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6.雷鳴を呼ぶ男

 2月だというのに、吉祥寺は雷雨に見舞われている。

 あぁ、今日は絶対人来ないなぁ。こんな日にわざわざ出掛ける人なんていない。

 ジンジャエールを飲みながら、退屈そうに扉を見ていた。

 

「今日は何曜日だ?」

「水曜日ですよ」

「ふむ……もうそろそろヤツが来るな」

「えっ、こんな日に人来るんですか?」

()()()()()()……それが合図さ」


 ……ここには天候すらも操れる人間か来るのか!?

 まぁ、現実を書き換える人がここにいるからそれくらいできる人も来るか……。

 だいぶ感覚が麻痺してきた自覚がある。



()()()()()

「は……はい!?」



 比喩表現なのかと思った矢先、雷鳴と共にその男は現れた。


「久しいなハディート! 元気にしてたか?」


 それは、龍だった。

 否。正確には、人の皮をまとったままなお龍の片鱗を隠しきれない存在がそこに立っていた。

 角は細く鋭く、双眸は深海のような青。

 左腕は黒鉄のような鱗に覆われ、腰のあたりから伸びた尾は、かすかに揺れながらも威圧の余韻を残す。

 漆黒の短髪は濡れたように艶を帯び、その佇まいには人ならざる理が宿っていた。


 年齢だけを見れば、二十代前半――

 だが、彼の内側に流れているものは、人の時間とは別の律に沿っている。

 ひと目で分かる。

 この男は、ただ若いのではない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 ――これはマスターが作った幻か何かか?

 

「元気ではあるよ。女の子も雇ったからね」

「へ~、ここって人雇うほど繁盛してる店だったっけ? どうせ俺んちより儲かってないだろ」

「ハッ、葛飾という田舎の人間に言われとうない……」

「あぁ!? 舐めやがって。別にこんな区でもないクソ田舎一つくらい燃やしてもいいんだぞ?」


 光と同時に耳を劈くような轟音が響きわたる。

 確実に近くに雷が落ちた音だ。

 ビクビクと震えていると、龍の男が話しかけてきた。


「君はこのバカと違って物分かりが良さそうだな。青砥って分かるか?」

「あ、あおと……?」


 そんな遠くの地分からないって言ったらおそらくこの店が燃やされると思ったので、小さく頷いた。


「どう考えたって吉祥寺より田舎じゃないよな?」

「区、ですからね……?」

「ほら見ろ、武蔵野市なんかより大都会だからな」


 今の私には葛飾区の位置すら思い出せないが、きっと都会なんだろう。

 とりあえず、相手を立てておけばこういうのはなんとかなる。


「あぁ……そうだ、彼はレイ君。東京の八方を守る一族なんだ。北東を守る龍の……ね」

「メインは親父だけどな。水曜日は俺の店が休みだからこうやってふらついている」


 ……噂には聞いたことがある。

 東京には八方を守る神々がいて、普段は人間に化けて見守っていると。

 有事の時だけ本来の姿で迎え撃つという。


 北は清瀬市、北東は葛飾区。

 東は江東区、南東は品川区。

 南は町田市、南西は八王子市。

 西は奥多摩町、北西は青梅市。


 我々には見えない災厄を防ぐのが役割だと聞いた。


「毎回雷雨にするんですか……?」

「機嫌が良いときと悪いときは雷雨になる」

「ほぼ雷雨になるじゃないですか!!」

「そんなに人殺してないからいいじゃん」

「そういう理屈でいいの……?」


 災厄は防いでいるかもしれないけど、現実に害は成している気がする……な。

 そんな頻繁に雷鳴るって栃木じゃあるまいし……。


「そういえば、ずっとその姿なんですか?」

「ん? 違うよ。この姿が一番気に入っているからこの店ではこうしてるだけ」


 くるくる回って自慢のフォルムを見せつける。


「ちなみに通常フォルムもかっこいいよ。男でも惚れるくらいには」

「俺どんな姿でもモテるからなぁ~」


 バリバリバリッ、と木が裂ける音が聞こえた。

 井の頭公園にでも雷が落ちたのだろうか。


 コイツ……おだてても不機嫌にさせてもならない……この世で一番接客が難しい客かもしれない!


