003.ランウェイでは笑わない
ソフィアと2年ぶりに再会した日から2日後。
今日はこのブランケンブルク市内のイベントホールにて行われるファッションショーを見るために街へ出てきた。
15時開始で、今は30分前……ちょっと早いが会場入りしておこう。
会場の入口でオレの名前を告げると、席の番号が伝えられ、指定席の料金を払って中へ入る。
ソフィアが言ってた通りにちゃんと席が確保されていたのにはちょっと驚いた。
彼女はモデル業界に足を踏み入れてまだ1年ほどだというのに、既にかなりの人気モデルらしい。
だからそういった融通も利かせられるのか、それともモデルであれば1つくらいは確保できるものなのか。
詳しくは知らないが、まあゆっくり見られるのは素直に感謝しよう。
さて、席を探さないと。
このイベントホールは、選帝侯であるブランケンブルク辺境伯の都にふさわしい豪華な造りで、ファッションショーとしても結構大きな規模なのではと思う。
奥に設置された舞台の真ん中から突き出た長い廊下みたいな道……確かランウェイっていうんだっけ。
普段はこういうのは無いのだが、ちゃんと増設してある。
そのランウェイを囲むように席が設置されていて、中央のかぶり席みたいな場所は、要するにVIP席だ。
それを7列の指定席が取り囲んで設置されている。
更に後ろは立ち見席のようだ。
そしてオレの席は、入って右側の一番うしろの列、そして中央付近。
トイレには先に行っておかないと、途中で席を立つのは面倒なことになるだろう。
◇
さて、トイレを済ませたから席に着こう。
えーと、あった。
既に隣に女性が座っている……若い人だな。
よっこらせ……ああ、最近席に座るときに掛け声をするようになってしまった。
「タツロウ、久しぶりじゃん」
隣の女性がいきなり話しかけてきた。
しかも名指しで……誰だコイツ?
地味な黒のストレートでセミロングの髪型、そして全身黒とグレーのシックな出で立ち。
こんな知り合いはいないはずだが。
「おい、わかんないのかよ。ウチだよウチ、ギーゼラ!」
「えっ? マジで!?」
思わず声が出てしまうほどにビックリした。
ギーゼラは神学校時代の同級生で、オレの友人で遊び仲間のヤニクの彼女だ。
でも学校時代とはまるで印象が違う。
なにせ彼女は校内では、こだわりのギャルファッションで有名だったからだ。
「もう〜、ソフィアから聞いてないわけ? ウチがアンタの席を確保しといてやったんだけど」
「いや、なんも。というかお前は今何やってんだよ」
「それも聞いてないわけ? はあ〜、ソフィアの奴……!」
ここでオレは、ソフィアのいたずらっぽい笑顔を頭に思い浮かべた。
彼女のことだ、ワザとギーゼラの近況を話さずにオレを驚かせようとしたに違いない。
それにしても、学校時代はほとんど接点が無かったはずの2人がなぜ親しそうな感じなのか。
「ウチ、学校を卒業してファッションデザイナーやってんの。まだ駆け出しだけど」
「ああなるほど。お前にピッタリな職業じゃないか。それじゃあ今日は作品を出品してるのか?」
「今日はウチのは無し。だけど事務所の先輩が出してるからその手伝いなんだけど、アンタの席を確保するついでに、ウチもここから眺めようかなって思ってさ」
「ふーん。あ、席の確保はサンキューな。それで、ヤニクとはどうなんだ? アイツ、大道芸人に弟子入りしたんだろ?」
「……それはいいんだけど、修行の合間にナンパしまくってるらしくてさ」
おっと、これ以上は聞かないほうが良さそうだ。
「タツロウ。それよりも、もうすぐ始まるよ」
ギーゼラとの話に気を取られている間に、席はほとんど埋まって、立ち見席もいっぱいだ。
最初にちょっとしたセレモニーがあって、それからしばらくしてモデルたちが颯爽とランウェイを歩き出した。
観客席からそれぞれの目当てのモデルへと歓声が沸き起こる。
それにしても、みんな美人で背が高くてスリムなんだが……仏頂面というか笑顔を見せないな。
「なあギーゼラ、なんでみんな仏頂面で歩いてんだよ?」
「……あのさ、ここは何を見に来てる場所かな?」
「……モデルさん?」
「違うわ! デザインされた服と装飾品だろうが!」
「それがどうしたんだよ」
「ここはあくまで服と装飾品が主役なわけ。モデルが笑顔振りまいて目立ったら意味ないでしょーが」
「そういうことか。じゃあソフィアも」
「それはもちろん。彼女もプロだからね」
「きゃ〜! ソフィアさま〜!」
