040.酔いきれない夜
「あの。お願いですから、私の背後から首元を覆っている両腕を放してくださいませ、殿下」
「なぜ放さねばならない? 俺様はソフィア……お前に対する『親愛の情』を態度で表しているだけだ」
「……そうは申されましても、私は衣装の着合わせを終えたばかりで服を身に着けていない……下着とスリップのみの姿なのです」
「ああ、その通りだな。では問うが、お前が服を身に着けた上で同じことをするのは問題ない、という解釈でいいのか?」
「そ、それは……とにかくお放しください。さもないと」
「さもないと、どうする?」
「……こうさせていただきます!」
ソフィアは神学校在籍時にフェルディナントから教えを受けた格闘術……その中から背後より抱きつかれた場合の脱出と反撃の護身術を披露する。
「うっ! 両手で俺様の腕を引っ張り下げて隙間を作り、その空間からスルリと……!」
「……失礼いたします殿下。この勢いを利用して身体を宙に舞い上げます!」
「お、俺様の右腕を引っ張り込んで……逆一本背負い投げかっ!」
「やあぁーっ!」
ズドーン! と部屋中に振動が響き渡る程にフランツの身体は高く宙に舞い、グルッと綺麗な回転の軌跡を残して床に叩きつけられた。
「……あ、あのっ! 大丈夫でしょうか、殿下……つい本気で投げてしまいました」
床はカーペット敷きとはいえ必要以上にフランツの身体を傷つけたのでは、と気遣うソフィアであったが。
「ああ……背中にかなりの衝撃を受けた。だが、俺様はこの程度では止められんぞ」
「咄嗟に受け身を取ったのですね。殿下は確か、自分では戦わない主義のはずでは」
「それは我がハプニンブルク家の家訓……争いは他人にやらせておけという話だ。ではあるが自分の身を守る術を会得するのは、この世で当然の理ではないか」
「それは失礼いたしました。ところで殿下、掴んでいる私の手首を放していただけないでしょうか?」
「それはできない相談だ。ついでにこちらに引っ張り込んで、この場で寝技の稽古へと移らせてもらおうか……!?」
「謹んでお断りします……ですがこのままでは。タツロウ……!」
◇
今、この瞬間。
オレの頭の中に、ソフィアの声が直接届いた……気がした。
「なあギーゼラ。ソフィアが助けを求める声がしなかったか?」
「いやウチには何も。だけど彼氏のアンタがそう感じたのなら、ソフィアの魔力と共鳴しているのかも」
「共鳴だと?」
「神学校でちゃんと習ったはずだよ、魔力の座学で。まあそれはともかく、それが本当なら一刻の猶予もないよ」
「そうか。なら打ち合わせ通りに頼むぜギーゼラ。もう邸宅から出てくるモデルさんはいないようだから」
さっきヒルデさんとうっかり目が合いそうになったけど、なんとかごまかした……はず。
気づいてたら声かけてくるだろうし。ということで実行に支障はなくなった。
「わかった。アンタもキッチリやってよね!」
オレたちが身を潜めていた木陰から、まずはギーゼラが邸宅の正門へと急いで向かい、守衛たちを相手に騒ぎを起こす。
といっても、ある意味正攻法で挑むだけなんだが。
「なんだお前は!? 本日こちらを訪問するモデルは既に全員来たはずだぞ!」
「う、ウチは順番が最後のソフィアを友人として迎えに来ただけだ! だってもう夕暮れどころか帰り道は暗くなってるから、心配になってさ!」
本当にただの着合わせだけなら、迎えに来た友人に引き合わせるなり、しばらく待たせるなりするはず。
それで穏便に済めば、それが一番良いに決まっている……のだけれど。
「殿下より今は何ぴとたりとも通すなと仰せつかっている! 早々に立ち去れい!」
「そんなこと言ったって! 本当に迎えに来ただけなんだってばぁ!」
理由も聞かずに誰も通すなって時点で、何か企んでる可能性が高い。
それにソフィアがいたと思われる部屋の窓からは、話し声の振動は皆無だが何か大きな空気の振動が伝わってきた。
部屋の中で何か起きている可能性がある。ろくでもないことでなければいいのだが……悪い予感しかしない。
この時点でオレも木陰から飛び出して、いよいよプランを実行に移す。
魔力を身体中に巡らせて、集中力を高めて……。
「タツロウくん、だよねえ!? さっきちらっと見かけたのは、やっぱり間違ってなかったんだ! 気になって引き返したのは正解だったね〜!」
ヒルデさんの声だ!
まさか引き返してくるとは……マズい、彼女を巻き込むわけにはいかない!
しかしどうすれば……とまごついていると、今度は複数の男の怒鳴り声が!
