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Bar Ashveil 〜脚本の魔術師が夜を紡ぐ場所〜  作者: 南郷 兼史


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1.愚者の詩人

「事務のクセに電話受けもできない無能が! さっさと出ていけ!!」


 ――それが職場で聞いた最後の言葉だった。

 そう、私は試用期間中に首を切られてしまったのだ。

 正直に言えば、私はあまりにもポンコツだった。事務作業に関してだけは。


 こんなにも向いていない職業があったのかと笑っていたのは束の間。国民健康保険に切り替えた際の支払額に、私は文字通り愕然としてしまった。


「えっ、1回で5万円も払うんですか?」

「そうですね。前年度の収入が高かったので」

「ま、毎月!?」

「10期なので年10回ですね」


 膝から崩れ落ちそうになった。大の大人が市役所で大泣きするのを、かろうじて堪えた。週4で飲みに行っていた私に貯金という概念はなかった。毎回のように奢っていたせいで、預金がいくらあるかも覚えていない。多分10万円くらいだろう。


 無職の人間から5万円も取り立てるのか、日本は!?

 免除も前年度参照だからできず、おまけに年金まである。あまりにも酷な宣告であった。失業手当は2ヶ月待たなきゃもらえない。家賃、家賃はどうするんだ? あぁ、人生詰みか、これは!?  自殺するしかないか!!


 市役所からどうやって帰ってきたか、記憶にない。気づいたら夜になっていた。ただただ頭の中には絶望しかなかった。使える金はほぼない。仕事もない。私は終焉を迎えたニートだった。

 お金になりそうなことで私に出来るのは、詩と小説を書くことくらい……だ。とはいっても、それで得た金は光熱費で消えてしまうだろう。


 もうおしまいだ。齢27で死ぬのか……。転職先を間違えた私が悪い。

 嫌気がさし、ネクタイを片手に死に場所を探しに出かけた。時刻は深夜2時である。


 なんか良さげな首を括れるスポットないかなぁ。井の頭公園なら1本くらい木があるだろう。


 素面にもかかわらず、真冬の深夜に開襟シャツ一枚で井の頭通りを歩く。傍から見ればただの狂人だ。一歩間違えれば、露出狂と思われかねない。

 何も考えず感覚だけで歩いていたら行き止まりに当たってしまった。どうやら一本道を間違えていたらしい。

 うへへぇ、そうだ。どうせなら死ぬ前に一杯くらい引っ掛けようかな。

 ポケットには5千円札が1枚入っていた。一人で飲むなら足りる額だ。だが、いつも行っている店は2時には閉まっている。


 仕方なくふらふらしていたところ、ふと小さな間口のBarの看板が、怪しく光っているのを見つけた。

 こんなところにあったっけ? 知らない名前の店だな。


Bar(バー) Ashveil(アッシュヴェール)……」


 直訳すると「灰のヴェール」か。バーにしては妙な名称だ。曇りガラスになっているせいか中の様子はよく見えない。

まぁ、どうせ一見客で終わるし、恥を晒しても構わないか。

 扉には「Fais ce que tu voudras」と書かれていた。

フランス語らしいが意味は分からない。「一見お断り」といった意味でなければ良いのだが。


 ギィー……と、重い扉を開けると、そこには古めかしいアールデコ調の内装が広がっていた。カウンター8席と狭い店ではあるが、酒はぱっと見で150種類くらいありそうだ。


 マスターは――一番奥の席で、気怠そうに煙草を吸っていた。


 一見すると、顔立ちは30代後半くらいに見えた。整った輪郭と張りのある肌が年齢を感じさせない。しかし、ふとした首筋の皺や、無造作に煙草を持つ手の節くれだった指先、落ち着き払った立ち居振る舞いには確かに50を超えた歳月の重みが滲んでいる。奇妙な存在感を放っていた。

 白髪のロングヘアにモノクル。深淵を宿す青緑の瞳は、こちらが吸い込まれてしまいそうになるほど美しかった。左手の甲には、赤黒い魔方陣が描かれている。タトゥーか何かだろう。


 私を見るなり驚いた表情で煙草の火を消し、一言。


「は……客か?」


 まさかそんなことを言われると思わず、私もたじろいでしまった。普通、第一声は「いらっしゃいませ」じゃないの?


