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8.悦楽の殺人鬼

 今日のマスターはどこか落ち着きがない。

「起きてからずっと変な胸騒ぎがする」というのだ。

「歳食ってるし動悸じゃないの?」と返したが、それとは違う何かがあるらしい。


 例えるなら……()()()()()()()()()、と。

 それは、冗談には聞こえなかった。


「こういう日はろくなことが起きない……」


 マスターは煙草をふかしながら、遠くを見るような目でそう呟いた。


 確かに、今日は吉祥寺の街全体が静かであった。

 キャッチの数も少ない。火曜日だからそういうこともあるだろうが、空気が妙に重い。

 どこか、音がひとつ足りないような感覚がある。

 さっき救急車とパトカーが近くを通った音はしたけど……そんなの日常茶飯事だからなぁ。

 在庫処分のため賞味期限が切れそうなチーズを呑気に食べながら、私は客を待っていた。


 ――その時だった。

 ドアが勢いよく開き、慌ただしい様子で大魔術師とビンゴ先生が入ってきた。


「大変だハディート!!」


 大魔術師が開口一番、紙面を掲げて叫ぶ。

 号外。にじむインクの見出しが目に飛び込んできた。


 ――『井の頭公園で猟奇殺人事件』


 ぞくりと、背筋を何かが這い上がってきた。

 紙面の中央にはグロテスクなイメージ図。

 局部から腹に抜けるように、太い枝が突き刺さった女性の姿。


「これはヤバいよ。百舌鳥の早贄みたいに女が太い木の枝に刺さっていたらしい」


 言葉を選ばずに言うビンゴ先生の口調とは裏腹に、その目は真剣だった。

 冗談で済ませられない現実離れした異常がそこにはある。

 ()()()()()()()()()()()()()2()0()()()()()――

 常識的に考えて、人間にできることじゃない。


 マスターは「はぁ、やっぱり」と、小さく呟いた。

 吐き出すようなため息は、予感が的中したときのそれだった。


「ハディート、お前がやったんじゃないよな?」


 冗談のように聞こえるが、その場に漂う空気は冗談じゃなかった。


「そんなことするわけないだろう。第一、僕がやっていたら痕跡から真っ先に目付けられて、今頃尋問されているよ」


 淡々と、しかし妙に説得力のあるマスターの口調が逆に怖い。

 マスターが言うと、それが可能であることを前提に話されているようで――


「コイツはやりかねないからなぁ……」


 ビンゴ先生が、面倒そうに呟きながらマスターを訝しげに見やる。

 冗談半分、でも本気半分。


 私は二人の様子を交互に見ながら、無意識に椅子の背もたれを掴んでいた。

 マスターに猟奇的な一面なんて見たことない。

 でも、怪しまれるってことは――過去に何か、本当にあったのか?


「ハディートはなぁ、昔はとにかく酷かったんだよ。生命倫理の禁忌を犯すわ、使っちゃいけないところで魔術を見せるわ……」

「……そうなんですか?」


 気づけば、問いかける声が少し震えていた。

 マスターは無言で目を逸らし、バツが悪そうな顔をしていた。

 返事をしないということは、否定できないのだ。

 本当に触られたくない過去――それだけは確かだった。


「……で、でも、人をあんな位置に刺すことなんてできます?」


 少しでも現実に引き戻したくて、口に出したその疑問。



『コイツならできる』



 間髪入れず二人の声が重なった。

 心臓が一拍ずれたような気がした。

 冗談じゃなかった。 二人とも、本気で言っている。


「まぁ、見たことないだろうけど、コイツは召喚、もしくは喚起魔術でそのモノと一体になれる。それさえ使えば、人知を超えたことだってできるんだ」


 ……召喚? 一体になる? 

 聞き慣れた言葉なのに、現実に結びつけると急に足元がぐらつく。

 静かなバーの中で異質な空気だけがじわじわと広がっていた。


「……僕の魔術の話をしだしたらいくら夜があっても足りないから端折るけど、僕ならあの行為は出来るのは確かだ。でも、僕はやってないからな」

「じゃあ、逆に誰が出来るんだよ?」

「こうやって事件が世間にバレてしまっているということは……管理されていない人間がやったとしか」


 何故かマスターはチラッと私の方を見た。

 大袈裟に「私じゃないですよ!?」と首を横に振った。


「……まぁまぁ、二人ともラガヴーリンでも飲んで落ち着きましょうよ」


 話を絶つように、トワイスアップとソーダ割りをそれぞれ差し出す。


「あっ、逃げやがったな」

「逃げるも何も僕ではないからな。まぁ……明日()()()に召集されそうだが」


 煙草を吹かしながら、マスターはグラスの縁を指でなぞる。

 その仕草は癖のようでいて、何かを考えている時にだけ見せる所作だった。


「……あそこって、どこなんですか?」


 なるべく軽く聞いたつもりだったが、声がほんの少しだけ掠れていた。

 マスターはすぐには答えず、灰皿の縁で煙草を丁寧に揉み消す。


「……中央魔術監察局」


 ビンゴ先生が、低く呟くように答えた。


「Central Invocation Office――通称、C()I()O()。表には出ないが、魔術師を監視するためだけに存在してる組織だ。国家機関でもなければ宗教でもない。言うなれば、均衡のための黒い帳簿だな」

「マスターはそこに所属してるんですか?」

「所属しているよ。正確には……一度出禁を食らったが」


 さらっと恐ろしいことを言われて、私は言葉を失った。

 しかし、本人はどこか達観した様子で笑っていた。


「僕みたいに、境界を踏み越えた連中は大体そうなるよ。組織が排除できないのは、僕がある部分では必要とされているからだ」

「必要とされるって……」

「火事のときだけ呼ばれる放火魔みたいなもんだ」


 冗談とも本気ともつかない比喩に、ビンゴ先生が渋い顔をする。

 けれど、その例えがどこよりもしっくりきた。


 ラガヴーリンの香りが、ゆっくりと鼻を満たしていく。

 けれど、それでも胸の奥のざわめきは収まらない。


「明日、僕が呼ばれたらこれはこれ以上表には出せない事件ってことだ」


 マスターは一口だけウイスキーを口に含み、静かに喉を潤した。

 その顔には酔いではなく、これから訪れる夜への覚悟が浮かんでいる。


「……というわけで、もしかしたら明日から数日間、店を閉めるかもしれない」

「やっぱりそうなるんですね……」

「でも、放っておけば次は誰かがこの店の客になるかもしれない」


 その言葉は、冗談ではなかった。

 《Ashveil》は、時に世界の端に立っている。そのことを、私は改めて思い出した。


「……大丈夫ですよね、マスター」


 そう問いかけながらも、私の手は、いつの間にか胸元を握りしめていた。

 不安を抑えるように。あるいは、自分の輪郭を確かめるように。

 マスターはゆっくりと笑った。


「心配するな。僕は君に、まだ『真名』を教えていない」


 意味深なその言葉に、私はただ曖昧に笑って返すしかなかった。

 夜は深まっていくが、安心ではなく覚悟だけが濃くなっていった――

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