「お前たち、そこで何をやっているー!?」
「特に男の方! 何者か今すぐ名乗れ!」
ちくしょう、守衛たちに見つかった!
仕方がない。ギーゼラが騒いで守衛たちの注目がそちらへ向いている間に……というのはもう無理だから、このまま突っ込んでいくしかない。
「ヒルデさん、また今度埋め合わせしますから。今は何も聞かずに立ち去ってください!」
「え? なんかよくわかんないけど、タツロウくんがそう言うなら」
「あざっす! それじゃ失礼……うおおおおっ!」
邸宅を囲む塀に向かって突進して、適切な位置で踏み切ると同時に……風属性の『飛行魔法』をジェット噴射し、なおかつ『つむじ風』を全身にまとってロケットの如く飛び上がる!
オレはきりもみ回転しながら高速で例の窓に近づくと、予想通り噴射もつむじ風も消えていった。
邸宅の周囲に対魔力結界が施されているのは想定内。
だが回転は慣性で続いており、きりもみ状態で窓ガラスが見えた一瞬のタイミングを逃さずに。
「オラァァッ!!」
右の拳で一気にバリィィーンッ!とブチ破る!
もちろん拳には特殊加工のナックルダスターを嵌めているけど、回転力も合わせての荒技なのだ。
家臣の仕事内容には、犯罪グループのアジトへの踏み込みといった物騒な事件の対応もあったりするのだが……主にそういう場面で使っている。
最初は回転しすぎて気分が悪くなり、突入したあとは何もできなかったけど。今は慣れたから問題ない。
そしてそのまま部屋の中というか天井まで突進し、照明の一つに飛びついて辺りを見回す。
「いったい何事だ! 守衛と警備の連中は何をやっている!」
フランツの声!
そしてその本人が部屋の奥、恐らく控室のようになっている場所から出てくるのが見えた。
なんか、服装が乱れているようだが……こっちに気づく前にカタをつける。
「うりゃあっ!」
小さく叫びながらフランツのところへ鋭角に飛び込んでいく。
「……貴様はいったい、どこから……まさか窓から」
悪いな。お前が気づいたときには、もう目の前まで接近してすれ違う寸前だ。
オレは左腕で顔を隠しつつ、右手の手刀で首筋を狙ってトンッ!と一撃を入れると……フランツは僅かなうめき声と共に膝から崩れ落ち、うつ伏せになって失神した。
「……タツロウ!」
「そ、ソフィア! その格好は」
彼女はスリップ姿でオレの前に現れた。
しかも片方の肩紐がずり落ちている……まさか!
「タツロウ……私は今、このような格好ですが。誓って貴方を裏切るような真似はしていません」
ホッとしたような、だけど申し訳なさそうな目でオレを見つめるソフィア。オレが彼女の話を信じないという選択肢は、もちろん存在しない。
「わかった。ソフィアがそう言うなら間違いない。事情はまた今度聞くとして、とりあえず服を着たほうがいい」
「それが、何処かへと隠されてしまったのです」
「じゃあオレの上着を羽織って。それで一息ついたら玄関の方へ向かって走ってくれ。ギーゼラが待ってる」
「わかりました。でもタツロウは」
「オレは……奴らを引きつける。心配しなくても捕まるようなヘマはしない」
「侵入者がいたぞ、捕まえろー!」
「それじゃあな!」
それからオレは邸宅内を縦横無尽に逃げ回ったのだが。最後まで付いてこれる奴は誰もおらず、いつの間にか一人で走り回っていた。
そして侵入した部屋に戻ると、フランツはまだ失神したままで、ソフィアの姿は見当たらない。
割れた窓から悠々と逃げ出して……ギーゼラの姿も見えないのを確認してから街へと引き揚げた。
ソフィアに会って話を聞いて、それから抱きしめたかったけど……下手に会いに行くと良くない気がしてそれは諦めた。
オレは素知らぬふりをして宿に戻り、食事をとっていたロベルトとアルヌルフのテーブルに割り込む。
「あれ? タツロウ、お前また上着を着ていないな」
「ぬふふ。ひょっとして通りすがりのオッサンにでも貸したのか?」
「まあ、そんなところだ。それより腹減ったからオレもここで食事するぞ」
なんとか宿屋のラストオーダーに間に合ったので、オレはおつまみで空腹を満たし、ビールで酔って気を紛らわせた。
やっぱりソフィアのことが気になって……というかフランツの野郎、ソフィアをあんな目に遭わせやがって……!
心配した通りの展開になって、正直はらわたが煮えくり返って心が落ち着かない。
オレは結局、酔いきれない夜を朝まで悶々と過ごしたのである。
せめてこれで……フランツが諦めてくれればいいのだが。
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次の更新は12月28日(日)の予定です
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