「え、えぇ、客です」


「はぁ……こんな時間に女一人とは珍しい……。()()()()()()に用事があるとは……」


 よっこいしょ、と重い腰を上げ立ち上がり、バーカウンターの中へ入った。


「今日も坊主かと思っていて油断していたよ。済まないね」

「あっ、いえ、全然大丈夫ですよ」


 なぜ私が気を使っているんだろうか。

 そもそも、そんなにこのバーは人が来ないのか……? 入るところを間違えたかな。


「……お嬢さんはこの辺に住んでるの?」

「えぇ、三鷹なので」

「いいねぇ。おじさんも三鷹に住んでるよ。ここから歩いて15分くらいだから家近いかもね」

「あー、うち下連雀ですよ」

「太宰が自殺したところじゃないか。まあまあ近いね」


 三鷹には、太宰治入水の地であることを示す石碑がある。名誉なのか不名誉なのか……。


「何飲まれます? うちはなんちゃってオーセンティックバーなんで、そこそこウィスキーとブランデーは置いてあるよ。オリジナルカクテルもあるんで是非」


 黒板にオリジナルカクテルが3種類書かれている。


【Silent Smoke:言葉のない夜に寄り添う、無音のカクテル】

【Capricorn / 山羊座 – “Obsidian Summit”:自分の“野心”と向き合うことになる】

【Final Ember:これが最期でも、あなたはあなたであってほしい】


 Final Ember、めっちゃ気になるなぁ。これから死にに行く人間にぴったりな酒だ。

まぁ、でもこういう日はただ酔いたいから、ストレートでおすすめのものでも頼むか。


「ストレートで、マスターおすすめのウィスキーはありませんか?」

「ふーん、そうだねぇ……死を見つめているお嬢さんにはこの3本かな」


 そう言って、3本目の前に並べる。


「左にあるのがカリラ12年。アイラモルトの強いスモーキー感と程よい甘さ、独特な潮のニュアンスがある。真ん中がラガヴーリン16年。カリラと少し似ているが、チョコレートのような甘さも兼ね備えている。右がグレンフィディック21年グランレゼルヴァ。最初にキャラメルのような柔らかな甘みが来て、乾いたオークと淡い煙が残る感じだ」


「うーん……じゃあ真ん中にしようかな」


「いいセンスだ。痛みの味に慣れている奴しかこれは頼まないし美味いとは思わないからな」


 気にしちゃいけないんだけど、どことなく厨二病っぽいんだよなぁ……。モノクルといい。

 あと、バーカウンターの中にでかい杖があるんだよね。気になるけど聞きにくい……。


 グレンケアン・グラスに注がれたそれは、テーブルに置かれた。


「ラガヴーリン16年だ。店の数少ない常連もこの酒が好きでねぇ、トワイスアップで5杯くらい飲むんだ」

「……とんだ酒豪がいるんですね」

「脚本の大魔術師だからね」

「きゃ、脚本の大魔術師?」

「そうだ。某ライダーや某戦隊モノを今も一線で書いている、()()()()だ」


 とんでもない人が来ているじゃん! えぇ!? マジで!? 

 自分の事を「大魔術師と呼べ」と言っているあの人が来ているバーなの、ここ!?


「すごいバーですね……。そんな一線級の人が来るなら、客も来そうなものですが」

「それがねぇ、来ないんだ」

「……あぁ、そういえば、私が店に入った時にさらっと『脚本の魔術師』と名乗ってましたが、マスターは脚本家なんですか?」

「おじさん? そうだよ。大魔術師には遠く及ばないけどね。某ロボットアニメ原作のゲームのシナリオとか書いてるよ」


 我ながら良いバーを引き当ててしまった。これから死のうと思っていたのに、一線級の脚本家が来ているって言われたら、会うまで死ねないじゃん。


 ストレートをさっと飲み干し、さっき気になっていた「Final Ember」を頼む。

 あまりにも早く飲み干したので、マスターも驚いていた。


「だ、大丈夫……そんな早く飲んで。チェイサーいります?」

「いや、今日はとにかく酔いたいのでいらないです」

「死に急いでるなぁ……」

「だって、もう死ぬしかないんですよ」


 ここに至るまでの事の顛末を話した。12月に相場管理の仕事を辞め、司法書士事務所に行ったら使い物にならず首を切られて、人生が詰んだことを。


「なんでまた司法書士事務所に?」

「行政書士取って司法書士目指そうと思っていたんですよ。思ったよりつまらなかったけど」

「また相場担当で雇ってもらったらどうなんだ?」

「あんな胃が死ぬ仕事、やりたくないですよ……。あれやるくらいなら死んだ方がマシ……」


 空きっ腹で30ml一気に飲んだせいで、酔いが早い。酒にはかなり強いはずだが、程よくくらくらする。

あー、酔ったら詩が書きたくなってきたな。辞世の句でも詠むか。


「魂の残り火……Final Emberだ」


 一口飲んでみる。

 液体は少し温かく、柔らかな蜂蜜とアプリコットの甘さが広がる。中盤にほんのりとスモーキー感が顔を出した矢先に、レッドペッパーの辛さが名残り火のようにピリッと刺さる。


「安らかな終末。燃え尽きる寸前の記憶が、舌の上で微かに燻っている。この一杯は叫ばない。ただ黙って、夜の中に『最後の温もり』を差し出す――」

「おぉ、良い詩を詠えるじゃないか。死ぬのなんてもったいない」

「でも、金無くて詰んでますよ? 飲んだくれのどうしようもない落ちこぼれですよ、私なんて」


 マスターは右手を顎に添え、しばらく黙ったあと静かに言った。


「……せっかくなら、私の元で働かないか」

「えっ、ええっ!?」

「何も驚くことはないだろう。金ならなんとでもなる」


 煙草をふかしながら、マスターが軽く笑う。


「――世界を変える魔術に必要なのはな、金でも知識でも魔力でもない。立ち上がれないほど酔ってる時に、それでも詩を口にできるってことさ」


 それが、このバーで働くきっかけとなったのだ。

 魔術を信じていたわけじゃない。現実が壊れてほしいとほんの少し願っただけだ。

 だけど、この扉の向こうでは、そんな歪んだ願いさえ受け入れられるらしい。

 重いローブも、杖も、意味不明な詩も――全部、灰のヴェールの向こうにあるものとして、私は確かに手渡された。


 私は死ぬことを諦めたわけじゃない。

 ただ、最後の温もりに少しだけ手を伸ばしただけだ。


 それを「生きる」と呼ぶなら――今日くらいは生きてやってもいいかもしれない。

P.S.元ネタのバーに来ていただいた方限定で、私が一杯奢ります(私がいる時のみ)。

「南郷さんっています? 小説書いていらっしゃる……」と、言えばワンチャンマスターに通じるかもしれません。怖ければXでDMいただければ。

なお、マスターと主人公の設定は1割くらいしか参考にしていないので、だいぶ異なって見えると思います。

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