027.ヤツを穏便に押し止める
「どけぇー! てめえ、この野郎! 邪魔すんじゃねえ!!」
「お客様、これ以上の接近はお控えください!」
今日もやっぱりこうなったか。
劇場の見送りサービスで出口付近に並んだソフィアへと、アルヌルフが執拗に接近を試みる。
オレは警備員として恰幅の良い体格のコイツを穏便に押し止めなければならない。
幸いにもヤツはオレのことに気づいている様子はない。その点は安心だが、体重差に耐えて押し止めるのはホントきつい。もう背筋とハムストリングが筋肉痛を起こしそうだ。
そんなオレを援護するかのようにソフィアはヤツに声をかけてなだめようと試みる。
「アルヌルフさん。この場で触れ合うということは出来ませんが……カーテンコールでは必ず手を振ってご声援にお応えいたします。それでどうかお願いします」
「そんなんだけで満足できるわけねーだろが! いいから握手くらいさせろー!!」
うーん、かえって油を注いでしまったか。それはともかく握手だけでは絶対に終わらねーだろうなコイツは。だから一歩もソフィアには近づけん、うおおおおおっ!!
しかしアルヌルフは諦めるどころか痺れを切らして攻撃を仕掛けてきた。
「いい加減どけよお前、うっとうしい! 殴り飛ばすぞオラァ!!」
この野郎!! 両腕でガシガシ顔面殴りつけやがって! 筋肉より脂肪が多いのか、太い腕の見た目ほどは威力を感じないが、それでも何発も食らうとさすがにダメージが溜まってくる。
頬に走る鈍い痛みがジンジンと頭まで響いてきて、唾液に血の味が混じるのを感じるぜ。
こっちが手出しできないのをいいことに好き勝手しやがって。ここは拳を受け止めるくらいは……いや、それでも反撃したことになるのか?
だけどさすがにもう我慢しきれない……そう思い始めた時だった。
「坊っちゃま! 今日はそろそろお帰りにならないと。旦那様と奥様と、夕食を共にするお約束をなさっていますよね?」
「くっ……ソフィア! あ、明日こそは必ず握手してもらうからなっ!!」
アルヌルフのお付きの人らしき黒服が現れてヤツを連れて帰った。やっぱり一人で来ないよな、伯爵家の嫡男が。出口の外にもう一人いるし。
でも忠誠を尽くしてって感じじゃなさそう。あくまで自分たちが伯爵ご夫妻に怒られるのを回避するためっていうか。
だからいつもは諌めることもなく放ったらかしなんだろうな。まあ、黒服たちの立場に立てば、嫡男としての責務も果たさない跡継ぎに自分の人生をかけられんよ。
そのあとは観客の行列がスムーズにさばけていってやれやれだぜ。ホッとしているオレにソフィアがさりげなく話しかけてきた。
「ありがとうございました。貴方が傍にいてくれて、私がどれだけ心強かったか」
「一応仕事だからな、支配人からウチに依頼があったんだ」
「……依頼だから仕方がなく、なのですか?」
「ち、違う! そうじゃなくて」
「ふふっ、わかっています。貴方は照れ隠しが下手だってことくらい。ちょっと意地悪してしまいました」
「なんだそりゃ。まあそれはいいとしてオレの顔は元に戻らないのか?」
「たぶんそろそろ戻るはずですが……それよりもかなり腫れ上がっていますから今日はどのみち元通りにはならないと思います」
ソフィアからコンパクトで見せられた顔はあちこち内出血の紫色で酷い有様だった。アルヌルフの野郎、いつかこの借りは返してやるぜ……!
「確かに酷いな。でもソフィアを守れたんだからなんてことねーよ」
「でも、あまり無理はしないでくださいね? いざとなれば……」
「おいおい、不穏なことを言うなよ。オレが傍にいないときはまだしも、今回はオレがやるべきことなんだからさ」
「……わかりました。あと4日間お願いしますね」
「おうよ。ところでオレの顔を変えたのってまさか……」
「すみません、そろそろ行かないと。また別の機会に改めて話します」
ソフィアは慌ただしく行ってしまった。学校時代と違って、お互いにやるべきことがあり、それで生じるすれ違いというのは避けることができない。
かくいうオレも今日の残務を片付けないと。寂しい気持ちを抑えて更衣室で服を着替え、支配人に挨拶してからヴィルヘルムの居城へと向かったのだった。




