表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/51

1.愚者の詩人

「事務のクセに電話受けもできない無能が! さっさと出ていけ!!」


 ――それが職場で聞いた最後の言葉だった。


 そう、私は試用期間中に首を切られてしまったのだ。

 正直に言えば私はあまりにもポンコツだった。事務に関してだけは。

 こんなにも向いていない職業があったのかと笑っていたのは束の間。国民健康保険に切り替えた時の支払額に唖然としてしまったのだ。


「えっ、1回で5万円も払うんですか?」

「そうですね~。前年度の収入が高かったので」

「ま、毎月!?」

「10期なので年10回ですね」


 膝から崩れ落ちた。大の大人が市役所で大泣きしそうになった。

 週4で飲みに行っていた私に貯金という概念がなかったのだ。

 毎回のように奢っていたせいで預金がいくらあるかも覚えていない。多分10万円くらいだろう。

 ニートの人間に5万円も払わせるのか日本は!? 免除も前年度参照だからできず、おまけに年金まである。あまりにも酷な宣告であった。

 失業手当は3ヶ月待たなきゃもらえない。

 家賃、家賃はどうするんだ? あぁ、人生詰みかこれは!? 自殺するしかないか!!


 市役所からどうやって帰ってきたか記憶にない。気づいたら夜になっていた。

 ただただ頭の中には絶望しかなかった。

 ほぼお金がない。仕事もない。終焉のニート。

 お金になりそうなことで私に出来るのは詩と小説を書くことくらい……だ。とはいっても光熱費で消えてしまう。

 もうおしまいだぁ。齢27で死ぬのか……。転職先を間違えた私が悪い。


 嫌々になり、ネクタイを片手に死に場所を探しに出かけた。深夜2時である。

 なんか良さげな首括れるスポットないかなぁ~。井の頭公園なら1本くらいあるだろう。

 素面にも関わらず、真冬に開けたシャツ1枚で井の頭通りを歩く。傍から見たらただの狂人である。一歩間違えたら露出狂と思われかねない。


 何も考えず感覚で歩いていたら行き止まりに当たってしまった。どうやら一本道を間違えていたらしい。

 うへへぇ、そうだ。どうせなら死ぬ前に一杯くらい引っ掛けようかなぁ。

 ポケットには5千円札が1枚入っていた。一人で飲むなら足りる額だ。

 とはいえ、いつも行っている店は2時に閉まっている。

 仕方なくふらふらしていたところ、ふと小さな間口のBarの看板が怪しく光っていた。

 こんなところにあったっけ? 知らん名前の店だな。


Bar(バー) Ashveil(アッシュヴェール)……」


 直訳すると灰のヴェールか。バーにしては変な名称を付けるもんだな。

 曇りガラスになっているせいか中の様子はよく見えない。まぁ、どうせ一限客で終わるし恥さらしても構わないか。

 扉には「Fais ce que tu voudras」と書かれていた。フランス語っぽいが意味は分からない。一限お断りって感じの意味じゃなければいいが。


 ギィー……と、重い扉を開けると、そこには古めかしいアールデコ調の内装が広がっていた。

 カウンター8席と狭い店ではあるが、酒はぱっと見150種類くらいありそうだ。

 マスターは――一番奥の席で気怠そうに煙草を吸っていた。

 一見すると、顔立ちは30代後半くらいに見えた。整った輪郭と張りのある肌が年齢を感じさせない。

 しかし、ふとした首筋の皺や、無造作に煙草を持つ手の節くれだった指先、落ち着き払った立ち居振る舞いには、確かに50を超えた歳月の重みが滲んでいる。奇妙な存在感を放っていた。

 白髪のロングヘアにモノクル。深淵を宿す青緑の瞳は、こちらが吸い込まれてしまいそうになるくらい美しかった。

 左手の甲には、赤黒い魔方陣が描かれている。タトゥーか何かだろう。


 私を見るなり驚いた表情で煙草の火を消し一言。


「は……客か?」


 まさかそんなことを言われると思わず私もたじろいでしまった。普通一言目って「いらっしゃいませ」じゃないの?


「え、えぇ客です」

「はぁ……こんな時間に女一人とは珍しい……。()()()()()()に用事があるとは……」


 よっこいしょ、と重い腰を上げ立ち上がり、バーカウンターの中へ入った。


「今日も坊主かと思っていて油断していたよ。済まないね」

「あっ、いえ全然大丈夫ですよ」


 なぜ私が気を使っているんだろうか。

 というか、そんなにこのバーは人が来ないのか……? 入るところ間違えたかなぁ……。


「……お嬢さんはこの辺に住んでるの?」

「えぇ、三鷹なので」

「いいねぇ。おじさんも三鷹に住んでるよ。ここから歩いて15分くらいだから家近いかもね」

「あー、うち下連雀ですよ」

「太宰が自殺したところじゃん! まぁまぁ近いね」


 実は三鷹には太宰治入水の地であることが示されている石碑がある。名誉なのか不名誉なのか……。


「何飲まれます? うちはなんちゃってオーセンティックバーなんでそこそこウィスキーとブランデーは置いてあるよ。オリジナルカクテルもあるんで是非」


 黒板にオリジナルカクテルが3種類書かれている。


【Silent Smoke:言葉のない夜に寄り添う、無音のカクテル】

【Capricorn / 山羊座 – “Obsidian Summit”:自分の“野心”と向き合うことになる】

【Final Ember:これが最期でも、あなたはあなたであってほしい】


 Final Emberめっちゃ気になるなぁ。これから死にに行く人間にぴったりな酒だ。

 まぁ、でもこういう日はただ酔いたいからストレートでおすすめのものでも頼むか。


「ストレートでマスターおすすめのウィスキーありません?」

「ふーん、そうだねぇ……死を見つめているお嬢さんにはこの3本かなぁ」


 そう言って、3本目の前に並べる。


「左にあるのがカリラ12年。アイラモルトの強いスモーキー感と程よい甘さ、独特な潮のニュアンスがある。真ん中がラガヴーリン16年。カリラとちょっと似てるけど、チョコレートみたいな甘さも兼ね備えている。右がグレンフィディック21年グランレゼルヴァ。最初にキャラメルのような柔らかな甘みが来て、乾いたオークと淡い煙が残る感じだ」

