十一、究極の選択、螺子の覚悟
絡繰屋敷の地下深く、漆黒のネジが埋め込まれた巨大な装置が、禍々しい光を放ちながら起動を待っていた。
ルシアン・ヴァンスの狂気じみた記憶への渇望と、ドクター・ワイズマンの歪んだ科学的探求心。
二つの執着が共鳴し、漆黒のネジから放たれる「真っ黒な意思」は、研究室全体を、いや屋敷全体を、おぞましい波動で覆い尽くさんばかりだった。
螺子の心臓が、激しい鼓動を打つ。
家族の悲劇の根源が、今、目の前にある。
父と母、そして幼い妹。彼らは単なる事故の犠牲者ではなかった。この漆黒のネジ、すなわち「禍つ釘」によって「意思」を捻じ曲げられたからくりに操られ、命を奪われたのだ。
復讐の念が、螺子の全身を駆け巡る。
だが、その復讐の先に何があるのか。漆黒のネジをただ破壊すれば、それで全てが終わるのか?
螺子の脳裏には、玄斎師匠の警告が蘇った。
「あの釘は、魂を喰らう。長く使えば、からくりだけでなく、それを扱った者自身の『意思』までも捻じ曲げる……」
ルシアンは、この漆黒のネジの力を手に入れれば、失われた記憶を取り戻すかもしれない。
しかし、その精神は漆黒のネジによって完全に歪められ、人間としての理性すら失うだろう。
そして、ワイズマンのような狂気の学者がこの技術を手にすれば、螺子の家族のように、無数の人々が、からくりの「意思」を捻じ曲げられた道具となり、悲劇が繰り返されることになる。
■◆■◆ 葛藤の深淵 ■◆■◆
螺子は、起動しかけた装置の前に立ち尽くした。
漆黒のネジからは、家族を殺したあの日と同じ「殺せ、殺せ」という命令が、直接脳内に響き渡る。
同時に、屋敷のいたるところから、からくりたちの悲鳴にも似た「壊されるな」「助けてくれ」という切なる「声」が、螺子の心に訴えかけてくる。
もし螺子が漆黒のネジを完全に破壊すれば、それは屋敷のからくりたちに宿る「声」、つまり彼らが持っている記憶や魂までも、永遠に沈黙させてしまうかもしれない。
彼の家族がからくりに抱いた愛情、職人としての誇り、それら全てが無に帰してしまう。
螺子は、自身の能力の根源である「からくりの声を聞く」という才能が、今、この究極の選択を迫っていることに気づいた。
からくりの魂を守るか、それとも世界の危機を救うか。
彼の個人的な復讐と、より大きな使命が、螺子の心の中で激しく衝突する。
ルシアンの嘲笑が聞こえた。
「絡繰殿。迷っている暇はありませんよ。
時間が惜しい。協力すれば、貴方の家族の死の真実を、私が全て見せてあげましょう。
貴方の能力は、このネジの力を完璧に引き出すために不可欠なのですから」
ルシアンの言葉は、螺子の心の最も弱い部分を突き刺した。
家族の真実。それは、螺子が何よりも求めていたものだ。
漆黒のネジの呪いと引き換えに、その全てを知ることができるかもしれない。
だが、その代償があまりにも大きすぎる。
彼の家族は、からくりの「意思」を尊重し、愛情を注いだ。
その家族の死を、からくりの「魂」を犠牲にしてまで暴くことは、果たして彼らの願いなのだろうか?
■◆■◆ 覚悟の螺旋 ■◆■◆
螺子は、深呼吸をした。
彼の指先が、無意識のうちに懐に忍ばせた、玄斎師匠から譲り受けた古びた工具の柄を握りしめる。
それは、父が使っていたものと同じ、長年受け継がれてきた絡繰師の道具だった。
「私は、からくりの声を聞く者だ」
螺子の声が、研究室に響いた。
それは、ルシアンやワイズマンに届くよう、しかし彼らの理解を超えた、静かで、しかし確固たる響きだった。
「彼らの『声』は、悲しみも、喜びも、そして苦しみも、全てを記憶している。
それは、単なる機械の音ではない。彼らの魂なのだ」
螺子の心の中で、一つの答えが生まれた。
漆黒のネジの「真っ黒な意思」は、からくりの魂を歪め、破壊する。
だが、螺子の能力は、その歪みを正し、本来の「声」を呼び覚ますことができる。
そして、玄斎師匠が記した古の文献には、禍つ釘の力を無力化し、その呪いを浄化する「光の螺旋」の記述があった。
それは、特定の霊木と鉱石を組み合わせた、古代の絡繰師が禁忌の力に対抗するために編み出した、秘術だった。
螺子は、ルシアンとワイズマンに背を向けた。
彼の瞳には、もはや迷いはなかった。
家族への復讐だけではない。この屋敷の全てのからくり、そして未来の世界を、漆黒のネジの呪いから守る。
それが、彼の新たな使命だ。
「ルシアン・ヴァンス。貴方の記憶への渇望は理解できる。
だが、そのために、他者の意思を踏みにじることは許されない」
螺子は、その場で立ち尽くすルシアンと、興奮して呼吸を荒げるワイズマンに、力強く告げた。
彼の言葉は、彼らの野望を正面から否定するものだった。
螺子にとって、からくりの「声」は、単なる機能不具合を示す信号ではない。
それは、彼らがこの世界で生きてきた証であり、そこに宿る物語そのものなのだ。
その物語を、漆黒のネジに歪めさせ、ルシアンの都合の良いように書き換えさせるなど、断じて許されない。
漆黒のネジが発する「真っ黒な意思」は、ルシアンの歪んだ野望とワイズマンの狂気と共鳴し、地下研究室の装置は、起動の時を刻々と迫らせていた。
螺子の手には、もはや修理の工具ではなく、世界を守るための最後の希望が握られている。
家族の悲劇の根源と、目の前の狂気に立ち向かう覚悟を決めた螺子は、漆黒のネジの禍々しい光の中へと、一歩を踏み出した。
彼の最後の「仕事」が、今、始まるのだ。




