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Bar Ashveil 〜脚本の魔術師が夜を紡ぐ場所〜  作者: 南郷 兼史


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51/54

51.成り損ないの魔術師

50話大幅に変更しているので、50話読んでからこちらを読んでください。

あと、リヴィアの容姿が他と重なるので変えました。髪は緑です。16話も修正しています。

 扉の鈴が二度、乾いた音を落とした。

 二十二時――Ashveilの夜が立ち上がる。


 カウンターの灯りは低く、瓶の硝子がゆっくりと琥珀を返す。

 私が店に着いた時にはすでに先客がいた。

 リヴィアとガルザだ。

 リヴィアは脚を組み、ステムの長いグラスを親指と人差し指で支えている。オリーブを沈めたマティーニは、爪先まで冷たい光を帯びて静止していた。

 もう一人、肩で笑うガルザは、デュワーズ12年のロックを手のひらに乗せ、氷の角で唇を冷やしている。どちらも、ただ座っているだけで場の重心をずらす種の人間だ。


「滅茶苦茶レアな組み合わせだ……」


 ハディートがバースプーンを止め、眉だけで苦笑する。


「別に、俺だって好きでここに来てるわけじゃないからな」


 ガルザが短く返す。喉の低音が木壁に当たって反響した。


「全くその通りです。貴方が監察局に出向かないのが悪いのです」


 リヴィアは視線だけでたしなめ、グラスの脚を指先で一度だけ回す。言葉の角がよく研がれている。


「で、僕に言わなきゃいけないような要件ってことは相当だと思うが、セラフの進展でもあったのか?」


 その名が空気をわずかに冷やす。

 私は布巾を握ったまま指に力が入るのを止められない。――創られた、という事実は、音だけで体の奥を緊張させる。


「いや、今夜は白じゃない。直接的には」


 ガルザがロックグラスを置いた音が、話の区切りになった。


「青梅で『魍骸(もうがい)』が出たんだよ」

「もうがい?」


 思ったより近い自分の声に、私は小さく息を呑む。


「端的に言うと、()()()()()()()()()です。魔術師になる要件は満たしていたはずなのに、何かしらの理由で不完全に産まれてしまった……哀れな獣」


 リヴィアは淡々と言い、マティーニの縁を濡らすだけで飲まない。瞳がこちらを正確に測り、余計な同情を差し挟まないところが、かえって救いに思える。

 時計の秒針が壁の上を滑る。カウンター裏では、ハディートが氷桶の銀蓋を静かに閉じた。ガルザのグラスで氷がひとつ鳴り、溶けた水面に琥珀がゆらぐ。


「青梅のどこだ」


 ハディートが温度のない声で訊く。


「東青梅の駅前だ。それに一気に三体。長らく魔術師やってるがこんなのは初めてだ」


 ガルザは肩を鳴らす。


「そんなに珍しいんですか?」


 自分でも驚くほど素直に声が出た。問いが落ちるのを待って、リヴィアがグラスの脚を指で弾く。硬い澄音がひとつ。


「珍しいどころではありません。そもそも魔術師になる要件で死ぬ人間など、年に二、三人がせいぜい。同時に三体――同タイミングで魍骸が現れるなど不自然の極みです」

「確かに変な話だな。心中でもしたんじゃないのか?」


 ハディートは淡々と氷を揺らす。軽口の形をしているのに、目は笑っていない。


「その線も考えた」ガルザはロックを置き、身を乗り出す。


「だが、目撃者の話じゃ改札を出た瞬間だ。切符を切って、段差を上がったところで――血飛沫が舞って、皮膚の下から形が跳ね起きた。三つ、別々に」


 駅の蛍光灯、湿った床、白いライン。頭の中に光景が勝手に組み上がる。私は布巾を握り直し、手のひらの汗を意識してしまう。


「……ほう? 本当に魍骸なのか?」

「回収して調べました」


 リヴィアは言いながら一拍置き、オリーブを沈めたまま視線だけでこちらをかすめる。


「肉体には紋章が描かれていました。あれは魍骸に特有の錯誤印――おそらく間違いありません。……ただ」


 言葉がそこで切れて、店内の音だけが残る。レコードの音が遠くで小さく歪む。秒針が壁を一つ跨ぐ。ガルザは頷き、続きを促した。



()()()()()()()()()()



