035.別室
「アンタ、宿屋に泊まってる旅行者かい? ところでこの店が『大公殿下のお墨付き』っていうのはわかってて入ろうとしてるんだよなあ?」
オルストレリア大公領へと『出張』する道中に立ち寄ったとある宿場町にて、オレはどうみてもボッタクリな酒場の扉を開けたのだが。
そこには黒服が一人待ち構えており、まるで審査をするかのように尋ねてくる。
たぶん答えないと門前払いになりそうなので、とりあえずここは話を合わせることにした。
「そうだけど。で、その『お墨付き』ってのは表の看板に書いてあるじゃん?」
「そういうことじゃあねえんだよ。そんな店に入ろうってんだから、それ相応の身なりをしていなければ大公殿下に失礼ってもんだろうが。だが、アンタの貧相な格好じゃねえ」
なるほど。こうやって入店時点で『踏んだくれるだけのカネやモノを持っていそうか』を判断するってわけか。
そしてボッタクリ対象は長くて数日で町から去る旅行者のみ。旅の日程はある程度決まってるだろうからボッタクリに遭っても結局泣き寝入りするしかない。
地元民は薄々わかってて入らないんだろうけど、もし入ってもちょっと高めの値段で普通にサービスするのだろう。
でなきゃいくら地元有力者を味方につけても商売を続けていられない。いかにもフランツの野郎が考えそうな巧妙な仕組みだぜ。
それはともかくとして、オレが貧乏旅行者と判断されたら追い払われてしまう。
仕方がない、コイツを見せびらかそう。
「確かにパリッとした服装はしてねえが。一応こんなのは身につけてるぜ?」
「ほお。セイ=カークス製の腕時計、それも中々の品じゃねえか。おっと、これは失礼。さあどうぞ中へ、お客様」
この野郎、クルッと手のひら返しやがって。オレは扉からさらに内扉も通されて店内を進む。
ちなみにセイ=カークスは現代世界で言えば◯レックスに相当する高級時計メーカーである。
オレは夏のあのひと時の後で、やっぱり欲しくなってしまいローンを組んで思い切って購入したのだ。
まあ、ローンを組めたのもヴィルヘルムから御用達の店を紹介してもらえたからだけど。
しばらくは給料から月々かなりの額が返済として差っ引かれてしまうが……独身のオレにとっては仕事を頑張るモチベーションとなるのだ。
だけど家族持ちはこういう無理をしてはいけない。余裕ができてから購入しないと家庭不和の一因となるだろう。
などと考えている間にカウンター席に着いて、ウエイトレスが注文を取りに来る。
「いらっしゃいませ〜。ご注文……っていうか、まずはビールとお通しってことでいいかな〜?」
「ああ。それで頼む」
ここまでは普通かな。あえて言えばウエイトレスの服装がミニスカートで胸元も開いてるってことくらいか。
そして周りを見渡すと女性客には執事のようなウエイターが傅くようにして注文を聞いている。
テーブル席にはウエイトレス……なんだろうけど綺麗な女性たちがソファでほろ酔いのオッサン客を囲むようにして談笑している。
前世では行ったことないからよくわからないがキャバクラみたいな感じなのかな?
テーブル上には既に沢山の料理や酒が……もう手遅れだなこりゃ。
気にはなるが、オレもとりあえず腹ごしらえしないと。
ビールをグイッと飲みつつお通しをあっという間に平らげて、料理とビールを2度追加注文したところでウエイトレスが近づいてきた。
そしてまるで胸元を見せつけるようにやや前屈みの姿勢となって誘うような声で囁く。
「お兄さん、いい飲みっぷりをしてますね。もし良かったら、テーブル席が一つ空いたから一緒に行きませんか?」
空いたテーブル……さっきのオッサンが座っていたところだ。もう帰ったのか、それとも。
どうしよう。って、虎穴に入らずんば虎子を得ず……これで合ってたっけ、この諺。
「いいよ。じゃあ案内頼む」
「は〜い! 1名様テーブル席へごあんな〜い!」
それじゃ行くか。と立ち上がったらウエイトレスが左腕に抱きつこうとしてきた。
「おっと」
「……そんな、腕を避けなくたって。あ、もしかして照れてるの?」
違う。そっちは、もう会わなくなったとはいえ彼女がよく抱きついてきた腕……少なくとも会ったばかりの店員に触られたくないってだけだ。
でもそんなことを説明しても仕方がないので適当に話をそらす。
「まあそんなとこかな。アンタみたいな綺麗な女性だと特に」
「お兄さん、まだ若いのになんか女子慣れしてない〜?」
「そんなことないよ。さあ行こう」
まあ、いろんな女性と接してきたとは思うけど。とにかくソファに座ると3人の女性が一緒に座って話しかけてくる。
「すごーい! セイ=カークスの腕時計だよね、それ!」
「ズボンのポケットの膨らみって……いっぱいに膨らんだ財布かな?」
「もしかして若手実業家とかですか? これから大きな商談に……とか」
うーん。こっちが警戒してるからそう思うのかもだが、なんか金目のものへの視線と歯の浮くお世辞に感じてしまう。
財布は、さっきパンツ男に上着を貸したのでやむなくこっちに入れてるから余計に。
まあ財布と言っても革袋で、しかも中身はコインより領収書とかそんなの詰め込んでいるので膨らんで見えるだけなんだけど。
「いやいや。ちょっとしたお使いにいくだけなんだ」
会話を適当に捌きつつ、いつの間にかテーブルに置かれた酒とツマミを口にする。
うっ、なんだよこれ。
