009.置き引きに注意
「右! もうちょい右だー!」
「いえ、もっと左ですよー!」
オレは今、砂浜で首から上だけ出してあとは砂の中に埋まっている。
そして少し離れて大きなスイカ丸ごと1つが置いてある。
そう、オレたちはスイカ割りをやっているのだ。
オレとソフィアが昼食から戻ってきたら、丁度ディートマーやヒルデたちモデル組がその準備を始めたところだった。
そしてディートマーはオレの姿をみるや、ゲームを盛り上げるためと称して半ば強引に砂の中へとオレを埋めたのだった。
まあ、断ったら空気が悪くなるのが目に見えてたし、これでビビってると思われるのもシャクだったので、オレも二つ返事でOKした。
しかしだ。
棒は新聞紙を丸めただけで、もし運悪く当たったとしても大して痛くない、と言ってたはずなのだが。
どう見ても新聞紙の中には細い棒切れような物が入っているに違いない、そういうヤワじゃない感がありありなのだ。
その棒を持って目隠しをしてウロウロしているディートマーの口元は妙にニヤついている。
それに他の男のモデルたちはヒソヒソと話しながら声を潜めて笑いあっている。
コイツらオレを嵌めやがったな!
まあ、海水浴にいきなり加わったのがソフィアの彼氏ということで、やっぱりなんとなく気に入らねーって部分があるんだろう。
ヒルデたち女のモデル組は……そういう感情は無さそうだが悪ノリして楽しんでる感じだ。
何も知らないソフィアと、オレたちとは学校時代からの知り合いであるギーゼラだけが、頑張ってスイカの方へと誘導してくれている。
クソッ、こうなったら意地でも当てられてたまるかってんだ。
「そこだっ!!」
ディートマーがオレの顔ちょい右の位置で棒を振り下ろしてきた。
こなくそっ!
うりやああ!
ボスッ!
棒は砂に力強く振り下ろされた。
イッテーなクソがぁ!
オレは必死に首を動かして避けたんだが、耳をかすめてしまったのだ。
しかし悲鳴を上げると奴らを喜ばせるだけなので、なんとかこらえて平気なフリをする。
「ふうー、危なかったぜー。はっはっは!」
おっとしまった。
余裕かますつもりが、喋ったら完全に位置がモロバレじゃん。
ディートマーはオレからは見える角度でニタッと口角を上げると、ゆっくりとオレの正面に向き直し始める。
「ディートマーさーん! 違いますよー! もっと左! 左ですー!」
ソフィアが必死で誘導しているが、ディートマーは全く気にする素振りもなくオレの正面に仁王立ちした。
「うっしゃああ! 今度こそもらったぁー!」
奴は大きく振りかぶって、そしていよいよ……!
「ちょっとアンタ! いったい何すんのさ!」
突然、ヒルデの強い叫び声が聞こえた。
オレたちのパラソルの方からだ。
そっちに顔を向けると、ヒルデが若い男とバッグの両端を引っ張り合っている。
「コイツ、あたしたちのパラソルに勝手に入ってキョロキョロ物色してたんだ!」
まさか、ロベルトが注意喚起していた置き引きか!
「いい加減放せや、クソ女!」
男はヒルデを罵ると両腕に力を込めて強引に奪い取ってしまった。
それからすぐに逃げ去ろうとした男だったが、走り出す前に立ち止まった。
「待ってください! それは私たちの物なのです。それを置いてから黙って立ち去ってください!」
ソフィアが男の前に立ちはだかったのだ。
「やかましい! そこどけやー!」
男はソフィアにいきなり殴りかかりやがった!
テメー! もしソフィアに怪我でもさせたらボコボコにブチのめすぞコラァ!!
グルンッ!
ドサッ!
だが次の瞬間、男の身体は宙を舞い、砂浜に仰向けに叩きつけられたのだ。
「イテッ! 痛い痛いっ!」
しかも男は急に腕を痛がる。
男の肘と手首は完全にキメられていたのだ。
「監視員の方たちが来るまで、このままおとなしくしていてください」
この一連の行為を行ったのは、なんとソフィアなのだ。
でも彼女は武道とかの嗜みは無かったはず。
いったい、いつの間に……!
それはいいけどオレも手伝わないと。
だから何とかしてこの砂に埋まっている状態から脱出を……まずは両腕を上げよう、うおおおおっ!