 リヴィアは結論だけを置いた。


「配置も比率も、擦れ具合まで。一般的にありえない。魍骸は成り損ね故に歪み方が個体差を持つはずですが――三体、完全一致」


 喉が乾く。紋章、同一。誰かが刻んだ音が胸の奥で強くなる。

 ハディートの指がカウンターを二度叩いた。


「既製品をばら撒くように、か」

「補足します」リヴィアは淡々と続ける。


「目撃者の記憶に微弱な擦れ。詩片の混入。――呼び水を撒いた者がいる。事件は自然発生ではない、そう読みます」


 私の胸の奥で、詩の欠片がざわりと触れた。呼べば応じる、名では繋がらないもの。結界の内側に、冷たい風が一条差し込んだような気がした。


「そんなことができるやつなんて、一人しかいないだろう」


 ハディートは磨いていたグラスを置き、声だけを少し低くした。氷桶の淵に水滴が落ちて、小さな音が鳴る。


「魔力波形が異なるのです。――()()()()()()


 リディアが即答する。言い終える寸前、視線が私をかすめた。刃物の平で撫でられたみたいな、冷たい感触。喉の奥がきゅっと縮む。私は布巾を折り直し、ボトルの向きを無意味に揃える。手順に紛れて、息の速さだけ隠す。

 ハディートは私を見ない。見ないまま淡々と続けた。


「使い捨てだったら理論上できる。そこらの人間に宿る力を少しずつ引っ張って、三つに分ける。印は前もって用意して貼るだけでいい」


 さっき頭に組んだ駅前の光景――蛍光灯、濡れた床、白線――に、鉄と雨の匂いが足される。皮膚の下から跳ね起きる形。歩幅の合わない足。


「数分しか動けない()()なら、できなくはないな」


 ガルザがロックグラスを指で弾いた。氷がからんと鳴る。


「同時起動の合図は、駅ならいくらでもあります。改札の音、発車メロディ、アナウンス。一定の音列を合図にすれば、三つ同時に動かせる。――ただし、痕跡を残さないように手順を短くしている」


 ハディートの指がカウンターを二度、軽く叩く。店の空気が一段重くなる。


「……手際が良すぎる」


 言葉だけが静かに積み上がる。誰の名前も呼ばれないのに、考えている相手は全員が共有している。

 その沈黙の輪の中で、私は姿勢を崩さないように背筋を伸ばした。

 リヴィアが静かにグラスを傾ける。


「……意図的に試されている」


 その声は淡々としているのに、背筋を刺す冷たさを帯びていた。


「魍骸を三体同時に出す。それ自体が目的ではありません。もっと大きな――次のための下準備」


 リヴィアはオリーブを唇に寄せ、かすかに噛み、またグラスに戻した。眼差しは決して崩れない。


「遊び半分じゃあ済まされないな」


 ガルザの低い声が床を這い、氷がまた短く鳴る。

 ハディートは一言も返さず、ただ手元のグラスを磨き続けていた。

 その仕草は平静に見えたが、指先の布巾がわずかに音を立てて裂けそうに張っていた。


「……早く止めないとな」


 誰も頷かない。誰も否定しない。ただ、名前を呼ぶことだけが避けられている。その回避がかえって確信に近づいていく。

 私の胸の奥で、詩片がまたざわついた。

 血の匂い、雨の匂い、蛍光灯の白。知らないはずの光景が脳裏に焼き付く。


 リヴィアがふっと私に視線を向けた。

 それは氷よりも冷たいのに、どこか観察する者の柔らかさが混じっていた。


「――本当に、器のままでいられるのかしら」


 その囁きは、私にだけ届く音量で落とされた。

 心臓が一拍、乱暴に跳ねた。頭では「聞き流せ」と警鐘が鳴っているのに、体の奥が勝手に反応する。

 器――その言葉は、自分の骨に刻まれた烙印のように響いた。


 喉の奥が渇く。答えを返したい衝動と、声を出せば正体が漏れる恐怖がせめぎ合う。

 私はただ布巾を折り直し、ボトルを一列に並べる作業に逃げた。何も考えていないふり。いつもの夜を装う仕草。

 けれど、胸の奥でざわつく詩片が裏切る。

 ――もし彼女の言葉が未来の宣告だったとしたら?

 今のような器でなくなる日が、確かに近づいているのだとしたら?


 笑ってやり過ごせばいい。それが一番安全だと分かっているのに、唇が震えて上手く形を作れない。

 

 カウンターの上に広がる琥珀色の揺らぎは静かな夜に似合わず、嵐の前触れのように見えた。

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