一、絡繰屋敷 ~最初の邂逅~
小春の骨董店での出会いから数日後。
明治か大正か、あるいはその狭間にあるような、和と洋が入り混じる帝都の街並みを、二台の馬車がゆったりと進んでいた。
一台はルシアン・ヴァンスが乗る豪華な洋式馬車。もう一台は、彼の秘書クレアが用意した、螺子用の簡素な和風馬車だ。
螺子はこの乗り物特有の不快な揺れに、僅かに眉をひそめていた。
彼が最も落ち着くのは、油と木の匂いが混じる自身の工房か、あるいは修理中のからくりの傍らだったからだ。
やがて馬車が止まると、目の前に現れたのは、帝都の喧騒から隔絶されたかのような広大な敷地だった。重厚な黒塗りの門扉には、蔦が絡みつき、その向こうには鬱蒼とした木々が不気味に立ち並んでいる。
「こちらが、新しく私が所有することになった屋敷です」
ルシアンの涼やかな声が、螺子の耳に届いた。
螺子が馬車を降り、見上げた先には、息を呑むほどの巨大な日本家屋がそびえ立っていた。
瓦屋根は青みがかった光を帯び、壁は漆喰と木材で構築されている。
一見すると由緒正しい貴族の邸宅だが、螺子の視覚には捉えきれない、もっと複雑な“何か”が、その建造物全体から滲み出ているのを感じ取った。
ルシアンとクレアが門扉を押し開けると、古びた蝶番が耳障りな金切り声を上げた。
その音は、まるで屋敷が自らの口を開き、訪問者を迎え入れているかのようだ。
荒れ果てた庭を通り、玄関へと続く石畳を踏みしめるたび、螺子の耳に、微かな、しかし確かに存在する「声」が届き始めた。
「キィ……ギィ……」
それは、風が板戸を揺らす音でも、古木が軋む音でもない。
まるで、建物そのものが内部で蠢く巨大な機械であるかのように、無数の歯車が回り、ゼンマイが巻かれ、重厚なピストンが上下する音が、彼の脳内に直接響いてくる。
屋敷全体が、生き物のように脈打っているのだ。
玄関にたどり着き、ルシアンが古びた引き戸に手をかけた。
螺子は、その扉の内部に潜む無数の絡繰の存在を、指先が触れる前から感じ取っていた。
ルシアンが僅かに力を込めると、戸はまるで自らの意志を持っているかのように、ゆっくりと、しかし確実に内側へ開いていく。
一歩足を踏み入れた瞬間、螺子の脳内を、これまで経験したことのないほどの「声」の奔流が襲った。
「ヒッ……ギギギ……壊レル……!」
「誰ダ……ここヲ荒ラスノハ……!」
「アアア……動カナイ……動カシテクレ……」
無数のからくりの「声」が、錯綜し、悲鳴を上げ、混乱している。
屋敷の奥からは、さらに不穏で、重苦しい「声」が響いてくる。
それは、螺子の家族を奪った、あの漆黒のネジが発する「真っ黒な意思」に酷似していた。
螺子の心臓が激しく脈打ち、全身の血が凍り付くような感覚に襲われる。
「どうしました、絡繰殿? お顔色が優れませんが」
ルシアンの涼やかな声が、螺子の耳に届いた。
その声には、僅かな好奇心と、相手の反応を試すような響きが混じっている。
ルシアンの碧い瞳が、まっすぐに螺子の顔を見つめていた。
螺子は無言で、だがはっきりと、ルシアンの視線を受け止めた。
彼の脳内で響き渡るおぞましい「声」は、この屋敷が、家族の死に関わる何かを、確かに秘めていることを告げていた。
修理の依頼というだけではない、自身の探求の最終地点が、ここにあるのかもしれない。
螺子は深く息を吸い込み、屋敷の奥から響く「声」の源へと、その視線を向けた。
彼の、漆黒のネジを巡る、そして自らの過去を巡る戦いが、今、始まったのだ。