「おいっ! そいつから手を放して解放しろ!」
今度は別の方向から違う男の大声が。
そして奴はソフィアたちがいる方へ向かって早足で近づいてくる。
どうやら置き引き男には周りで様子を窺う仲間がいたらしい。
「なんだお前? そうか、アイツの仲間か! 俺がお前も捕まえてやらあ!」
ディートマーが棒を振りかぶって男に向かっていったが、男の太い腕で簡単に払い除けられてしまった。
「ぐわあっ!」
「テメー! よくもディートマーさんを!」
男のモデルたちが次々と向かって行ったのだが。
「うわあっ!」
「なんだコイツ! まるでゴリラみてーな野郎だ!」
かかっていったモデルたちは全員、男の拳で殴り倒されてしまった。
「コイツめ、ソフィアの元に行かせるか! ……きゃあああ!」
加勢にいったギーゼラも弾き飛ばされた。
あとの女子たちはキャーッ! と悲鳴を上げてどうすることもできない。
マズい、ソフィアと男の間を遮る障壁がない。
早く砂から脱出しないと……ふんがあああ!
「おい女! おれの仲間を放さねえんなら、こうだぞ!」
「待ちな! ここは、あたしが通さないよ!」
今度はヒルデが両腕を広げて立ちはだかる。
しかし……。
「じゃあ、まずはお前からこの拳のエジキにしてやらあ!」
「ヒルデさん! 危ないので、下がってください!」
「おらあああっ!」
バシィッ!!
「ふう〜。何とか間に合ったぜ」
オレは男の拳がヒルデの顔面にヒットする直前に、左の掌で受け止めることに成功したのだ。
「くっ……おい、この手を放せよぉ!」
「誰が放すかよ。それよりこれでもう、おとなしく捕まってくんねえかな? オレとお前の力の差、もうわかってんだろ?」
◇
「イテテテ……ディートマーさん、タツロウがあの男を止めたみたいですけど、大丈夫ですかね?」
「ああ、大丈夫だろう。見ろよ、男の腕は力を込めてブルブル震えてるのに、タツロウの腕は全然動いてない。相当な力の差があるってことだよ」
◇
男は同じ姿勢のまま何も言わねーけど、諦めの悪い奴だな。
いや、左手を水着のポケットに突っ込んで出してきたのは……。
「こーなったらよー、コイツで刺してやっから!」
バタフライナイフの刃を出してこちらに刃先を向けたのだ。
オレは周りの人に被害が及ばないように男の拳をガッチリ掴んだまま説得を始めた。
「よせ、危ねーから。そんなにオレを刺したいのか?」
「いまさら命乞いか? おれをナメるからこーなんだよ、おらあああっ!!」
男は躊躇なくナイフをオレの右脇腹目掛けて突いてきた……だけどな。
ガシッ!
その刃を、丸めた右掌の中で受け止めて掴んだオレは、そのままナイフを取り上げた。
そして男の拳を掴んだままその右腕を背中の方に捻り上げ、地面に組み伏せてやったのだ。
「い、痛えっ! もうしねえから放してくれえ!」
「放したらそのまま逃げるつもりだろ、バレバレだっつーの。おっ、丁度いいところに来た」
「おーい! タツロウ、そいつらが置き引き犯なのか?」
ロベルトが警備員を数人引き連れて駆けつけてくれた。
「まあそうだけど……置き引きっつーか強盗だぜこいつら」
「そうか、詳しいことはこちらで取り調べるよ。あっ、ソフィアさん! 貴女もご協力していただいたのですね。お礼に今夜お食事でも……」
「ふふっ、どういたしまして。あと、お食事は丁重にお断りさせていただきます」
「そんなぁ、つれないなあ。ま、それはいいとして、それじゃこいつらを連行するぞ!」
ロベルトは騒がしくも仕事はキチンとこなして引き上げていった。
ホッとひと息ついた……いや、みんなは大丈夫なのか?
