023.空虚な気持ちに襲われる
「本日午後の公演、最後までご声援いただきまして誠にありがとうございました。お客様への感謝を込めて、劇場の出口にて出演メンバーによるお見送りをさせていただきます。本日は誠にありがとうございました」
へえー、そんなサービスしてくれるのか。じゃあ近い距離でソフィアとお互いに手を振ることができるってわけだ。
「ありがとうございましたー! またのご来場をお待ちしておりまーす!」
最初に出迎えてくれたのは今回の舞台でのソフィアの相方、従姉妹のリーゼロッテ役の女性だ。
オレとソフィアと同じくらいだろうか。客席からだとそれほどとは思わなかったが、近くで見たらとても可愛らしくてキュートな振る舞いの人だ。
思わずファンになってしまいそう……いやいや、オレにはソフィアという一番に応援している女優がいるのだ。それなのにオレってやつは……!
というわけでオレは笑顔を振りまくリーゼロッテ役の人をあまり直視せずに出口へ向かって歩いていく。
伯父役、父親役……と出演者が並んでいるのを軽く会釈しながら通り過ぎていくが、出口に近づくにつれて観客たちの列がつかえてなかなか出られない。
何やってんだよ全く……だが少し進んでから前を覗いたら、その理由がわかった。
出演者たちの最後尾にいるのがソフィアだったのだ。男女問わず観客たちの多くがそこで立ち止まって、話しかけたり、握手を求めたり、中には接近して身体に触れようとする者までいる有様なのだ。
その都度、ソフィアは笑顔でそれらの要求をいなしつつ、横にいる劇団の座長らしき年配男性が間に入って客をなだめすかして出口へ誘導するという対応が必要となっている。
改めてソフィアの人気の高さを認識させられた。本来なら喜ぶべきことなのだが、こういうのを見ると心配だなあ。
しかしこの劇場、劇団のことでオレがうっかり口を出すわけにもいかない。今のオレにできることは……。
「ありがとうございました。また見に来てくださいね」
微笑んで軽く右手を振るソフィアに向かって、会釈だけで無言で手を振り返し、そのままスッと出口へ向かう。
少しでも早くこの行列を解消して彼女の負担を減らさないと。素っ気ないとか言ってられないのだ。
劇場を出てから振り返ってみると、さっきよりは行列がはけるのが気持ち速くなっているような……気がする。
さあて帰ろう。その前に街で晩飯の材料でも買っていくか。まあ大したもんは作らんのだけど一応はね。
◇
「あー。虚しい。虚しいなあ〜」
晩飯を食べ終わってひと息ついたあと。オレは猛烈に空虚な気持ちに襲われていた。
今日も、ソフィアに会うことはできた。でもそれは舞台で主役を演じる彼女で、カーテンコールに応える女優の彼女で、そして観客を見送る劇団関係者としての彼女なのだ。
何か会話したわけでもなく、眼と眼で気持ちを通じ合うといったこともできなかった。
もちろん演劇の内容は楽しかったし、彼女の演技もダンスパートも堪能させてもらったことに間違いはない。
しかし、なんかこう……胸にぽっかり穴が空いたような、言葉では言い表せない虚しさが心の中を覆ってどうしようもないのだ。
むしろ全く会わない日のほうがこんな思いをすることはない。なまじすぐ目の前、手が届くところに彼女がいたばかりに……。
オレは2日間で午前と午後どちらも、計4回の公演を見るのはさすがに飽きてしまうだろうと、そちらの方を心配していた。だけど今は早く明日の公演を、ソフィアの姿を見たいとばかり考えている。
じゃあ早く寝ろ! と言われそうだが、それはそれで悶々とした気持ちもあって、なんか寝付けないのだ。何かというと……あと1日で夏期休暇が終わり、当分ソフィアに会えなくなるという焦燥感に駆られる思いだ。
ベッドに潜り込んで強引に目をつむってもそれは収まらない。いったいどうしたら……。
ああもう! こんなに悩むなんてオレらしくないぞ!
そういうわけで、何でもいいからとにかく動くことにした。といっても脳ミソだけだが……ベタだけど羊を数え続けること数千匹。夜が更ける頃、フッと意識が消えた。
なんだかんだいっても不眠症までいかずに眠れてしまうのがオレの良いところなのだ。
そして迎えた朝……今日もいい天気だ。
シャワーで軽く汗を流してからパンと牛乳だけの簡単な朝食を済ませ、出かける準備を整える。
ソフィアの舞台での活躍をどの場面も逃さずに見て記憶に刻む。それを目標にして劇場へと出かけるオレであった。