客席から女性の歓声が響き渡る。
ソフィアの出番だ。
凛とした雰囲気の彼女は、演劇部の時から女性ファンが多かったし、今もそのようだ。
そして、確かに彼女は表情を変えずに真っ直ぐ前を見て歩いている。
オレがいる場所はわかってるはずだが振り向く様子もない。
オレは彼女がランウェイを歩く姿を静かに眺めることにした。
彼氏が邪魔をして足を引っ張るなんて最悪の所業だからな。
しかしまあ、今日のデザインは前衛的というか芸術的というか、オレにはよくわからん服が多い。
されどソフィアは何を着ても似合う。
これが、彼女が人気モデルである理由なのだろう。
◇
開始から30分弱程度でファッションショーは好評のうちに終了した。
ソフィアが何回ランウェイを歩いたのか、ちょっと数えてないけど、短時間のうちに何回も着替えたりとか、裏では大変なんだろうな。
本当は会って話をしたいとこだが、勝手に舞台の奥に入るわけにはいかねーし、そこは諦めて帰ろう。
そんなオレの視界に、VIP席から立ち上がろうとする客の一人が偶然入ってきたのだが……見覚えのある顔に見えたのだ。
誰かというと、帝国のずっと南部を領地とする大公家のバカ息子……フランツに。
一瞬しか顔が見えなかったので他人の空似かもしれない。
まあ、もし奴だったとしても、ここはヴィルヘルムが支配する街である。
フランツであってもそうそう好き勝手な真似はできない。
それに奴とはかつてソフィアを巡ってイザコザがあったが、もう決着は着いたのだ。
今更何か仕掛けてはこないだろう。
「タツロウ! アンタもう帰るわけ?」
「そのつもりだけど」
「……ちょっとウチについてきなよ。言っとくけどナイショだからね?」
オレはギーゼラに誘われるがままについていくと、恐らくスタッフ専用の通路から奥へと入っていく。
そして通路の途中で待つように言われて立っていたところ。
「お待たせしました、タツロウ」
「わっ! 後ろから急に驚かすなよ。っていうかオレに気配を悟らせないとは、ソフィアもなかなかやるな?」
「ふふっ。そのあたりのことはいずれまた」
えっ、冗談で言ったのに、本当に気配を悟らせないような修行でもしたのか?
それはともかくとして、ファッションショーに比べたら簡単な服装で現れた彼女は、少し上気した充実感のある表情でオレに話しかけてくる。
「……どうでしたか? 私のキャットウォークは」
「……?」
「あの、ランウェイを歩く姿勢というか、歩き方というか」
「ああ、背筋を伸ばしてまっすぐ前を見て、少し腰が揺れてるあれね。なんていうか、優雅で気品がある歩き方だったな。それと少しだけセクシーというか」
「ふふっ。ありがとうございます」
「今日はこれで終わりなのか?」
「いえ、これから別の会場に向かいます。今日から3日間、ブランケンブルク周辺でファッションウイークが予定されているので」
「そうか、じゃあゆっくりと話できないんだな」
「……来週はまだお休みですか?」
「2週間ちょっと夏季休暇だから、まだ大丈夫」
「実は久しぶりに舞台公演に出演予定でして。ブランケンブルク市内の劇場で1週間の短期公演です」
「まさか稽古しないでぶっつけ本番か?」
「いえ、4日間集中して稽古して、来週の半ばから1週間です」
「……わかった。できる限り公演に通うよ」
「本当ですか? ありがとうございます!」
ソフィアにしては珍しく飛び上がらんばかりの喜びようだ。
「ちょっと! ここ、部外者は立ち入り禁止なんだけど?」
おっとヤバい、スタッフに見つかったようだ。
「あっ、すみません。迷って入ってきてしまいまして、出口を尋ねていたんです」
「そ、そうなんです。えっと、出口はあちらの方角ですよ」
「ありがとう、それじゃ」
なんだか2人して猿芝居をした感じだが、まあ何も言われてないから大丈夫だろう。
それから相手の姿を見たが、男……だけど華奢で色白、ちょっと中性的というか。
オレが出口を目指す途中で見えたのが、彼がソフィアと肩を寄せ合って歩いている姿だった。
僅かに聞こえてくるのは、どうやら衣装について話しているようだった。
彼はデザイナーさんらしいが、えらく馴れ馴れしいというか。
まあ、だからといってオレは一喜一憂しない。
何故なら、学校にいたときから、オレの彼女への信頼は揺るぎないものとなっているのだ。
イベントホールを出ると、少し日が傾いてきていた。
でも夏の陽光はまだまだ長くて暑い。
オレはさっさと家に帰ることにした。