「タツロウ。お前、スゲー奴だったんだな。俺たちが数人がかりで止められなかったやつをあっさりと」
「ディートマーさん、オレはそんなに凄くはないよ。それにみんなが時間を稼いでくれたからソフィアとヒルデさんを守れた。ありがとう」
「いやいや俺たちなんて……そうだ、これからは『アニキ』って呼ばせてください!」
「でもディートマーさんの方が年上だろ?」
「そんなこと関係ないっす! 俺たちはアニキを尊敬してるんで、これからずっとついていきますんで!」
まあいいけどさ……無碍にするのもアレだし好きにしてもらうことにした。
「ギーゼラ! お前もホントにありがとうな。それで怪我はしてないのか?」
「ああ、ちょっと擦りむいただけさ。それにしても、学校にいたときよりメチャクチャ喧嘩強くなってんじゃん」
「まあ、ヴィルヘルムの元で色々と鍛えられてっからな」
ギーゼラはふーん、と相槌だけ打つと自分で傷を治療すべく荷物の中にある応急の塗り薬を探しに行った。
「あ、あのさ。助けてくれてありがとう、タツロウ」
「ヒルデさん、こちらこそありがとうございました。ヒルデさんがソフィアの前に立ちはだかってくれなかったら、今ごろどうなっていたか」
「……あたしは、モデルの後輩を守っただけだよ」
ヒルデは何故か顔を背けて表情を見せずに呟いたけど、どうしたんだろう。
おっと、ソフィアのことが後回しになってた。
彼女は何処に……いや、彼女の方からこっちに歩いてくる。
それはいいのだが、何故かムスッとした顔をしているのだ。
「ソフィア! 無事なのか?」
「……右の掌を見せてください」
彼女はオレの質問には答えず、先に自分の要求を優先するようにと無言の圧力をかけてきた。
恐る恐る掌を広げてみせると、彼女は驚いた顔をして、いつもより大きめの声で問い詰めてきた。
「……ナイフの刃を手掴みしたはずなのに。どうして傷一つなく、出血していないのですか?」
「ああ、それはだな」
「だいたい、貴方があのような無茶をして、私がどれほど心配したか。わかっているのですか?」
「……それは、ごめん。でもあの場面では他に選択肢が無かったし」
「掴んでいた相手の拳を放して逃げるという選択肢もあったはずです」
「いや、そんなことをしたらソフィアの方に危険が及ぶ。それに心配というのなら、ソフィアの方こそ犯人の目の前に立ちはだかるなんて無茶をして。オレは心臓が止まるかと思ったんだぞ」
「……それはすみませんでした。でも、あれは」
「ママ〜。あのお姉ちゃんたち、痴話喧嘩してるよ〜!」
「もう、そんなことを言って指を差したりしちゃいけません!」
何処かの親子連れの指摘で、オレたちは恥ずかしくなってお互い顔をそらし、俯いてしまった。
だけどオレたちはお互いを心配し合ってただけで、喧嘩してたわけじゃないんだ。
とりあえずオレたちはお互いのことを一旦有耶無耶にして仲直りしたのであった。
◇
結局、みんなが完全に落ち着いたのは夕方近くとなってしまった。
オレとソフィアはそれからようやく波打ち際で一緒にはしゃいだ。
その時もちょっとした事件があったのだが、それはまた後ほど。
遊び終えたオレたちは予約している宿に入り、先にみんなで夕食を取った。
豪華というほどではないが海の幸満載でとても美味しい料理だった。
あと、ちょっとだけお酒も楽しんで。
ちなみにソフィアはとても酒が強いのだが、モデル仲間には明かしていないらしく、いつもに比べたら控え目で終了となった。
舌とお腹を満足させたオレとソフィアは、部屋割りに従って自分たちの部屋に入る。
というかギーゼラが案内してくれたのはいいのだが。
「あのさ。元々参加する予定だった人が取りやめて、代わりにタツロウが入ったじゃん。その関係で部屋割りを見直したんだ」
「ふ〜ん。で、具体的には?」
「ソフィアとタツロウは同じ部屋にさせてもらった。2人は彼氏彼女の関係なんだから別に構わないだろ?」
「オレはいいけど……ソフィアはどうなんだ?」
「……私も、特に問題はありませんよ?」
「じゃあそれで決まりってことで」
ソフィアと同じ部屋か。
さすがにドキドキするな。
もちろん何もないとは思うし、期待してないけど。
それに同じ部屋といってもベッドは別だろうし、それほど意識することもないだろう。
そう思っていたオレは、ギーゼラという女を侮っていた激甘ちゃん野郎であった。
「ここがアンタたちの部屋だよ〜」
ギーゼラに先導されて入った部屋でまず目についたのは……。
部屋に一つしか置いていないダブルベッドであった。