「あ、カルヴァドスちょうだい。家じゃ日本酒か紹興酒しか飲めないからさぁ」

「はいよ」


 指を鳴らし、リンゴが丸々一個入った瓶を魔術で持ってくる。

 瓶には「カルヴァドス・ポム・ド・イブ」と書かれていた。


「カルヴァドスはこれが一番うまい。どう、お嬢さんも飲んでみる?」

「いいんです? ありがとうございます!」


 いつものグレンケアングラスに注ぎ、二人で乾杯する。


「可愛い子にはいい酒を飲ませなきゃ男として恥だからな。あ、ハディートには強請られてもやらんから」

「店繁盛してるのにケチだなぁ」


「お前だって俺の店来ないじゃん」と、マスターの頬を尻尾の先端で突いている。


「あぁ、そうだお嬢さん。俺の店来てよ。テレパシーで送るから」

「えっ、テレ――」


 その瞬間、最寄駅から道筋が脳内を駆け巡る。

 なるほど。某玩具メーカーと区役所の近くにあるんだな。シンフォニーなんちゃらってところも映ってた。

 だが、そもそも青砥駅がどこにあるのかが分からない――! あと、店名なんて読むか分からない!! 中国語で書かれてるじゃないですか!?


「ごく普通の中華料理屋だけど美味しいんだから!」

「へぇ~行ってみようかな」


 口ではそう言ったものの、正直なところ、中華料理屋と龍の結びつきには不安しかない。

 火力で厨房を吹き飛ばしたり、謎の鳴き声が聞こえたりしないだろうか。

 というか龍の店って時点で、保健所は本当に許可を出しているのか疑問である。

 龍が人間になっているだけだもんな……?


 私が変な顔をしていたのか、レイが苦笑する。


「……まぁ、変なことは起きないよ。俺ら普段は人間だし」


 あくまで自然に、彼はそう言った。当たり前のことを話すように。

 でもその響きが、どこかおかしい。


 普段は――?


 裏を返せば、時々そうじゃなくなるということだ。

 普通の人間はそんな前提で生きていない。


「……逆に言うと、たまに人間じゃないってことですか?」

「まぁ、気を抜くと鱗が出たり、尾が動いたりするからね。……でも、吉祥寺でそんなの目撃されたら通報されるだろ? 俺たちの存在をよく思わない輩もいるからな」


 レイは冗談めかして笑うが、私は笑えなかった。

 この人、本当にそういうものを抑えてここにいるのだ。


「牙を隠す、火を抑える、空を飛ばない。そうやって、地べたを歩く。……そういう努力をしてんの。結構、疲れるんだけどね。まぁ、()()()()()()()()()()()()こんな格好しててもいいんだけどさ」


 それはどこか、詩人としての私にもわかる感覚だった。

 世界の隅に馴染むために、異質であることをなるべく見せないようにして、誰にも気づかれない言葉を夜中に書き続ける――

 そんな自分と、少しだけ似ていた。


「……そういうのって、大変ですね」


 私がそう呟くと、レイはまた微笑んだ。

 そして、すでに空になったグラスを指先で軽く傾ける。


「でも、たまにこうして、誰かとちゃんと話して、いい酒飲んで……ああ、今日も人間やれてるなって思えるわけよ」


 雷鳴は、もう鳴っていなかった。

 静かな雨音の中、マスターはグラスを磨きながらぽつりと呟いた。


「……人間ってのも、なかなか悪くないだろ?」



*

 

 レイが帰った後、気になっていたことを聞いてみた。

 マスターと知り合いとはいえ、歳が離れすぎているんだよな……?

 

「マスターってどうしてレイさんとお知り合いなんですか? 互いに店遠いですし接点なさそうですけど」


 マスターは少し考えてこう言った。


「彼の親父さんと知り合いでね。昔やってた仕事の関係で知り合ったんだ」

「脚本関係者だったんですか?」

「いや、ちょっと()()()()で」


 目を逸らし、気を紛らわせるように煙草を吹かしている。

 あぁ、そんなに触れちゃいけない内容なんだな。彼のお父さんがどんな人か知らないけど。



「まぁ、普段は適当やってるが、僕にも責任はあるからな――」


 そう言ったマスターの声は、煙草の煙と一緒にふわりと空気に溶けた。


 レイが出て行ってから、店の中は妙に静かだった。

 雨は止み、雷鳴ももう聞こえない。

 ただ空気に残るのは、焼けた木の匂いとカルヴァドスの甘い余韻。


 マスターはグラスを拭きながら、それ以上何も言わなかった。

 けれど、その横顔はどこか遠くを見ているようで――

 まるで、過去の時間の奥をひとりで眺めているみたいだった。

 話を続けようか迷ったが、その背中を見た瞬間、口を閉じた。


 彼にはきっと脚本家としての顔よりもずっと前の、何か深いものがあるんだ。


 レイのような存在と普通に話し、時に酒を出し、時に詩を聞き、それでいて自分の過去を語らない。


 でも、たぶんそれでいいのだろう。このバーでは、誰も全部を語らなくていい。

 一部だけで、十分だ。


 私は残ったジンジャエールに手を伸ばした。

 氷はもう、すっかり溶けていた。

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