酒は悪酔いしそうな不味さ……ツマミも材料が粗悪で味がしつこいというか。
こんな代物にカネを払えるか、とすら思える酷さだ。
そうやってあまり楽しくない時間を過ごし酔いが回ってきたところで、遂に動きがあった。
女性たちがソファからさり気なく席を立って、入れ替わるように黒服の男がメモみたいなのを持って近づいてくる。
「お客さん。そろそろ、代金を支払ってもらいたいんですけどね〜!」
「いくらだよ」
「そうだな〜。とりあえず200万ってところだ」
「とりあえずってなんだよ。ちゃんと明細出せ」
「あぁ〜!? ウチは酒も料理も超高級品だし、店の雰囲気とか接客とかも併せて総合的に値段出してんだよ!」
「バカ言え。超高級どころか不味い粗悪品ばかりだし、接客だって女性たちが喋りたいこと一方的にベラベラ話してただけじゃん。200万どころか1万の価値もねーな」
「……そんなこと話してんじゃねんだよ。支払うのか支払わねえのか、どっちだ?」
「支払わねえよ」
「そうかい。困ったお客だなあ……ちょっと別室で話しましょうや」
この時点でオレは複数の店員に囲まれていた。
まあこの場で続けてもいいんだけど……無関係な人たちに迷惑かけないように別室行きに応じてついていく。
◇
別室と奴らが言っている部屋は照明が薄暗く、真ん中にテーブルと椅子が置いてあって、オレは促されてそこに座らされた。
「なあ〜お客さん。今ならまだ間に合う……ポケットの中でパンパンに膨らんでる財布と腕時計を大人しく差し出せば、穏便に店を出られるぜ〜?」
「財布は領収書とかで膨らんでるだけだぞ? それにローンが残ってる腕時計をなんでお前らにくれてやらなきゃならんのだ?」
「テメェ……ふざけんのもいい加減にしろよ。そんなに痛ぇ目にあいたいのか、このタコ!」
「……これでハッキリしたぜ」
「あ? 何言ってくだコイツ?」
「2年半前にオルストレリア大公領内のスキー場で……お前はオレと一緒に滑っていた女子を怖がらせて転倒させた!」
「……まさか、お前は、タツロウ! だが俺のことはどうして」
「あの時もオレを罵る際に口癖のように付け足した言葉……「タコ!」ってのを聞いて、そして今そのツラを見て確信できた」
「だ、だからどーだってんだ?」
「お前がここにいるってことは……その親玉であるフランツが関わっているのが明白ってことだ。こんな詐欺みたいなボッタクリ店によぉ!」
「な、何のことだかサッパリわかんねぇな。ただ一つ言えることは、お前をただで帰すわけにはいかなくなった。おいお前ら、コイツを徹底的にボコれ!」
「事情はよくわからんがアニキの許可が出た……地獄見せてやっから覚悟しな!?」
あの男はここでは兄貴分らしい。そして椅子に座っているオレに向かって周りの奴らが飛びかかってくる。
「オラァッ!」
「おっと! 脇が空いてるよ!」
「コイツ! 逃げ回りやがって攻撃が当たらん!」
オレは奴らの攻撃の隙をかいくぐってからあちこち動き回る。フランツの子分どもは相変わらず動きに無駄が多く攻撃も遅い。
「てめー、この!」
「いい加減止まれやあ!」
「ひょいっと」
「ぐはあっ!」
「な、なんでお前が目の前に!」
なのでこうやって同士討ちを誘導できたりもする。
「痛えっ! 壁を殴っちまった!」
「ぐはぁ! テーブルで腹を!」
オレはただ壁際を歩いたりテーブルの上に乗ったりしてるだけなんだけど、向こうがどんどん自滅していく。
そしてとうとう立っているのはあの男だけとなった。
「こ、この野郎。こうなったらぶっ殺すしかねえなあ!?」
「おいおい、ナイフ取り出したりして……なんでいきなりそうなるんだよ? もう少し冷静に考えようぜ」
「うるせえ! 命乞いならもう遅え!!」
「……そんな手前から突き出してきたら軌道がバレバレだぜ!」
「うわあっ! い、椅子が足に絡まったあ!」
オレが見切って紙一重で避けたあと、あの男は丁度オレの背後にあった椅子に躓いて派手に転び、頭を打ったのか気絶してしまった。
まあ、オレが椅子を隠すように前に立ったんだけど。とにかくオレは一切手出ししていないのだ。
「な、なんだ騒がしい……うわあっ!」
騒ぎが聞こえたのか別室に初老のオッサンが様子を確認しながら入ってきた。立ってるのがオレだけと分かった時の顔は見ものだったぜ。
「アンタがこの店の支配人? どうするよ、まだボッタクリ価格を請求するのかい?」
「くっ……もういい、店じまいするからさっさと出ていってくれ!」
「そうはいかない。適正価格で食事代は支払う……食い逃げ犯にはなりたくないんでな。1万でいいよな? それでも高いと思うけど」
「……ああ。それだけ置いて行ってくれ」
そうしてオレは別室から直接繋がる通路で内扉と扉の間に出てきた。
そして外に出てしばらくすると、他の客たちもぞろぞろと出てきたのだ。どうやらお代は支払わなくて済んだらしい。
まあ、当然の結果だよな。
そしてオレは、あの時アンジェリカを怖がらせたあの男に直接制裁を加えられて清々した。
そういやアンジェリカはどうしてるんだろう……いや、これ以上はやめておこう。
ソフィアはとても勘が鋭い。再会した時に、アンジェリカのことを少しでも考えてたって勘づかれたら……ああ、恐ろしい。
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