「うーん……じゃあ真ん中にしようかな」

「いいセンスだ。痛みの味に慣れてる奴しかこれは頼まないし美味いとは思わないからな」


 気にしちゃいけないんだけど、どことなく厨二病っぽいんだよなぁ……。モノクルといい。

 あと、バーカウンターの中にでかい杖があるんだよね。気になるけど聞きにくい……。


 グレンケアングラスに注ぎ、テーブルに置かれる。


「ラガヴーリン16年だ。店の数少ない常連もこの酒が好きでねぇ、トワイスアップで5杯くらい飲むんだよ」

「……とんだ酒豪がいるんですね」

()()()()()()()だからね」

「きゃ、脚本の大魔術師?」

「そうだ、某ライダーや某戦隊モノを今も一線で書いている大魔術師だ」


 とんでもない人来てるじゃん! えぇ!? マジで!?

 自分の事を「大魔術師と呼べ」と言っているあの人が来てるバーなのここ!?


「すごいバーですね……。そんな一線級の人が来るなら客来そうなものですが」

「それがねぇ、来ないんだ」

「……あぁ、そういえば、私が店に入った時にさらっと『脚本の魔術師』と名乗ってましたが、脚本家なんですか?」

「おじさん? そうだよ。大魔術師には遠く及ばないけどね。某ロボットアニメ原作のゲームのシナリオとか書いてるよ」


 我ながら良いバーを引き当ててしまった。これから死のうと思っていたのに、一線級の脚本家が来ているって言われたら会うまで死ねないじゃん。

 ストレートをさっと飲み干し、さっき気になっていた「Final Ember」を頼む。

 あまりにも早く飲み干したのでマスターも驚いていた。


「だ、大丈夫……そんな早く飲んで。チェイサーいります?」

「いや、今日はとにかく酔いたいのでいらないです」

「死に急いでるなぁ……」

「だって、もう死ぬしかないんですよ」


 ここに至るまでの事の顛末を話した。12月に相場管理の仕事を辞め、司法書士事務所に行ったら使い物にならず首切られて詰んだことを。


「なんでまた司法書士事務所に?」

「行政書士取って司法書士目指そうと思っていたんですよ。思ったよりつまらなかったけど」

「また相場担当で雇ってもらったらどうなんだ?」

「あんな胃が死ぬ仕事やりたくないですよ……。あれやるくらいなら死んだ方がマシ……」


 空きっ腹で30ml一気に飲んだせいで酔いが早い。酒にはかなり強いはずだが、程よくくらくらする。

 あー、酔ったら詩が書きたくなってきたな。辞世の句でも詠むかぁ。


「魂の残り火……Final Emberだ」


 一口飲んでみる。

 液体は少し温かく、柔らかな蜂蜜とアプリコットの甘さが広がる。中盤にほんのりとスモーキー感が顔を出した矢先にレットペッパーの辛さが名残り火のようにピリッと刺さる。


「安らかな終末。燃え尽きる寸前の記憶が、舌の上で微かに燻っている。この一杯は叫ばない。ただ黙って、夜の中に『最後の温もり』を差し出す――」

「おぉ、良い詩を詠えるじゃないか。死ぬのなんてもったいない」

「でも金無くて詰んでますよ? 飲んだくれのどうしようもない痴呆ですよ私なんて」


 マスターは右手を顎に添え、しばらく黙ったあと、静かに言った。


「……せっかくなら、私の元で働かないか」

「えっ、ええっ!?」

「何も驚くことはないだろう。金ならなんとでもなる」


 煙草をふかしながら、マスターが軽く笑う。


「――世界を変える魔術に必要なのはな、金でも知識でも魔力でもない。立ち上がれないほど酔ってる時に、それでも詩を口にできるってことさ」


 それが、このバーで働くきっかけとなったのだ。


 魔術を信じていたわけじゃない。

 現実が壊れてほしいとほんの少し願っただけだ。

 だけど、この扉の向こうではそんな歪んだ願いさえ受け入れられるらしい。


 重いローブも、杖も、意味不明な詩も――

 全部、灰のヴェールの向こうにあるものとして私は確かに手渡された。


 私は死ぬことを諦めたわけじゃない。

 ただ、()()()()()()に少しだけ手を伸ばしただけだ。

 それを「生きる」と呼ぶなら――

 まぁ、今日くらいは生きてやってもいいかもしれない。

P.S.元ネタのバーに来ていただいた方限定で、私が一杯奢ります(私がいる時のみ)。

「南郷さんっています? 小説書いていらっしゃる……」と、言えばワンチャンマスターに通じるかもしれません。怖ければXでDMいただければ。

なお、マスターと主人公の設定は1割くらいしか参考にしていないので、だいぶ異なって見えると思います。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