。

 ある部屋では、壁に飾られた貴族の肖像画の目が、螺子らしの動きに合わせてゆっくりと動く仕掛けが狂い、螺子らしの耳には過去の当主の激しい怒声が響いた。


「我を見るな! その無礼な視線を向けよるな!」


 それは、肖像画の目が動くたびに、当主が来客に放っていた言葉の残滓だろうか。


 からくりの「声」は、単に機能不全を訴えるだけでなく、そこに宿る人々の感情や記憶の断片までもを螺子らしに伝えてくる。

 螺子らしは、その声に耳を傾けながら、肖像画の裏に隠された複雑な滑車と錘の機構を修繕していく。


 別の部屋では、自動で茶を点てる精巧な絡繰人形が、勝手にぎこちない動きを繰り返していた。


 人形の手元には、埃を被った茶碗が置かれ、空の急須からは何も注がれない。

 それでも人形は、壊れた音声を繰り返す。


「オイシイ……オイシイ……。アア……オイシイ……」


 その声は、かつてこの茶を点てた人物の、あるいはこの茶を飲んだ人物の、歓喜の記憶がからくりに宿ったものだろうか。


 しかし、その繰り返される「美味しい」という言葉の裏には、どこか悲痛な響きがあった。


 螺子らしが人形の内部を調べると、茶を点てるための水路が詰まり、蒸気を排出する弁が破損していることが分かった。

 人形は、機能不全に陥りながらも、過去の「美味しい」という記憶に囚われ、その動作を繰り返していたのだ。


 螺子らしは、人形の「声」に耳を傾けながら、詰まった水路を清掃し、弁を修理していく。


 しかし、螺子らしを最も苦しめたのは、屋敷の要所要所に、まるで悪意の種のように埋め込まれた漆黒のネジが発する「声」だった。

 それは、他のからくりのような感情や記憶の混じり気がない、純粋な「真っ黒な意思」。


 屋敷の地下深く、薄暗い空間にひっそりと佇む、巨大な自動人形の心臓部に、その漆黒のネジは埋め込まれていた。

 人形は、かつては屋敷の警備か、あるいは何か別の目的のために作られたのだろう。

 しかし、今はその全身が錆と埃に覆われ、まるで死んだかのように動かない。


 螺子らしがその漆黒のネジに指先を触れた途端、彼の脳内に、あの忌まわしい記憶がフラッシュバックした。


「キィ……ギィ……殺セ……殺セ……!」


 それは、螺子らしの家族を殺したからくりから発せられた、あの冷酷で、全てを破壊しようとする衝動そのものだった。


 漆黒のネジから伝わる「声」は、他のからくりのように具体的な情報や感情を伴わず、ただ純粋な悪意と破壊衝動のみを螺子らしの精神に叩きつける。


 そのたびに螺子らしは、過去の悪夢に引き戻され、呼吸が乱れ、全身の血が凍り付くような感覚に襲われる。


「どうしました、絡繰殿?」


 不意に、背後からルシアン・ヴァンスの涼やかな声が聞こえた。


 螺子らしは、漆黒のネジから手を離し、ゆっくりと振り返る。


 ルシアンの碧い瞳は、螺子らしの顔色を鋭く見つめていた。

 その表情には、僅かな好奇心と、相手の反応を試すような響きが混じっている。


 ルシアン自身も、屋敷の奇妙な現象のたびに、何かに触れては目を閉じ、何かを「読み取って」いるようだった。

 彼の能力と螺子らしの能力が、屋敷の謎の解明においてどのように作用するのか、螺子らしにはまだ計り知れない部分があった。


 ルシアンの隣には、秘書クレアが控えている。

 彼女の視線は常に螺子らしに注がれ、まるで研究対象を観察するかのようだ。


 螺子らしがからくりに話しかけるように修理する様子や、漆黒のネジに触れた際に苦痛に歪む表情、そしてその都度発する言葉の断片――それらの全てが、彼女の冷静な分析の対象となっていた。

 クレアの無表情な視線は、螺子らしにとって、自身の秘めた過去を暴かれるような居心地の悪さを常に感じさせていた。


 螺子らしは、この絡繰屋敷の謎を解くことが、家族の死の真相へと繋がると直感していた。

 しかし、同時に彼は、ルシアン・ヴァンスという謎多き依頼人が、その謎の先に何を求めているのか、その冷たい思惑に警戒を強めていた。


 螺子らしの探求は、自身の過去の呪縛を解き放つ旅であると同時に、ルシアンとの静かな心理戦の始まりでもあった。


 漆黒のネジが発する「真っ黒な意思」は、螺子らしの心に重くのしかかり、彼の独創的な修理法をもってしても、この呪われた部品をどうにかできるのか、その答えはまだ見えなかった。

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